第3章
第1話:記憶の世界
「……ここ、は?」
ふと気が付くと、僕は見知らぬ場所に立っていた。
頭上に広がるのは澄み渡る青い空。周囲に広がるのは牧歌的な田舎の風景。一瞬僕の故郷かと思ったが、どうもそういうわけではないようだ。僕の故郷の方がもっと小さいし家屋も貧乏臭い。ここは田舎の風景を残しつつも、貧乏臭さの無い理想的で美しい村のように見えた。
しかし、今の僕にはこの村の空気を楽しむ事は出来ない。何故なら目につく村人たちは、一人残らずその顔が闇に覆われ恐ろしい有様と化していたからだ。まるで子供がペンで塗り潰したかの如く。
一見悪夢のような光景にも見えるが、恐らくここはアルマ様のお力によって創り上げられた記憶の中の世界。その証拠に身体の感覚は存在せず、空気の温度を感じる事も出来ず、宙にふわふわと浮いているような曖昧な感覚であった。故に村人たちの顔が黒く塗り潰されているのも、アルマ様のご意志によるものなのだろう。どういった理由でそうしているのかは分からないが。
『ネラカっていう、隣国の片田舎にあった小さな村。私はここで生まれ育ったの』
周囲を見回していると、頭の中に直接アルマ様のお声が響く。
思わずお姿を探すも当然見当たらない。恐らくアルマ様当人は現実の世界で僕の腕の中にいる状態だ。対して僕は精神のみを記憶の世界に招待されているという所だろう。精神魔法使いであるアルマ様ならその程度の事は朝飯前に違いない。
「片田舎にあった、ですか。という事は、今はもう……?」
『ええ、もう無いわ。私が滅ぼしたから』
「……そう、ですか」
なるほど、どうやらこの美しい村はもう存在しないらしい。多少勿体ない気もするが、アルマ様がやったのなら何か深い理由があるのだろう。なので僕は驚きつつも、それ以外の感想は無かった。
『……怖くはないの? 今、あんたは村一つ滅ぼした悪人に命を握られてる状態なのよ? 私が少しでもその気になれば、あんたの精神を破壊して廃人にする事だって出来るのよ』
恐怖や忌避感を覚えていない僕の様子に、アルマ様は一種の脅迫のような事を口にしてきた。
実際やろうと思えば本当にできるはずだ。むしろ記憶を弄ったりなどという繊細さが求められそうな作業より、何も気にせず精神を破壊する方が簡単そうまである。しかしもちろん僕に恐怖など欠片も無い。
「驚きはしましたが、別に怖くは無いですよ。お師匠様なら村一つどころか国を滅ぼす事すら余裕でしょうし。それに、僕を廃人にする機会なら今まで幾らでもあったでしょう。これ以上試す必要はありませんよ、お師匠様」
そう、アルマ様は理由も無くそんな真似をする人ではない。それにやるつもりなら弟子として過ごした二十日間、幾らでもチャンスはあったはずだ。
だからこれは脅迫では無く、お優しいアルマ様による最後の忠告。その証拠に、先ほどのお言葉は僕を気遣うような優しさに満ちていた。
『……可愛げの無い弟子ね』
ため息交じりのお声が直接頭の中に響く。しかしそれは安堵を抱いたような穏やかな声音であり、僕の答えを期待していた事は明らかだった。
『――パパ! ママ! 遊びに行ってくるね!』
「ん? んんっ!?」
不意に近くの家の玄関が開き、元気いっぱいな声を上げながら一人の少女が飛び出てくる。その少女の姿を目にした瞬間、僕はあまりの驚きに腰を抜かしかけた。その少女だけ顔が黒く塗り潰されていなかったが、驚いたのはそれが理由ではない。その愛らしい面差しが、アルマ様に瓜二つだったからだ。
癖の強いエメラルド色の髪も、愛らしい猫耳や猫尻尾も、短く小さい事を除けば何もかもがアルマ様とそっくり。異なるのは服装が半袖短パンと極めて活発な姿をしている事、びっくりするくらい身体が縮んでいる事、そして淡い青緑色の瞳が丸っこくなっているという事くらいだ。説明がなくても分かる。アレは子供の頃のアルマ様だ。
