第6話:隠し味は愛情




「――そこの綺麗なお姉さん! うちはお肉が安いよ! 今なら更に値引きするよ!」

「うちは野菜がお買い得だよ! たくさん買ってくれたら二割引だ!」

「ここじゃあ隣国の珍しい工芸品を扱ってるよ! さあ、見てった見てった!」


 客引きの声や喧騒がとても賑やかな、活気に満ちたこの街の名はグリッツェン。田舎というわけではないが、それでも王都と比べると格段に小さな街だ。とはいえ人口がそれなりなのは賑やかな街の様子や往来から見て取れる。歩いているだけでそこかしこから人の話し声が聞こえてくるし、様々な店で客引きのために店員が声を張り上げているので、むしろ騒がしいレベルだ。

 立ち並ぶ家屋もアルマ様のお住いのような完全木造建築の建物は見当たらず、大概は石材と木材を組み合わせたオシャレな感じの建築様式となっている。中には煉瓦のみで作られた家屋もあるほどだ。とはいえ総じてどの建物も階層は低めで、高くても三階建てくらいでしかないが。


「――卵、牛乳、小麦粉、肉、野菜、果物。それから調味料の類。大体必要なものは買いましたね。そうだ、お師匠様は何か食べたいと思うものはありますか?」


 しばらく街を歩いて必要な物を買い漁った僕は、隣を歩くアルマ様にそう尋ねる。

 <空間拡張>エクステンションの魔法がかかったカバンに詰め込めるだけ食材を購入し、そろそろ増加しているはずの最大内容量が怪しくなってきた。なので他に何かアルマ様が好む料理や食べ物があれば、まだ大丈夫な内にそれを買っておかなければならない。


「いや、特には……ていうか一体何を作る気なわけ?」

「そうですね、とりあえず最初は簡単なものから始めようかと。あんな食生活を十年も続けているお師匠様では、あまり凝ったものを作っても胃が受け付けない可能性もありそうなので」

「さすがにそこまで酷い状態じゃないと思うわよ……?」


 などと否定してくるアルマ様だが、もちろん僕は信じない。焼き魚と山菜、木の実というイカれた食生活を十年間続けているのだ。胃がまともな状態であるわけがない。


「ん? あれは……」


 それを実際に口にしかけた時、不意にとある光景が目に入った。


「――すみませーん。ストロベリーホイップクレープ一つと、チョコバナナクレープを二つくださーい」

「はーい。三つで合計六百五十ステラになりまーす」


 噴水がある街の広場の片隅、そこで何やら甘い匂いを漂わす屋台が開かれているのだ。売られているのは、主に様々な果物を薄い生地で包んだようなお菓子。確かクレープといったか。客足は上々といった所で、屋台に群がるように年頃の少女たちが列を成している。

 クリームやチョコレートがたっぷりで、女の子からすれば大いに食欲を誘うお菓子のはず。そう考えた僕は、アルマ様に一つ提案をする事にした。


「ちょうど良いですね。お師匠様、大丈夫だと仰るのなら、お一つあのクレープを食べてみてください。僕が買ってきますので」


 さすがにアレも食べられないレベルなら、作るべき料理を熟考する必要が出てくる。ちょっと重いかもしれないが女の子にとって甘い物は別腹というし、指標としては良い感じだろう。

 故に僕はクレープを購入するために、屋台に足を向け――


「――いらない。食べたくないわ」


 反射的、という表現が相応しい答えを返され、踏み出す足を止める他に無かった。何よりそのお声が酷く冷たかったから。

 恐る恐る振り返ってみると、アルマ様はどこか物悲しい表情でクレープの屋台を眺めていた。


「私、ああいう手作りの料理なんて食べたくないのよ」

「それはまた、どうしてですか?」

「よく料理には愛情が必要だの、隠し味が愛情だのって言うでしょ? 実際それって間違っちゃいないのよ。料理には作り手の精神――どっちかっていうと感情とかそういう物が自然と沁み込むの。だから私はそんなもの食べたくないわ」


 その愛らしい面差しに浮かぶのは、軽蔑、侮蔑、忌避感――そういった、何かを嫌悪し拒絶する感情。

 これを口にしたのが普通の人間だったなら、僕は何を言っているのか理解できなかっただろう。気にせずクレープを力づくで口に捻じ込んでやったかもしれない。少なくともシエルがそんな事をのたまったら間違いなくやっていた。

 しかし、これを口にしているのがアルマ様ならば話は変わる。自他の精神に干渉し、操り、感じる事が出来る精神魔法使いたるアルマ様だからこそ、この発言は比喩では無く現実としての意味があった。


