第5話:認識阻害魔法




「あははっ、すっごく楽しかったわ! こんな気持ち、何十年ぶりかしら!」

「お師匠様に楽しんでいただけたなら幸いです」


 満面の笑みを浮かべはしゃいでいるアルマ様が、ぴょんとボートを降りて地面に立つ。

 調子に乗って安全限界ギリギリまで速度を出した結果、当初の予定より十分も早く街のほど近くに到着した。さすがにあのまま街の中に直接入るわけにも行かず、また途中で必ず水門によって遮られるため、そこで降りる事となったのだ。

 街までまだ多少の距離はあるが、それでも歩いて十分もかからないだろう。これくらいならば徒歩三時間に比べれば雲泥の差である。


「こんなに早く移動出来る上に滅茶苦茶楽しいなら、もう街に行く時は毎回あんたの力を借りようかしらね?」

「お師匠様がお望みとあらば、いつでもお申し付けください。僕としてもお師匠様と一緒にお出かけできるのなら本望です」

「そんな調子良い事言って本当は……あっ」


 疑いの目を向けてくるアルマ様だが、僅かに眉を寄せて見つめてきたかと思えば、今度は目を見開いて頬を赤くする。

 恐らくは僕が冗談とかご機嫌取りの台詞を口にしたと考え、魔法で真意を見抜いたのだろう。しかし僕は本心しか口にしていないので、何も嘘を言っていない事を理解してくれたらしい。本当にアルマ様と一緒にお出かけできるのなら本望なのだから。


「……ま、まあ、必要な時は、頼むわ?」

「はい、お任せください!」


 何やら居心地悪くなったのか、ふいっと目を逸らし歩き始めるアルマ様。もちろん僕は力強く頷き、その後に続く。

 水門があるとはいえ、ここは厳密には街の外。なので周囲には自然の光景が広がっている。見渡す限りの草原に加え、どこまでも続く青い空。実に美しく気分の良い光景だった。アルマ様と一緒にそこを歩いているのだからなおさらである。


「あ、魔物――」

「邪魔をするなぁ! <集束シュトローム水流>・シュトラール!!」

「……ちょっと殺意高すぎない?」


 たまにその幸福な時間を邪魔する不届きな生物――魔物が現れるが、もちろん容赦なく撃退する。

 今も狼型の魔物が三匹ほど現れたものの、切断力のある水のカッターにより薙ぎ払う魔法で一網打尽にした。邪魔された怒りをぶつけたかったのはもちろんだが、アルマ様のお手を煩わせるわけにはいかないという理由もある。


「すみません、お師匠様との幸せな時間を邪魔されてしまったので」

「だからってあそこまで豹変する? あんた意外とヤバい所ありそうね……」


 こちらを振り返り若干引き気味になっているアルマ様の背後で、残骸となった魔物たちの身体が宙に溶けるように消滅していく。

 その光景を特に不思議には思わない。魔物とは元々魔法で生み出された存在。そのためか息絶えるとこうして消滅するのだ。つまりどれだけの怒りをぶつけて残酷に殺したとしても、綺麗に消滅してくれるわけである。何という便利なサンドバッグ。

 これを生み出したのは、かつて魔法の力により世界を滅ぼそうとした魔法使い――通称、魔王。魔物を生み出し操るという魔法によって、全世界を己が軍勢で以て席巻した歴史に残る凶悪な犯罪者だ。

 魔王は大昔の魔法使いたちと、彼らが生み出した体系化された魔法である魔術を操る魔術師たちに討たれたが、魔王が生み出した魔物は依然として存在し、しかも繁殖までして数を増やしているのだ。とはいえ人間というのはたくましいもので、それすらも利用し暮らしを豊かにしているが。


「チッ、クズ魔石か。僕とアルマ様の蜜月の時を邪魔しておきながら、こんな石ころしか落とさないとはふざけているのか?」

「あっ、それ一応使うから取っといてくれる?」

「はい、分かりました! 良かったなお前ら、アルマ様のお役に立てるぞ!」

「あんたもしかして二重人格だったりする? 心の病気とか抱えてない?」


 魔物たちが消え去った後に残った小さな魔力の塊――魔石を回収してカバンに放り込んでおく。

 魔石とは圧縮された魔力そのものであり、膨大なエネルギーを秘めているので様々な分野で用いられる。戦争で使われるような大規模兵器のエネルギー源から、一般家庭で使われる照明やコンロのエネルギー源まで幅広くだ。

 恐るべき怪物を打ち倒すだけでなく、その死骸から得られるものを使って文明を発展させるのは人類の人類たる所以と言うべきか。

 何にせよクズ魔石でもお役に立てる事が分かったので、僕は目についた魔物を片っ端から屠りつつ、アルマ様と二人で街へと向かって歩いた。ボートの旅がだいぶお気に召したようで、アルマ様の足取りは軽快でご機嫌である。