『あれは八歳の頃の私。何も知らず、何も考えず、何も気付かず、幸せに過ごしてた頃の私よ』
「とても可愛らしいです。僕とお師匠様の間に子供が生まれれば、あんな風に愛らしい子になるんですね……」
これから不幸な過去の話が始まると分かってはいたのだが、どうしてもそんな感想を抑えられなかった。
だってアルマ様が僕の腰元くらいの大きさに縮んだような、究極に愛らしい生き物を目撃してしまったんだ。そんな感想を抱くのも当然の事だった。
『本当にブレない奴ね……』
アルマ様も何となくそんな反応を予測していたようで、特に怒りはしなかったが呆れのこもった声が脳裏に響いてくる。ただし今度ばかりは優しさの含まれていない、純粋な呆れの感情であった。
『――かけっこで勝負しよ! 私が一番になるんだから!』
『一番は俺だ! 負けないぞ!』
『僕だってかけっこじゃ負けないぞ! みんなで勝負だ!』
走り去って行く幼いアルマ様を見送ると、まるで物語のページを捲るように次の場面が目の前に広がった。
今度の光景は村の子供たちと遊ぶ幼いアルマ様という、子供たちの顔すら黒く塗りつぶされている事以外は何とも尊い光景。やはり人間不信に陥る前であるからか、積極的に遊びの提案をして元気いっぱいに友達と遊んでいる。天真爛漫な笑みを浮かべ、僕の前を走って行く姿は完全に無邪気な子供だった。
そして子供が安心して遊べるという事は、この村の治安がとても良いという事を証明している。正に理想的な田舎村だった。
「とても平和な村ですね。のどかで暖かい、快適に暮らせそうな素晴らしい場所だと思います」
『そうね、傍から見るとそう見えるでしょうね。だけどこの村は、ただの牧歌的な田舎村じゃないの。悪辣な風習と信仰が根付く、悪魔の村なのよ』
「悪魔の村……?」
『この村の住人はね、全員が
「なっ!?」
その情報に、僕は驚愕のあまり目を見開く。
この平和な村がそんな奴らの巣窟だとは、さすがにアルマ様のお言葉でも信じがたいものであった。
『もちろん私の両親もそう。村の子供たちは全員が信徒の子供。魔法や魔術は神の領分を犯す罪深いもの――小さな頃からそう教えられて育ったし、今でも経典を暗唱できる程度には刷り込まれてるわ。忘れたくても忘れられないクソな記憶ね』
しかしアルマ様は一切否定しない。むしろ経験のこもった呟きを僕の脳裏に響かせて来る。ならば信じる他に無かった。この平和で穏やかな理想郷とも取れる小さな村は、頭のイカれた者たちが巣食う魔窟なのだと。
「ですが、お師匠様は、その……魔法の才を持っていますよね……?」
それを認めると、酷く心配になるのはアルマ様の事。
アルマ様は精神魔法という魔法の才を持って生まれた。魔法の才能は後天的に得る事が出来ない魂に刻まれた力なのだから、生まれついてのものなのは確実だ。つまりは魔法と魔術を排斥する集団の中に、その魔法の才を持つ者が生まれたのだ。
もしもそれを知られたら、果たしてどうなるか。僕はうっすらとこの後に起こるであろう悲劇を、そして実際にアルマ様が体験したであろう惨劇を考えて、身の毛がよだつ思いだった。
『そう。皮肉にも私は魔法の才を持って生まれた。忌むべき才を持って生まれた邪悪な子。だけどこの時の私は、そんな力を持ってる事なんて知らなかった。当然よね、あんたたちみたいな分かりやすく派手な事が出来るわけでも無いし。目に映る人の精神状態や感情、心の色が後光のように見えてたりはしたけど、物心ついた時からそんな感じなんだし、きっと他の人も同じように見えてるって思ってたんだから』
「それは確かに気が付くのは難しいですね。これほど平和な村なら、他人の精神状態を感じて具合が悪くなることも無いでしょうし……」
魔術の適性を調べる方法は存在するが、魔法の才能を持っているかどうかを調べる方法というのは存在しない。本人が自覚する以外に見つける手段が存在しないのだ。実際僕が水を操る事が出来るという事実に気付いたのも、幼い頃に川で溺れている友達を助けようとした時だった。
