第7話:味覚障害




「ふうっ。街に行って帰ってきてもまだ日が高いとか、何かちょっと感動したわ……」


 正午を前にして、僕らはアルマ様のお住いへと戻ってきた。

 本来なら片道三時間かかる道のりだが、川を氷のボートで高速で移動するという手法のおかげで時間は大幅に短縮できた。そのおかげでアルマ様もご満悦のようで、リビングのソファーに腰掛けて何やら一人感動している感じだ。


「お役に立てたのなら幸いです。これからは街にご用がおありの時は、いつでも僕にお申し付けください」

「一人で修行してる弟子の時間を奪う真似したくはないけど、これだけ便利だと頼むかもしんない。何だかんだアレ楽しいし」


 やはりあの移動方法は相当お気に召したらしく、非常に前向きに検討しているようだ。尻尾がご機嫌そうに振られていて実に可愛らしいし、楽しい記憶を反芻するように微笑んでいる。

 そんな愛らしいアルマ様のお姿を眺めて楽しんでいたが、しばらくして僕が見ている事に気が付いて恥ずかしくなったらしい。一つ咳払いをして佇まいを正し、尻尾を手で押さえて取り繕っていた。尤も今度は頬を赤く染め恥じらっているので、可愛い事に変わりは無かったが。


「そ、それで? お昼ご飯はあんたが作ってくれんの?」

「いえ、申し訳ありませんが昼食はお師匠様にお願いしてもよろしいでしょうか。さすがにパンから作るとなると、今からでは昼食には間に合いませんので」

「パンから作んの!?」


 僕の答えに思わずといった感じでギョッとするアルマ様。しかし僕としては当然の答えだ。


「あのようなお話を聞いてしまった以上、なるべく他人の手が入っていない物を用意するのは当然です。しかしさすがに今からでは難しいので、その分僕が手間と愛情を込めて他者の精神を塗り潰します」


 アルマ様が料理や食材に含まれた作り手の精神を感じてしまうというのなら、できるだけそれを排するのは当然の事。

 代償として僕の精神の含まれる割合が多くなるという事だが、純粋かつ深く崇高な愛情を抱いている僕の精神ならば、きっと問題無く口にできるはずだ。

 しかしアルマ様としては僕にパン生地から作らせようとは思っていなかったようで、僅かに居心地悪そうな顔をしていた。


「いや、さすがにそこまでさせるのは気が引けるって言うか……」

「安心してください、お師匠様。パンから作るのは今だけです」

「あ、そうなの? それならまあ、多少は罪悪感も薄れ――」

「近日中に周囲の土地を開墾し、畑を作り種から小麦や野菜も育てます。なのでしばらくは辛抱して頂ければ、と」

「コイツ素材から作る気ね!? 誰がそこまでしろって言ったのよ!?」


 化物でも見るような恐れ慄く目を向けられたが、僕からすれば何も不思議ではない。

 ただでさえ辛い過去のありそうなアルマ様が、食事も満足に楽しめない不幸なままなど僕の方が耐えられない。せめて少しでも食事による不快感が無くなるように努力するのは弟子として、そしてアルマ様を愛する一人の男として当然の事だ。食材の生育の段階から作り手の精神が混入するのなら、そこも僕がやってしまえば良いだけの話なのだから。


「お任せください、お師匠様。不肖ネロ・アグノス、魚と山菜と木の実の無限ループから必ずや貴女をお救いして差し上げます。フフフ……」

「さすがにドン引きなんだけど? 私なんかのためにそこまでするとか……怖……」


 アルマ様は怯えた顔でソファーから立ち上がり、まるで逃げるようにキッチンへと走り去って行った。

 おかしいな? 今の台詞は悪漢からヒロインを助ける主人公を意識して口にしたのだが、どう見てもアルマ様のお心には響いていない。僕が恋愛小説を意識した台詞を口にすると、シエルはいつも大絶賛してくれたというのに……。

