第8話:あたたかい食事
「……お師匠様。まだ弟子になって日が浅く、あまり信頼も勝ち取れていない僕がこのような事を口にするのはおこがましいかもしれません。ですが、どうかお願いします。貴女は過去にどのような体験をしたのか、どうか僕に教えてください」
理不尽な現実に耐えきれず、僕は憤怒を覚えながらそれを願い求めた。もっと信頼を深めてからと思ったが、こんな話を聞いた後ではそんな悠長な事は言っていられない。
他者を信じる事が出来ないため人との関りを拒絶する。食事を取っても作り手の淀んだ精神を感じるだけで、味を感じられない。自己肯定感が低いため、そんな生活を当然の事のように受け入れ甘んじている。
何か打ち込める趣味でもあったならまだ良かっただろう。しかしアルマ様にそんなものは無いという事は、この二十日間一緒に暮らした僕が誰よりも良く理解している。アルマ様がしている事と言えば、ただただソファや揺り椅子でお昼寝するくらい。
当初は信頼されているのだと思って嬉しかったし、あどけない寝顔を見られて幸せだった。しかし今考えるとあまりにも無為だ。本当にこれが生きた人間の暮らしなのかと疑ってしまうほど、孤独で不幸で寂しい時間を過ごしているとしか思えない。アルマ様に比べれば、牢獄の中の重犯罪者だって幸せで充実したお勤めを送っている事だろう。
愛する人が不幸のドン底にいる自分自身に気が付いておらず、あまつさえ今の境遇を当然のように受け入れている。そんなもの、認められるわけが無かった。今すぐにでも慰め、寄り添ってあげたい。そのためにはこうなってしまったアルマ様の過去を知る事が、何よりも重要だった。
「……何でそんな事知りたいのよ」
「愛する人の全てを知りたいと思うのは当然の事です。そして、少しでも貴女の力となるために、知っておきたいのです」
「………………」
怪訝な瞳を向けてくるアルマ様に対し、紛れも無い本心を語る。その美しい青緑の瞳を真っすぐに見つめながら。
「……ふん、無理ね」
「そう、ですか……」
アルマ様はしばし僕の真意を見抜くように、あるいは魂の奥底まで見透かすように鋭く見つめ返してきたが、不意に鼻で笑い飛ばすように冷たく言い放った。
悔しいがこれは仕方ない。未だ信頼を勝ち取れない自分が悪いのだから。
「……だけど、そうね。あんたが嘘を言ってないのは分かるし、私を不快にさせない程度の食事が作れてたなら、話してあげても良いわ」
「ほ、本当ですか!?」
しかし思う所があったのか、少し頬を赤らめながらそんな情けをかけてくださった。正しく希望が見えた瞬間で、僕は思わず舞い上がりそうになる。
ああ、でも失敗した食事ではきっと駄目だろう。こんな事なら学生時代にパン屋に弟子入りして、食パンの作り方を練習しておくべきだった……!