 しかし街に近付くにつれ、徐々に足取りが重くなり目付きが悪くなっていくのが印象的だった。人間不信で人の多い場所が嫌いなアルマ様の事なので、恐らくは街もあまり好きでは無いのだろう。今更ながらそんなアルマ様を街に連れてくるのはどうかと思ったが、すでに来てしまった以上は仕方ない。


「――まさか入街審査があるとは思わなかったな?」


 何故か街の正門で行われていた軽い入街審査を無事クリアし、街に入った所で思わず呟く。

 この街はそこまで大きい訳でも無く、軍事的に重要な地点でも無い。人で賑わってはいるが田舎の村がかなり大きくなっただけ、という平和な印象だ。にも拘らず、身元確認程度とはいえ兵士たちによる審査が行われている事が不思議だった。


「少し前までは無かったのよ。ただ最近ちょっとキナ臭くなってきたから、そのせいでああいう事やってるわけ。ほら、あんたも聞いた事無い? <普通の人々>エクソル・キズモスっていう団体の事」

「<普通の人々>――『魔法と魔術は神にのみ許された世界を捻じ曲げる力であり、それを用いて神の領分を犯す魔法使いや魔術師は滅ぶべし』という教義を掲げた狂信者集団ですね」


 勉強ならこれでもかと言うほどしたので、その辺りの知識は頭に入っている。

 <普通の人々>とは、言わばかなり過激な宗教団体。魔法使い、そして魔術師の存在を決して許さず、そのためなら殺人や破壊活動も厭わない危険な団体だ。もちろん魔法や魔術が神にのみ許された力だという確たる証拠はどこにも無い。


「そう、それ。そいつらが本格的に活動を始めようとしてるって情報が少し前に出たから警戒してるのよ。まあ逆に言えば魔法も魔術も使わない奴らだから、この程度の警戒で十分ってわけね」

「なるほど、そういう事でしたか……」


 教義の内容的に、<普通の人々>の信徒は普通の人間である事を何よりも重視している。魔法も魔術も扱えない、あるいは使わないのだから、兵士に警戒させるだけでも十分なのだろう。

 そして少々驕りが過ぎるかもしれないが、魔法使いである僕なら魔法も魔術も使わない相手にそこまで警戒する必要も無い。なのでそれ以上は特に<普通の人々>に関して聞こうとは思わなかった。


「で、町に来たわけだけど、あんたはここに来た事ある?」

「いえ、ありません。お師匠様のお住いがこの街の近くにあると知った時はどうにかして行けないかと思っていましたが、学生時代は鍛錬と勉強に明け暮れていましたので、ここまでの遠出はさすがに厳し過ぎまして」

「そう。何で学生の時から私の家まで調べてるのかは聞かない事にするわ……」


 ちょっとゾッとした表情で一歩後退るアルマ様。

 怯えられてしまったが、好きな人がどこに住んでいるかを知りたいと思うのは当たり前の感情である。なので怯えさせてしまった事に対する罪悪感はあれど、恥じらいや後悔はどこにもなかった。


「それにしても、この街少しおかしくないでしょうか」

「そう? あんたの頭ほどおかしくはないと思うけど……」

「こんな愛くるしい美少女猫獣人合法ロリお師匠様がお姿を現し街を歩いているというのに、どうして誰も視線を向けないんでしょうか? 何故諸手を挙げて礼賛しないのでしょうか? この街の人々の目は曇っているのでしょうか?」

「曇ってるのはあんたよ、あんた。曇り過ぎて現実が捻じ曲がって見えてない?」


 そう、アルマ様が街を歩いているというのに、道行く人々は誰も視線を向けてこないのだ。アルマ様という美少女を目に出来た喜びに咽び泣く事も無く、魅了されて後をついてくる事も無い。何も変わらぬ街の日常とでも言うが如く、何ら特別な反応を示さないのだ。これは明らかに異常な状況である。


「視線を向けて来ないのは私が魔法を使ってるからよ。誰も私の存在を認識できなくなる認識阻害の魔法をね」


 隣を歩くアルマ様が、横を通り過ぎようとした男性の目の前で手を振りながらそんな事を口にする。男性はそれに全く気が付いていなかった。

 なるほど、そもそもアルマ様のお姿を認識できていないのか。ならば特に反応が無い事も納得だ。アルマ様は普通の男なら絶対一目惚れするくらいの愛らしさだからな。

 というかそれはそれとして、認識阻害を乱用しすぎではないだろうか。街に降りる程度で使用して良い魔法なのか……?


