第2話:師弟生活の嘆き
アルマ様とのドキドキラブラブ師弟生活が始まってから、早くも十日が経過した。
もちろんその十日間は夢のような幸せに満ちた薔薇色の日々だ。一つ屋根の下に愛する人がいて、いつでも会える距離に可愛らしいアルマ様がいる。おまけにプライベートなお姿を拝見できるし、正直に言ってかなりだらしないお姿も見かけるようになった。
とはいえそれはアルマ様の僕に対する信頼の証とも取れるため、幻滅する事などありえない。むしろ愛する人の新しい一面を目の当たりにする度、それを知る事が出来た嬉しさに舞い上がってしまうほどだ。
至福と喜びに満ちた、愛する人と過ごす順風満帆な日々。不満など何一つ存在しない、素晴らしい新生活――だったら良かったのだが、残念ながら幾つかの不満が存在していた。
「全っ然、師弟生活じゃないっ!!」
「いきなり何なの、あんた……?」
ついにその不満が爆発して、僕はリビングのど真ん中で五体投地して絶望の叫びを上げた。山奥で二人きりだというのを良い事に、夜中にも拘わらずこれでもかと感情を露わにする。
ソファに腰掛けてうとうとしていたパジャマ姿のアルマ様がドン引きしているが、僕の反応はある種正当な物なので構わず続けた。
「どうして僕には弟子としての仕事が何一つ与えられないんだ? 掃除も家事も、理不尽な意味のない雑用も、何もかもやる気はあったというのに、毎日自分で修行してるだけじゃないか!? いや、それどころか何のイベントも無い! 僕とお師匠様の絆が深まり恋が芽生えるようなエピソードが何一つ存在しない! こんな恋愛小説売れないぞ!?」
「どうでも良いけど、リビングのど真ん中で慟哭するのやめてくれない?」
アルマ様に冷たく切り捨てられたが、要はそういう事。この十日間、びっくりするくらい無に満ちた日々なのだ。
弟子としての仕事を与えられる事も無く、さりとて僕の恋愛が成就するか進展するようなイベントも一切存在しない。山奥のログハウスで二人きりでの暮らしという色気に満ちた展開なのに、僕は魔法の修業三昧、アルマ様は大体お昼寝しているという、びっくりするくらい無味乾燥で触れ合いも何も無い日々だった。初日に脱衣所でアルマ様のほぼ全裸を目の当たりにした事以外は、一切何も無い。これは誰だって慟哭して当然である。
「こんなの最初から分かってた事でしょうが。師匠としてあんたに教えられる事なんて無いし、私は恋愛なんかしないって言ったでしょ。あんたもそれが分かってて弟子になったんじゃないの?」
「それは覚悟してましたけど! まさかここまで何も無いとは思わないじゃないですか!? お師匠様は気付けばずっとお昼寝してますし!」
「特にやる事も趣味も無いし、昼寝しかする事無いのよねぇ……」
そう、本人が口にする通りアルマ様は本当にお昼寝しかしていない。というか活動時間がびっくりするくらい少ない。朝食後はちょっとだけ活動して昼食まで昼寝、昼食後は近くの渓流に行って夕食まで昼寝しつつ釣り。夕食後はちょっぴりだけ活動して早くに就寝。これがアルマ様の一日のサイクルである。幾ら猫は何度も昼寝をする存在で、アルマ様が猫人と言えど限度というものがある。
「お師匠様、何でも良いので僕にお仕事をください! このままでは僕はお師匠様に食事を作って貰って修行してるだけのヒモ野郎です!」
「別にそれで良いんじゃない? むしろ私なんかの弟子である事を除けば、かなり恵まれた環境だと思うけど」
「良くありません! 僕はどうせならお師匠様を養いたいです!」
「今のあんたじゃそれは無理ね。私は腐っても<グランシャリオ>に十年在籍してる魔法使いよ。ほんの少し前まで学生だった奴とは財力ってもんが違うわ。悔しかったら精々頑張って鍛錬に励んで、私を養えるくらい凄い魔法使いを目指しなさい」
「ぐうっ、圧倒的な正論だ……!」
縋りついて仕事を強請るも、一部の隙も無い正論で殴り飛ばされ呻くしかない。