加えてアルマ様の精神魔法は分かりやすい派手さが全くないため、自分にそういう力があると気付く事も相当難しいに違いない。他人の思考や行動が自分の思い通りにならない事に苛立ちを抱き、望み通りになるように願い精神魔法が発動する――などという事にならないのは、幸せいっぱいの笑顔を浮かべている幼いアルマ様を見れば容易に理解できる。
そもそも魔法とは意志の力。その程度の事で行使できるものではない。
『そう。だから私は何も気が付かなかった。八歳の秋、ある旅人がこの村を訪れるまでは』
アルマ様の言葉が響くと共に、再び場面が切り替わる。
そして現れたのは一人の青年。やはり顔が塗り潰されていてどのような面差しの青年なのかは分からない。しかし村の人々にもてなしを受けている辺り、少なくとも愛想は良さそうだった。
『少しの間この村に滞在させて欲しいと言う旅人を、村の人たちは快く受け入れた。彼は魔法も魔術も使えないみたいだったから、当然の対応よね。だけど、私は彼を受け入れる事が出来なかった。彼の放つ精神の色が、恐怖を誘う不気味な赤色に見えたから。後々分かった事だけど、彼は遠くの街から逃げてきた子供を狙う殺人鬼だったらしいわ。だからこそ私には赤く見えたんでしょうね』
幼いアルマ様はもてなしを受ける青年を物陰から見つめている。恐怖に怯えた瞳で、猫耳と尻尾の毛を逆立てて。
アルマ様は例え相手を視認していなかろうと、他者の精神を感じる事が出来る。それもかなりの広範囲で。ならば目で見れば確実に分かるのは当然という物だろう。殺人鬼の精神など、平和な村で生まれ育った幼いアルマ様にとっては悍ましい物に見えたに違いない。
『――パパ、ママ。あの人怖いよ。青色じゃなくて、真っ赤な色をしてて、凄く怖い……』
「あっ……」
更に場面が切り替わり、幼いアルマ様がついに決定的な情報を口にしてしまう光景が目の前に広がる。
だがそんなアルマ様を考えが足りないと責める事は出来ない。こんな小さな子供にとって、両親とは世界で最も信頼できる人間だ。不安を打ち明ける相手に選ぶのは当然だし、自分に魔法の才がある事に気付いていないアルマ様にとっては当然の行動だった。
『何を言ってるんだい、アルマ? 髪の色の事かい? 彼の髪は赤色じゃないよ?』
『髪じゃないよ! 身体から出てる色の事だよ!』
『身体から出ている色……? アルマ、お前……お前、まさか!?』
『う、嘘でしょう? あなたが、そんな……!』
アルマ様の両親も顔が黒く塗りつぶされているので、表情は分からない。しかしその声に驚愕が滲み、怒りに染まって行った事だけははっきりと理解できた。娘が酷く怯え、泣きそうになっていたというのに。
だがその反応も不思議ではない。彼らは
『ひっ……!?』
幼いアルマ様は両親に恐怖を覚えたかのように後退り、その場に尻餅をつく。
ああ、きっとその瞳には恐ろしい光景が映っている事だろう。今まで自分を愛し慈しんでくれた愛する両親の精神が、旅人の青年と同じかそれ以上に悍ましい赤色に変わって行く光景が。
『……ここから先は説明するのも辛いから、何があったかは……自分の目で、見て』
どこか痛々しいアルマ様の声が脳裏に響くと共に、僕は理解した。今から悍ましい悪夢が始まる事を。
だが、最早引き返すという選択肢は無い。どれだけ陰鬱で凄惨な光景が待っていようと、受け止めなければいけないのだ。何故なら僕は、アルマ様を愛しているのだから。
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⋇次話、かなり胸糞なので注意。
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