「ま、期待はしてないけどね。作るの失敗したみたいだし」
「くっ、まさか食パン作りで躓くとは……!」
努力不足を痛感する僕の前で、アルマ様は僕を小馬鹿にするような笑みを浮かべながらハムエッグの皿を手元に引き寄せた。
そうして皿を傾けつつナイフでトーストの上へハムエッグを乗せ、ハムエッグトーストを爆誕させる。これを見越してハムエッグはトーストに乗せられる程度の大きさと形に調整したのだが、そんな気遣いはパン作り失敗という事実の前では何の意味も持たないだろう。とりあえず今夜は徹夜でパン作りの練習をしよう。
「ふんふん……匂いは凄く良い感じね?」
ハムエッグトーストを鼻先へ持って行き、その匂いを嗅いでお褒めの言葉をくださるアルマ様。
匂いだけでも高評価を得られたのは嬉しかったが、正直僕にとっては安堵の方が大きかった。何故ならアルマ様の嗅覚はちゃんと働いているという事が今ので分かったからだ。味覚が駄目になっているという事実だけでも耐え難いのに、これで嗅覚まで駄目になっていたら涙を抑えられる自信が無い。
「それじゃあ、判定の時よ。覚悟は良い?」
「お、お慈悲をぉ……!」
「悪いけど採点は辛口よ。いただきます」
ニヤリと笑いながら無慈悲な言葉を突き付けてきたアルマ様は、小さく口を開けてハムエッグトーストに齧り付いた。
ああ、きっと駄目だろうな。アルマ様を想いながら作ったとはいえ、所詮は男の手料理。素材は僕が作ったわけでは無いし、あまつさえ失敗してしまったパン。仕方ない、今回は自分の未熟さに気が付けたという事をプラスに考えよう。
「――っ!?」
だから諦めて僕も夕食を食べようと考えたその時、アルマ様の様子が変わった。
まるで雷に打たれたかの如く身体を震わせ、汚い物でも触ったかのようにハムエッグトーストを皿の上に投げ出したのだ。それも顔を赤く染め、あまつさえ見開いた瞳の端に涙をじわりと浮かべながら。
ああ、やはり駄目だったか。それもまともに食べる事すら出来ないばかりか、アルマ様を泣かせ怯えさせてしまうほどに薄汚い精神の入り混じった料理だったか。自分の作った料理ならきっと大丈夫、不快感無く食べられるはず。そう考えていた自分があまりにも愚かで恥ずかしい。
「申し訳ありません、お師匠様。すぐに下げます」
愛情を込めて真剣に創り上げた料理の数々を捨てるのは少し口惜しいが、愛する人を泣かせてしまった以上こんなものに価値は無い。一刻も早くアルマ様の視界から追い出し、ゴミ箱に叩き込まなければ。
だから僕は席を立ち、料理を下げようと皿に手を伸ばした。その瞬間――
「お師匠様……?」
ガッ、と僕の腕がアルマ様に掴まれる。
不思議に思ってお顔を拝見すると、やはりそこには真っ赤なお顔で涙を流す胸の痛む表情が広がっていた。だがよく見ればそれは決して不快を感じている表情では無かった。どちらかと言えば、これは感動を禁じ得ずに泣いている表情に近いかもしれない。
「……っ!」
「えっ!? お師匠様っ!?」
そしてアルマ様は僕の手を離すと、あろうことかハムエッグトーストを両手でガシリと掴み、ガブガブと物凄い勢いで食らいつき始めた。慌てて止めに入ろうとするが、そんな僕を手で押し止めて泣きながら食べ続けている。
これは、まさか……?
「な、何よ……何なのよ、これ……! 何でこんなに、暖かくて、美味しいのよ……!」
あっという間にハムエッグトーストを食らい尽くしたアルマ様は、泣きながらそんな叫びを零した。
どうやら僕は勘違いしていたようだ。僕の作った料理があまりにも不快で涙が零れたのではなかった。むしろその逆。あまりにも暖かい気持ちに満ちていたから、感動のあまり驚いてしまっただけなのだ。
「あ、あふっ、あふいっ……! けど……おい、ひぃ……!」
その証拠にアルマ様はスープのお椀に手を伸ばすと、まだ熱い湯気が昇っているにも拘わらず直接口を付けて凄い勢いで飲み干していく。舌が火傷しそうなほど熱いはずだというのに、そんな事は全く気にならないとでも言うように。
味覚が感じられないアルマ様だからこそ、美味しいという表現は味に関しての物ではないのだろう。恐らくは込められている精神がどれだけ自分に優しく暖かい物か、そういう物を指しての美味しいという言葉に違いない。
アルマ様が涙を零す程に喜んでくれているのなら、作った甲斐があるという物。だから僕は自分の分の夕食も差し出し、泣きながら食べ続けるアルマ様をずっと見つめていた。このお方は絶対に幸せにしてあげなければならないと、改めて固く誓いながら。
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⋇餌付けとか言っちゃ駄目です。
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