一応僕もそれなりの蓄えはあるが、所詮は学院時代に魔法を活かした日雇いの仕事をして溜めた程度の貯金。王族直属の魔法使いであるアルマ様に財力で敵う訳も無かった。まあその割には仕事をしている所を見た事は無いが。
「分かりました。ですが! 僕が成長し経済的に裕福な魔法使いとなった暁には、お師匠様は僕のヒモになって頂きますからね!」
僕は尽くされるよりも尽くす方が好きなので、アルマ様のヒモでいる現状は好ましくない。かといって今の僕では<グランシャリオ>の魔法使いであるアルマ様に勝てる所があるわけでもない。故にこの屈辱と無力感をバネにして、絶対にいつかアルマ様をヒモにしてあげる事を宣誓した。
「あんたの告白はいちいちどっかぶっ飛んでるわね……」
呆れたような目を恥ずかしそうな表情で向けてくるアルマ様。そんな美味しい表情を見られた喜びを糧にして、僕は改めて真剣に修行に打ち込む事を心に決めた。
とはいえ、その他にもやらなければいけない事は目白押しだ。アルマ様の孤独かつ無に満ちた暮らしを賑やかに彩って差し上げる事も忘れてはいけないし、アルマ様に僕を好きになって貰う事も必須。
まあ一朝一夕で恋心や愛を抱いて貰えるとは思っていないので、まずはアルマ様の暮らしを賑やかにして差し上げる事が、修業と並ぶ第一目標という所だろう。ちょうどそれに役立ちそうなものが運良く荷物の中に紛れていたので、僕はそれを懐から取り出しアルマ様にお見せした。
「では弟子としての仕事の話はここまでにして、とりあえずはお互いの絆を深めるためのイベントでも起こしましょうか。お師匠様、お暇ならご一緒にトランプでもどうです?」
「そんな雑なイベントの起こし方で良いわけ……?」
取り出したのはトランプ。
実はこのトランプ、僕の物ではない。恐らくは親友であるシエルの物だ。アイツは結構頻繁に寮の自室に遊びに来ていたので、持ち帰り忘れたトランプがたまたま僕の荷物に紛れたのだろう。後で返さなくてはいけないが、こういうものがあってとても助かった。
「ていうか、あんたそういう遊びもするタイプなのね。てっきり修業と鍛錬と勉強っていう三要素で構成されたお堅い人間かと思ってたわ」
「まさか。そんなつまらない人間ではありませんよ。あとその中心にアルマ様という、最も重要な要素が入りますね」
「あ、そう……」
頬を染めて興味無さげに頷くアルマ様。
これは付き合ってはくださらないか? と思ったがそこまで反応も悪くないようで、ちらちらとトランプに視線を向けている気がする。何だかんだちょっと気になるらしい。やはり人間不信であっても本当は誰かと繋がりたいお人なのだろう。
「ま、まあいいけど? 弟子の遊びに付き合ってあげるのも師匠の仕事ってもんだろうし?」
「ありがとうございます、お師匠様。しかしこれから行うのはただの遊びではありません。お師匠様、僕と一つ賭けをしましょう」
「賭け? お金でも賭けるわけ? あんたそういうのは良くないわよ……?」
「違います。僕が勝利したならば、僕に何か弟子としての仕事を振ってください。それが賭けの内容です」
「そこまでして私に尽くしたいとかマジで病気ね……」
胡乱気な瞳で見られ、何だかちょっとゾクゾクしてしまう。
しかし愛する人に尽くしたいと思うのはそんなにおかしな事だろうか? 世の中には愛する人に踏まれたいだの罵られたいだの言う人がいるし、それに比べればだいぶ大人しい方な気もする。
「ちなみに私が勝ったらどうなるわけ?」
「何でもお好きに決めて頂ければと。ただし、弟子をやめろと命じるのだけは絶対にやめてください。それだけはどうかお願いします」
「弟子にしたのは私の意志だし、さすがにそんな事はしないわよ。でも他に何も思いつかないわね……」
「では僕が恥ずかしい過去や秘密、趣味を暴露するというのはどうでしょう? 少々躊躇いがありますが、アルマ様になら――」
