第2話:凄惨な過去
⋇暴力描写あり
⋇残酷描写あり
⋇胸糞描写あり
「――やめろおおぉぉぉぉぉぉぉっ!!」
始まった凄惨な記憶の光景に、僕は怒りのままに叫びを上げた。
これは記憶の中の世界であるが故に干渉する事は出来ず、ただ見守る事しか出来ない。それは分かっていた。分かってはいたが、到底許容できるものではない光景が目の前で繰り広げられていた。
『がぼっ!? ごぼぼっ!』
『これは禊だ! お前の身に宿る過ぎた力を追い出し、神へとお返しするのだ!』
それは幼いアルマ様が、父親から虐待を受けている光景。水を張った浴槽に無理やり頭を沈められ、溺死寸前まで苦しめられている度し難い光景だ。
そんな光景を傍観している事など出来る訳も無く、僕はあらゆる手段で以てアルマ様を助けようとした。しかしここは記憶の中の世界で、僕はそれを見せられているだけの観客に過ぎない。父親を殴り飛ばそうとしても拳は身体をすり抜け、水魔法で殺そうとしても水魔法そのものが使えない。考えられるあらゆる手段で介入しようとしたが、どう足掻いても不可能だった。
故に僕は沸き上がる憤怒と無力感に苛まれながら、歯を食いしばって見守る事しか出来なかった。
『あ……ぅ……』
やがて何度も浴槽に沈められた幼いアルマ様は、光を失った瞳で虚空を眺めるだけとなる。抵抗する力も無くなり、陸に打ち上げられた魚のように身体をびくびくと痙攣させる。
そこまで実の娘を苦しめた所で、ようやく父親はアルマ様の身体を投げ捨てるように解放した。そこには最早愛情など欠片も存在していなかった。
『――おい、アイツに近付いちゃいけないんだぞ! のろわれた子だから、たましいが汚れるんだってさ!』
『あっち行け! 汚い奴!』
『いたっ、痛い……! やめて、痛いよぉ……!』
そして場面が切り替わり、今度は幼いアルマ様が村の子供たちに苛めを受けている光景が広がる。
今まで仲良く遊んでいたというのに、子供たちはアルマ様に石を投げ、髪を引っ張って引き倒し、殴る蹴るの暴行を働く。子供らしい無邪気さと残酷さを遺憾なく発揮し、笑いながらアルマ様を排斥する。アルマ様がどれだけ泣いて嫌がろうとも、楽しそうに笑いながら。
『――うっ!? おええぇっ……!』
『何吐いてるの!? お前みたいな不信心者にも食事を作ってやってるのに、その反応は何なの!? 代わりはもう出さないわよ!』
場面が切り替わり、今度は食事を取った瞬間に吐き戻してしまう幼いアルマ様の姿が目に入る。
だがそれも当然の反応だ。アルマ様は料理に含まれた作り手の精神をも感じてしまうお方。今までならばいざ知らず、作り手である母親もアルマ様への愛を失ったとあっては、至極当然の反応だった。
『――ぎゃあああああぁあぁぁぁっ!?』
『お前は呪われた子だ! 神を信じない愚か者だ! お前は浄化されなければならないのだ!』
『いだっ、いだいっ! 痛いよおぉぉぉパパあぁぁぁっ!! やめてぇぇぇぇ!!』
場面が更に切り替わり、宙吊りにされた幼いアルマ様を父親が鞭で叩く光景が広がる。破裂音に近い肉を打つ音が響く度に血飛沫が舞い、聞くに堪えない悲鳴が上がる。子供が上げる物とは思えないほど痛々しく、それは悲しみに満ちていた。
『――ごめん、なさい……ごめんなさい……良い子になるから、もう、ぶたないで……酷い事、しないで……』
幼いアルマ様は村全体からそのような仕打ちを受けながらも、誰も恨んではいなかった。きっと自分が悪いのだと決めつけて、良い子になるからやめてくださいと泣きじゃくりながら願うばかり。
当然、アルマ様が悪いわけではない。そしてアルマ様がどれほど良い子になろうと、問題となっているのは持って生まれた魔法の才能。こんなクソふざけた拷問紛いの日々で消え去る物では無く、故にアルマ様への仕打ちが終わる事は無かった。
『この屑! 出来損ない! お前みたいなゴミを産んだのが恥ずかしいわ!』
『お前なんて生まれて来なければ良かったんだ! 生きてて恥ずかしいと思わないのか!』
『この背教者め! 神とご両親に死んで詫びろ!』
『近付くな、のろわれっ子! のろいが移るだろ!』
むしろより苛烈に、より度し難くなっていくアルマ様への仕打ち。幸せに満ちていた自分の世界が裏返り、その全てが自分を苦しめ否定するという悪夢。心の拠り所はどこにも無く、ただただ甘んじて受け止めるしかない地獄だけがひたすらに続く。
『ごめんなさい、ごめんなさい……生まれてきて、ごめんなさい……! クズのゴミで、出来損ないで、ごめんなさい……!』
今だからこそ分かる。アルマ様の自己評価が異様に低い理由が。
