第2章

第1話:師弟生活の幕開け

⋇性的描写あり




 アルマ様の弟子となってから、僕は初めての朝を迎えた。

 環境が変わって少し寝つきが悪くなったものの、だからといって毎朝の修業を欠かすわけにはいかない。なので気合を引き締めるためにもまずは顔を洗おうと考え、洗面所に向かい――


「んにゃ……?」

「……おおっ!」


 そこで一糸纏わぬアルマ様のお姿という、この世の何よりも素晴らしい美の女神が創りたもうた奇跡を目の当たりにした。

 いや、正確に言えば全裸では無い。無地の白い木綿のパンツを今正に腰から下ろそうとしているので、かろうじて全裸では無かった。しかし、それ以外は何の布切れも纏ってはいない。か細い手足も、肉付きの薄い太腿も、肋骨が浮き出た痩せた身体も、ものの見事に曝け出されている。普段よりも一段と跳ねたエメラルド色の長い髪が、ギリギリの所で胸元の禁則地を覆い隠しているという有様だ。

 なるほど。どうやらアルマ様には朝から入浴、あるいはシャワーを浴びて脳を覚醒させるという習慣があるようだ。その証拠と言うべきか、アルマ様はどうにも未だ状況を理解できていないようで、寝ぼけ眼で僕をぼーっと見つめていた。正直このままパンツを脱いでも不思議ではないくらいに頭が働いていなさそうだ。


「美しい……」


 僕の場合は状況を理解しているのに、自然と美を称える言葉が口から零れ出てしまう。

 しかしそれも仕方ない。真に美しいものを目の当たりにした人間は、あまりの感動に正気を失っても何ら不思議では無いのだから。


「……申し訳ありませんでした」


 とはいえ幾ら美しいと言っても、ここでずっと眺めているのはあまりにも不敬かつ下劣な行い。故に僕はそっと一歩後退り、誠心誠意の謝罪を口にしてから洗面所の扉をピシャリと閉めた。

 本音を言えばもっと見ていたい光景だったが、無論そんな事は許されない。アルマ様が嫌がる事は決してしない。それが自らの心に誓った愛のルールなのだから。


「――にゃああああぁあぁあぁぁぁぁぁああぁっ!?」


 たっぷり十秒ほど経過した直後。ようやく状況を理解したらしいアルマ様の甲高い悲鳴が、扉の向こうでこれでもかと上がった。






「――それじゃ、ちょっと話をしましょうか。言っておくけど、嘘をついても分かるわよ?」

「はい。嘘偽りなく真実を述べると誓います」


 数分後、場所を移してリビング。ソファーに腰掛け真っ赤な顔でこちらを見下ろすアルマ様の前で、僕は床に正座してひたすら素直かつ従順に頭を下げていた。

 予想に反して、アルマ様は意外にも冷静だった。しばらくして洗面所から出てきた時も、足元で土下座をして待っていた僕に暴行を働いたり罵声を浴びせる事は無く、釈明の機会を与えてくださったのだ。僕としては問答無用で蹴り飛ばされる事も覚悟していたので、あまりの優しさに咽び泣きそうになってしまったほどである。

 というか今は感動で涙が出そうだ。何故なら今、目の前にいるのはパジャマ姿のアルマ様だからだ。

 どうやら先の一件の後にシャワーを浴びる気にはならなかったようで、昨晩身に着けていたであろう服装で洗面所から出てきたのだ。途轍もなくシンプルで簡素、色気の欠片も無い薄緑のパジャマであるが、僕としてはアルマ様のそんなプライベート極まる姿を見られたことが何よりも嬉しかった。あまりそういう姿を見せるつもりは無かったのか、昨晩のアルマ様はずっと魔法使いのローブを身に纏っていたのだから。

 故にアルマ様が眠りにつく時の服装を見たのはこれが初めて。不慮の事故の結果とはいえ、さすがに喜びを抑えきれなかった。

 とはいえ今は釈明の場。緩みそうになる頬を何とか必死に取り繕う。


「あ、あんた……わざと、覗きに来たの……?」

「いいえ。誓って故意ではありません。日課の修業に出かける前にまずは顔を洗おうと洗面所へ向かった所、扉が開いていたためにお師匠様が使用中とは思わず、確認を怠りそのまま中に足を踏み入れてしまったのです。するとそこには美の女神が創りたもうた芸術の極みとも言える、お師匠様の筆舌に尽くしがたい美しき裸体が――」