「興味ないから別に良いわ」
「あ、はい……」
ばっさりと提案を切り捨てられ、心が砕けそうなくらいに痛む。
僕の過去にも秘密にも趣味にも興味が無いという事は、僕という人間に興味が無いという事を意味する。一瞬の躊躇いも無い即答だったので、余計にグサリと心に突き刺さる返答であった。
しかし僕は決して諦めない。両想いから始まる恋なんて恋愛小説の中でも極めて稀なのだ。まずは僕に興味を持ってもらう事から始めなければいけない。
とにもかくにも、僕たちはトランプで遊ぶ事になった。食事の時のようにリビングのテーブルを二人で囲み、行われるはオールドメイド――通称ババ抜き。ジョーカーを一枚抜いて山札を分け合い、数字がペアになっているカードを捨て、後はお互いの手札から交互に一枚ずつ抜いてどちらが先に手札を捨てきるかの勝負だ。
正直僕はこの手の勝負が得意だった。ポーカーフェイスとまでは言わないが表情に出さないのは得意だからだ。少なくともシエルのように一目で分かるほど感情豊かに反応はしない。
「――はい、私の勝ち」
「びっくりするくらいストレートに負けた……」
しかし所詮は井の中の蛙だった。一度もジョーカーを押し付ける事が出来ないまま、僕は無様に敗北を喫する事となった。見事なまでにアルマ様のストレート勝ちである。
とはいえちょっと得意げに頬を緩めているアルマ様が見られたので、悔しさは欠片も無かったが。
「そもそも精神魔法使いの私相手にこの手の勝負をするのが間違ってんのよ。例えあんたが覆面被ってたとしても負けるのが難しいわ」
「では、三回勝負という事にしましょう。次こそ、次こそ必ず勝ちます!」
「その無駄な自信はどっからくんの……?」
冷めた目で見てくるアルマ様だったが、別に僕は勝利を確信しているわけではない。何なら勝敗はどうでも良かった。
もちろん勝てば弟子としての仕事を貰えるので嬉しいものの、負けても楽しく遊んだという結果が残る。実際遊んでいる最中のアルマ様はかなり楽しそうに尻尾を振っていたし、僕を見事下した時は一瞬だけ勝ち誇ったような笑みを浮かべていた。
多少とはいえアルマ様の虚無に満ちた日々を楽しく彩る事が出来ているし、一緒に遊んで僅かに絆を育む事が出来ている。トランプで遊ぶという単なるお遊戯のレベルだが、元より僕の恋路もアルマ様の人間不信の治療も、長期戦になるのは明白だ。最初の一歩はこの程度でも問題無いだろう。あわよくばこのトランプでの勝負を、毎晩の恒例行事にでも出来れば完璧だ。
「――はい、また私の勝ち」
「五回勝負! 五回勝負でお願いします!」
「別に良いけど、さすがにハンデとかいるんじゃない? 何か弱い者苛めしてる気分よ?」
「フハハハッ! そこまで舐められては僕も本気を出すしかないようですね! 今度こそ僕が勝って見せます! お師匠様、お覚悟を!」
何だかんだアルマ様も楽しそうだし、この様子だと恒例行事にするのも難しくなさそうだ。うん、一歩ずつ確実に進めて行こう。僕はそうやって努力してきたのだから。
ただ弟子としての仕事と絆を深めるイベントに関してはこれで何とかなりそうだが、もう一つ存在する不満、というか心配事に関してはどうするべきか……いや、まだ偶然かもしれないし、ここはもうしばらく様子を見てみよう。
そんな風に色々考えながら、僕はアルマ様にジョーカーの位置を悟られないよう、目を背けてシャッフルした上で表を見ないようにして手札を見せつけた。しかしそれでも負けた。勝敗はどうでも良いと思ったが、さすがにちょっと悔しくなってきたな、これは……。
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これがラブラブ師弟生活か……?
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