 とにもかくにもパン生地から作るため時間がかかるという都合上、昼食はアルマ様によるいつものアレを食べ、僕は夕食に向けて料理に精を出した。

 十年間おかしな食生活を続けているアルマ様の胃は退化しているとまでは言わないが、弱っているのは確かだろう。そのためあまり凝った物を作るわけにもいかず、まずは軽めの物をお出しして少しずつ慣れさせていった方が良いという結論に達した。


「――それで、出来上がったのがこれ? 意外と普通なメニューね」

「はい。お師匠様の胃の状態を考え、ひとまずはこの程度にしました」


 そうして、夕食の時間。食卓に着くアルマ様は、拍子抜けといった感じでテーブルに並ぶ料理を見下ろしていた。

 メニューはトーストとハムエッグ、それから野菜スープだ。トーストは事前に宣言した通りに小麦粉を練りパン生地を作り、それを発酵させて焼き上げた食パンを使ったお手製の物。ハムエッグは僅かな香辛料やハーブで優しめに味付けをしたもので、野菜スープは少量の肉と多めの野菜を煮込んで作った薄めのもの。

 かなり素朴なメニューだが、もちろん一切手は抜いていない。渓流の方で滝行して雑念を捨て去り、アルマ様への愛だけで心を満たした状態で料理に臨んだのだ。とはいえ少しだけ、妥協してしまった部分もあるにはあるが。


「申し訳ありません、お師匠様。時間をかけた割には、パン作りを少し失敗してしまいました。知識はありましたが、実際に作るのは初めてだったので……」

「あー、だからそんなアホみたいに落ち込んでんのね」


 そう、パン作りに失敗してしまい、出来がいまいちになってしまったのである。作り直すと夕食に間に合わなかったので、やむなく失敗作をお出しする事になったのだ。

 愛するアルマ様に捧げる料理なのだから完璧でなくてはいけないというのに、この体たらく。穴があったら入りたい気分であり、アルマ様も僕が落ち込んでいるのを一目で察していた。


「ていうか失敗するっていうまともな人間性見せられて逆に安心したわ。やっぱあんたも人間なのね?」

「もちろん僕は人間ですよ。それでパンですが、水分が少々多かったようで生地がかなりベタついています。味も少し薄めです。ご不満ならそれは口にせずとも結構です」

「良いわよ、別に。私にとって食事なんて、いかに不快感を覚えずに栄養を摂取できるかどうかだし、元々味なんてほとんど分かんないから」

「……はい? 今、何と……?」


 パン作りに失敗した事を悔やんでいると、聞き間違いだと思いたい言葉が耳に入ってくる。

 味が、分からない? 作り手の精神を強く感じてしまって、味を感じる余裕が無いという意味か? できればそうであってくれ。もしそうでなかったら、アルマ様は――


「色々あって、味覚は駄目になってるのよ。何を食べても味なんて分からないから、多少マズくたって関係無いわ」

「………………」


 まるで当たり前の事かのように、アルマ様は何の感情も無く淡々とそれを口にする。最悪の予想が当たり、僕はあまりの絶望と悲しみに絶句し眩暈を起こしそうになった。

 作り手の精神を感じてしまい、食事を楽しめないだけならまだ良かった。それなら少なくとも味を楽しむ余地はあるのだから。しかし味覚障害になっているアルマ様には、そんな余地は微塵も無い。何を食べても美味しいと感じる事は出来ず、人の手が入った物を食べればただただ不快な他者の精神を感じてしまうのみ。それは紛れも無い苦行の極み。

 何故だ? 何故アルマ様がこんな辛い日々を送らなければならないんだ? 何故こんな目に合わなければいけないんだ? 何故それを甘んじて受け止めて、平気な顔でいられるんだ? 一体アルマ様の過去に何があったんだ? 



------------------------------------------------------------------------------------------------


・他者の精神を感じてしまい苦痛

・料理や食材から作り手の精神を感じてしまって碌に食べられない

・味覚障害 ⇐ NEW!!

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る