自身の世界の総てから存在を否定され続け、自己肯定感が削り壊されたのだ。この地獄の日々で浴びせられた罵倒の数々が、呪いのように心に染み付いて。
ああ、納得の理由だ。何せただこの光景を見ているだけの僕でも、気が狂いそうなほどの憤怒と無力感に苛まれているのだ。心と身体をひたすらに壊されている幼いアルマ様が、まともに耐えられるわけもない。
そして、この悪夢の日々はいつまでも続く。何度も場面が切り替わり、その度にアルマ様が苦しみ、身体と心が無残にもボロボロになっていく。ああ、僕が今は精神だけの存在で本当に良かった。もしも肉体があれば、あまりの怒りに自身の歯が全て砕け散るほどに歯を食い縛り、無力感に爪が手を突き抜けるほどに強く拳を握っていた事だろう。
『――やっぱり駄目だ。あのゴミは幾ら浄化を施しても一向に改心しない。根っから腐ったクズなんだな』
そして数えきれないほどの惨たらしい場面を重ね、不意にそれまでと異なる状況が映し出される。
その日の浄化と言う名の拷問が終わった所で、クソの極みの両親が黒く塗りつぶされた顔を突き合わせて話し合いを始めたのだ。自分たちの所業を棚に上げ、自分の娘を根っから腐ったクズと罵倒しながら。
『そうね。ゴミを生み育てた私達だからこそ改宗させる事が使命だと思ったけど、何をやっても無駄なのね。正真正銘の出来損ないのクズだわ』
『そうだな。明日には殺して、肉体ごと神にお返ししよう』
『ええ。どうせなら処刑に広場を使えるよう、村長に相談してみましょう』
挙句その内容が、娘を処刑する話と言う究極のゲス。
正直な所、僕は人生で生まれて初めて人を殺したいと強く思った。もしもこの二人がまだ生きているというのなら、絶対に探し出してアルマ様が味わった以上の苦しみを与えてから嬲り殺しにしてやる。
そんな風に殺意と決意を固める僕だったが、クソ両親がその場を去ってから見えた光景に思考の全てが吹っ飛んだ。
「アルマ、様……」
そこに倒れていたのは、一糸纏わぬ姿の幼いアルマ様。だが毛ほども興奮を覚える事は無かった。何故なら最早どうして生きているのかも分からない程に、やつれ汚れた変わり果てた姿となっていたから。
真っ白で綺麗だった肌は見る影も無く、ガサガサのボロボロ。しかもそれすらまともな方。大部分は様々な傷痕によって痛々しい有様と化していた。裂傷、打撲痕、火傷痕……様々な傷痕が幼い身体に刻み付けられており、満足な治療もされないまま残っている。
加えて身体は信じられないほど痩せ細っており、碌に食事も与えられていないのは明白だった。いや、仮に与えられていたとしても身体が受け付けないのだろう。実の娘を惨たらしい目に合わせて平然としている母親が作る料理など、汚物以下の薄汚い感情しかこもっていないのは間違いない。
こんなもの、最早人間の所業ではなかった。アルマ様が口にした通り、この村の人間は皆滅ぶべき悪魔だ。
『ごめん、なさい……ごめん、なさい……ごめんな、さい……』
そしてどこまでも悲しい事に、こんな状態になってもなお、アルマ様は誰も恨んでいなかった。ただただ死んだ瞳で、消え入りそうな声による謝罪を繰り返すのみ。
『悪い子で、ごめんなさい……出来損ないで、ごめんなさい……ゴミで、ごめんなさい……クズで、ごめんなさい……生まれてきて、ごめんなさい……』
破壊された自己肯定感によって、自分の全てが悪いのだと思い込み、ただひたすらに謝罪を繰り返す。
いや、もしかすると幼いアルマ様も分かっているのかもしれない。本当は自分が悪いわけではないという事を。しかし自分が悪いと思い込まなければ、こんな仕打ちに心が耐えられなかったのだろう。
『痛いのだって我慢、するから……苦しいのだって、我慢するから……もう一度だけ……抱きしめて……パパ、ママ……』
挙句、幼いアルマ様はまだ儚い希望を胸に抱いている。大好きな両親にもう一度だけ、抱きしめて貰いたい。たったそれだけの願いのために、こんな仕打ちに堪えているのだ。
「クソッ……!」
反射的に僕は抱きしめようと動くが、やはり両腕は身体をすり抜けるのみ。手を差し伸べる事も出来ず、歯痒い思いに頭がおかしくなりそうだった。
『――この五年間、私たち夫婦はあらゆる方法でこの不信心者に禊を行ってきました。しかしその努力は報われませんでした。神に仕える者としてお恥ずかしい限りです』
そして場面が切り替わり、次の瞬間には異常としか思えない光景と言葉が同時に届いた。
それは明るい日差しに照らされた、村の中央の広場。そこに大量の木材が積まれ、幼いアルマ様はその中心で磔にされていた。手足を太い釘で貫かれ、まるで極刑を受ける罪人のように。