「……あの、お師匠様。もしかしてそれ、常日頃から使っているんですか?」

「そうだけど?」

「……先ほどの入街審査の時もですか?」

「うん」


 なるほど、そういう事か。あの時兵士はアルマ様に対しては特に何も聞かず、素通りさせてくれたのでてっきり顔パスかと思っていたのだが、そもそも認識できていなかっただけらしい。普通に不法入街ではないだろうか。

 いや、<グランシャリオ>に所属している魔法使いなのだから身元は確かだし、そこに関しては問題は無いか。代わりに人とのコミュニケーション以前に接触を完全に断っているのが問題だ。


「あの、さすがにそれはどうかと思いますよ? というかそれで良く入学式で壇上の挨拶とかしましたね?」

「アレは必ず<グランシャリオ>の誰かがやんないといけないのよ。私だって嫌だけど、一番の下っ端だから私に役目が回されるってわけ。本当は人前も、人が大勢いる所も、人の視線も、人そのものも、何もかもが嫌いなのよ」

「そうだったんですか……」


 どうやら思った以上に人間不信の根は深いらしい。病的なまでに他人との接触を断っている姿は、とても痛々しく思えるほどだ。


「こんな根暗で陰気な奴、好きでいても面倒なだけよ。だからさっさと新しい恋でも探した方が良いんじゃない?」


 ご自身がそんな痛ましい状態だというのに、アルマ様はそんな忠告を口にしてくる。しかもどこか不安げに瞳を揺らしながら。

 その矛盾した様子と言動は、人を信じたくても信じられない。信じるのが怖いが信じたい、そういった気持ちが如実に伝わってくる庇護欲を誘う光景であった。実際この発言も僕を試しているのだろう。


「ハハッ、ご冗談を。僕の愛情はそんな簡単に捨て去れるような安っぽいものではありませんよ」


 もちろん僕はそんな忠告など聞き入れはしない。僕が惚れているのも、幸せにしてあげたいのもアルマ様だけなのだから。

 たとえ愛が実らずとも、僕の存在が少しでもアルマ様の慰めになれれば、それだけで僕は本望だ。


「それに人前も人が大勢いる所も、人の視線も、何もかもが嫌いなお師匠様が、僕とだけは一つ屋根の下で共に暮らしているんですよ? 姿を見せ、言葉を交わしてくれているんですよ? それだけでもう、僕は幸せと他の男たちへの優越感でどうにかなってしまいそうなくらいですよ」


 できればラブラブになりたいという欲求は当然ある。しかし今のままでも僕は十分幸せだ。全幅の信頼を置かれているというわけではないが、それでも他の誰よりも信頼されているのは確かなのだ。一つ屋根の下で一緒に暮らす事を許されるほどに。

 特別な男として扱われているのは確かなのだから、少なくとも今はこのままでも良い。アルマ様の頑なな心を解き解すには、きっと長い時間がかかるのだから。


「なので、その程度の事で僕を追い出す事は出来ません。すみませんね、お師匠様?」

「……全く。本当馬鹿ね、あんた」


 呆れたように口にして、ぷいっと正面を向くアルマ様。そのまま少し離れて先を歩き始めるが、それはきっと僕の馬鹿さ加減に呆れて距離を取りたくなったからではない。何故なら顔を背ける直前、微かに笑みが浮かんでいたのをはっきりと目にしたから。


「な、何度でも言うけど、私は絶対恋人とか作らないからね。あんたがどれだけ頑張ってもそれだけは絶対に変わらないし、貴重な時間を無駄にするだけよ?」


 そして念を押すように、あるいは更に僕の信頼を期待し試すように、こちらを振り返らずに再度の忠告。

 優しさからか、あるいは愛と信頼への飢えからか。どちらにせよアルマ様が無性に愛しく思えてくるので問題は無かった。


「いいえ、絶対に変えさせてみせます。僕の事を『好き好き大好き! 愛してる!』と仰るくらい、夢中にさせてみせますよ」

「そ、それを本人に言えるあんたの神経どうなってんの……?」


 などと力いっぱい答えたというのに、精神魔法使いであるアルマ様に精神を疑われる始末。顔を赤くして肩越しにこちらを振り返っているのが実に愛らしくて堪らない。

 この愛らしさを前に自分の気持ちを吐露する事に、一体何の抵抗があろうか。アルマ様が望まないからこそ抑えているだけで、本当はこの場で高らかに叫びたいくらいである。


「ああもうっ、こんな所で馬鹿な会話続けてたら日が暮れそうだわ! さっさと買い物行くわよ! 色々買う物があるんでしょ!?」

「そうですね。お師匠様の食糧事情の改善が最優先でした。行きましょう」


 アルマ様は怒ったように言い放ちながら正面に向き直り、先行して歩き出す。僕はそんな彼女のご機嫌に揺れる尻尾と、どこか軽い足取りを眺めて楽しみながら後に続いた。



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 アルマ様が人里離れた山奥に住んでいるのは、他者の精神を感じてしまって苦痛だからという可哀そうな理由。なお、ネロは一緒にいても大丈夫な模様。

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