「……お師匠様は、料理に含まれた作り手の精神も感じてしまうのですか?」

「まあね。あんたたちには分かんないでしょ? 下手なもの食べると堪らず吐き戻すなんて事、ざらにあるわよ?」


 アルマ様は痛々しい微笑みを浮かべ、自嘲気味に答えを返してくる。

 これは惨いとしか言いようがない。恐らく愛情だけとかそういう物では無く、作り手が抱えるほぼ全ての雑多な精神を感じ取ってしまうのだろう。

 僕には特に存在しないが、人間誰しも秘密や鬱屈した感情、人には言えない何かを抱えて生きている。アルマ様が料理を口にすると、それらを全て感じる事になってしまうのだ。知りたくも無い人の闇を無理やり感じさせられれば、嫌悪や忌避感で吐き戻すなんて当然だ。いや、それどころかもっと恐ろしい事実が湧いてくる。


「もしかして……素材の状態でも、そこに含まれた精神を感じてしまうのですか……?」

「……マシなものを選んだ結果が、あの食生活なのよねぇ」


 僕の問いに対して、アルマ様は大きなため息を零し、疲れ切った痛々しい笑みで答えた。

 ああ、そうだったのか。何故あんな食生活を十年も続けていたのか、やっと分かった。他人の手が一切入っていないため比較的マシであり、何とか食べる事が出来るからあんな食生活を続けていたのだ。

 食とは人生から切っても切り離せないもの。美味しい物を食べれば幸せを感じるのは、誰でも同じ。僕だって出来れば美味しい物を食べたいという欲求を抱いている。

 しかし、しかしアルマ様にはそれすらも許されないという事か? 美味しい物を食べて幸せを感じながら栄養を摂る食事という行為が、不快を耐え忍びながら栄養を摂る苦行に陥っているなど信じられない。信じたくない。


「お師匠様……!」

「へっ? うわっ!? ちょ、ちょっと!?」


 食事すら楽しめないアルマ様があまりにも不憫で、何とかその苦しみを和らげてあげたくて、気付けば僕はアルマ様を正面から抱きしめていた。

 抱きしめた身体はびっくりするほどに細く頼りなく、満足に栄養が取れていないのは明白だった。いや、取りたくても取れないからこそ、この痛々しい体つきという惨状なのだろう。


「は、離しなさいよ! 何いきなり抱きしめてんの!?」


 アルマ様はすぐさま暴れて僕の腕の中から抜け出し、警戒するように距離を取って睨んでくる。顔は真っ赤で猫耳や尻尾も逆立っており、突然のハグに怒っているのは手に取るように分かった。

 怒らせてしまってなんだが、子猫が全力で威嚇しているような可愛らしい姿に見えて、思わずほっこりとした気分になってしまう。


「すみません、つい衝動的に……」

「へ、変態っ!」


 もちろん謝罪はしたが、凶行に及んだ事で信頼が若干下がってしまったらしい。アルマ様は僕が近付こうとすると同じだけ距離を取る状態になってしまった。

 しかし。しかしだ。アルマ様からの『変態!』という罵りは、何だか無性に胸がドキドキしてくる不思議な言葉だった。もしや僕はマゾだったのだろうか……?

 まあ僕の性癖はともかく、警戒しているアルマ様を落ち着かせるためにも話題を変えた方が良さそうだ。


「失礼しました。お師匠様が手作りの料理を嫌う理由、理解しました。しかしそれでも僕が料理を作ろうとするのを止めないという事は、僕が作った料理は食べて頂けるのですか?」

「……まあ、一緒にいても大丈夫なあんたが作る料理なら、そこまで酷い事にはならなそうだし。少なくとも今食べてるものよりはマシになりそうな気がするしね」


 などと口にしつつ、警戒しながらも隣に戻ってくるアルマ様。先ほどまでよりも若干距離が遠いのは仕方のない事だろう。勢いのまま凶行に及んでしまった罰として甘んじて受け止めるしかない。

 それに先ほどの一件を踏まえても、手作りの料理を食べて貰える程度にはまだ信頼されているのだ。なのでこれ以上信頼を落とす事は出来ないし、その信頼に応えるためにも全身全霊を尽くさなければならない。


「分かりました。お師匠様の期待に応えられるよう、全身全霊を込めて料理を作らせて頂きます。命を燃やし、魂を捧げ、至高の逸品を創り出し献上する事を、ここに誓います」

「たかが料理に賭ける情熱が重過ぎるわ! そんなん食べたら一口で胃もたれ起こすわよ!」

「お師匠様、やはり胃が……」

「違うわ、アホ!」


 どうやらアルマ様は意外とツッコミ属性があるようで、いちいち僕の発言にツッコミを入れてくれる。尤も僕自身はボケているつもりもなく、大真面目に語っているのだが。

 とにもかくにも、僕らはそんな風に楽しくおしゃべりをしながら、街での買い物を終えるのだった。

 そして僕は自身にまた新たな誓いを立てた。アルマ様が安心して食べる事が出来る美味しい料理を、絶対に作ってさしあげようと。



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 Q.作者はアルマ様が嫌い?

 A.いいえ、大好きです。可哀そうであればあるほど可愛い。

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