だが違う。こんな状態になってもなお、両親の愛を求め耐えているアルマ様が罪人な訳がない。真の罪人はコイツら。磔にされたアルマ様を遠巻きに眺め、悪趣味な火刑を今か今かと待ちわびているゲス共の方だ。
『申し訳ありません。このような出来損ないを生んでしまった事、そして改心させる事ができなかった事、伏してお詫びいたします』
『気にするな。お前たちが頑張っていた事は、この村の誰もが知っているさ』
『そうよ、むしろあなたたちはあんなゴミを改心させようと五年も頑張ったのよ。そんな事、なかなか出来る事じゃないわ。素晴らしい信仰ね』
『ありがとうございます、皆さん……』
クソの両親が村人たちと何かを話しているが、僕の頭にそんな気持ちの悪い話は入ってこない。ある一つの情報を除いて。
五年? 五年だと? アルマ様はあんな地獄のような生活に五年も耐えていたのか? どうして五年もそんな残酷な真似が出来るんだ? ああ、駄目だ。怒りで何も考えられなくなりそうだ。村人の顔が一人残らず黒く塗りつぶされているのも相まって、人の形をした化物にしか見えない。あまりにも醜くて吐き気がする。
ああ、今なら顔が塗り潰されている理由がはっきりと分かる。アルマ様だってこんな奴らの顔は覚えていたくないし、思い出したくも無いのだ。
『――皆の者! これより不信心者の処刑を行う! その身に秘めた神の力を、今こそあるべき場所へお返しするのだ!』
『殺せ! 殺せ! 殺せ! 殺せ! 殺せ!』
そして、遂に幼いアルマ様の処刑が始まる。火が燃え盛る松明を手にした一人の男が、積まれた木材へゆっくりと近付いていく。
周囲に広がるのは殺意と狂気に満ちた合唱。老若男女問わず、皆が声を揃えて殺せと叫ぶ。子供たちは磔にされたアルマ様へ石を投げながら。
最高に胸糞の悪い光景だったが、終わりが近い事は分かっていたので何とか怒りで狂わずに済んだ。何故ならこれはアルマ様の記憶。ここで火刑に処されて死ぬ事は決してない。
『――ああ、そっか』
瞬間、醜い大合唱の中でもはっきりと、ぞっとするほど冷たい声が耳に届く。
声の主は――幼いアルマ様。五年に渡る地獄の日々と、狂気に満ちたこの場の惨状に、無垢な輝きを宿していたその瞳は完全に淀み暗くなっていた。
『私はもう、とっくに愛されてなんか、いなかったんだ……誰にも、必要になんか、されてないんだ……』
ぽつぽつと紡がれるのは悲嘆、そして悲哀。
それは今まで儚い希望を拠り所にしていた幼いアルマ様の中で、決定的な何かが壊れる音だった。
『じゃあ、もう……いいや』
雰囲気が変わる。目付きが変わる。天真爛漫で無垢だった幼いアルマ様はもういない。愛くるしい丸い瞳をしていた子供はもういない。
そこにいるのは全てを拒絶し、あらゆる者に疑いと敵意の視線を向ける野生の獣だった。
『もう、悪い子のままでいい……愛されなくて、いい……誰も信じない……私はもう、一人で良い……』
呪いのように心に誓うは、孤独極まる決意。
愛していた人たちに裏切られ、酷い責め苦を受けたが故の末路。誰かを信じれば、誰かを愛すれば、きっとまた裏切られるに違いない。そんな思いをするくらいなら、もうずっと一人のままでいい。アルマ様の人間不信の根幹は、幼い子供が故の単純でどこまでも強い防御反応であった。
『我慢なんか、もうしない……こんな奴ら……みんな、いなくなればいい……』
そして高まる、自らを裏切り苦しめた者たちへの殺意。
村人たちは魔法を排斥するが故、詳しい知識が無かった。だからこそ、アルマ様のお力がどれほどのものか分かっていなかったのだろう。恐らくは当人すらも分かっておらず、あるいは理解していても無意識に他者への使用を禁じていたに違いない。何故ならアルマ様は微かな希望を胸に抱き、ずっと耐えていたから。魔法とは罪深いものだから、それを使ってはいけないと教え込まれたから。
けれどそれももう終わり。最早心から皆の死を願うほど傷ついたアルマ様は、そのお力の全てを躊躇いなく振るう。
『――死ね』
そうして幼いアルマ様の口から、鳥肌が立つほど冷たく殺意に満ちた、致死の一言が紡がれた。
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アルマ様、元々は凄く純粋で素直な子でした。凄惨な過去のせいで捻じ曲がらざるを得なかっただけ。
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