「そこまで正直に言うな! ていうか見た物は忘れろ、馬鹿っ!」


 ありのまま正直に状況を説明すると、途端にアルマ様は真っ赤なお顔で遮ってきた。怒りと恥じらいがミックスされたその表情は、失礼ながらとても愛らしく可愛らしい。


「申し訳ありません。ですが真実を述べると誓いましたので」

「あんた本当はそれにかこつけて私を辱めようとしてない!?」

「いいえ、決してそのような意図はありません。恥ずかしがるお師匠様はとても可愛らしいのでもっと見たいとは思いますが」

「何も嘘言ってないわ、コイツ!? クソ正直なのが余計に性質悪い!」


 どうやら僕の嘘を見抜く類の精神魔法を用いているようで、アルマ様自らが真実である事を肯定してくれた。

 なるほど、考えてみればアルマ様に嘘は通じない。確実に白黒つけられるからこそ即座に罰を与えたりはせず、釈明の機会を与えてくださったという事か。


「と、ともかく、私がシャワー浴びようとしてる事を知ってて覗きに来たってわけじゃないのね?」

「はい。故意ではありませんし、お師匠様に早朝からシャワーを浴びる習慣があるという事は今回初めて知りました。まあ故意ではない代わりにお師匠様に恋はしていますが」

「説教の最中に変な事言うな! この馬鹿っ!」


 小粋なジョークで場を和ませようと思ったのだが、さすがにちょっと状況が悪かったらしい。赤みが多少引いていたアルマ様の面差しが再び耳まで真っ赤に染まり、猫耳や尻尾の毛が逆立った。まるで警戒する猫のようだ……。


「まあ恋はさておき、僕からも少しお尋ねしたい事があるのですが構いませんか?」

「何よっ!?」

「そもそも何故洗面所に鍵をかけていなかったのでしょうか? それに決して責任転嫁するわけではなく単純な疑問なのですが、僕が近付いてきている事が分からなかったのですか? 他者の精神を感じ取ってしまうアルマ様ならば僕の接近程度、山の麓からでも察する事が出来そうなものですが」

「あー……うん、それね……私、朝は凄く弱いのよ。正直頭も全然働かないから、無理やりシャワー浴びて覚醒してる感じ。で、そんな状態だから私に敵意も害意も抱いてないあんたの精神なんて特に気に留まらないわけ。ちょっとでもそういう感情抱いてたら、寝起きのボケた頭でも分かるんだけどね……」

「ああ、そういう……」


 居心地悪そうにしながらも答えてくださるアルマ様に、僕は心から納得した。

 確かにあの時のアルマ様は相当寝惚けているのが一目で分かる状態だった。あのまま最後の砦であるパンツも脱ぎ去り、そのまま何事も無かったようにシャワーを浴びに行くのではないかと戦慄してしまうほどに。

 あのような状態では自分に害を及ぼさない者の接近など気にも留めないだろうし、そもそも気付けないというのも容易に頷けた。何なら昨晩から一つ屋根の下に弟子がいるという事も忘れていただろう。国を容易に傾けられる精神魔法使いたるアルマ様の、意外極まる弱点を知った感じだ。


「……まあ、うん。そういう事なら、今回は不慮の事故って事にしてあげるわ。私も正直、あんたがいるんだって事も完全に忘れて鍵かけてなかったし、お互い様って事で……」


 僕が真実しか述べていない事は分かっていて、また自身にも非が無いわけではないと考えたらしい。アルマ様は実に温情のある結論を口にした。


「そんな! お互い様にしては僕が得た物と釣り合いが取れません!」

「いきなり何の話!? 得た物ってあんたは何を得たの!?」


 しかしお互い様では僕の方が納得できない。何故なら僕はアルマ様の全裸に近い半裸を見てしまったのだ。そして無駄に記憶力の良い僕は、その光景をバッチリと記憶してしまっている。それこそアルマ様が履いていたパンツの皺の位置や数までくっきりと覚えているし、浮き出た肋骨のラインが何本かも正確に記憶している。

 あんな素晴らしい光景を見てしまったというのにお咎め無しでは、僕の良心が許せない。


「そうだ! ここは一つ、お師匠様も僕の裸を見る事でイーブンにしましょう!」

「やめろ、脱ぐな! さてはあんた、成績が良いだけで頭はかなり馬鹿ね!?」


 名案を思い付いて服を脱ごうとするが、慌てたアルマ様が即座に腕を押さえてきて止められる。

 おかしいな? 僕の裸はシエルにはかなり受けが良かったのだが……。


「では非常に残念ですが、僕がお師匠様の全裸――もとい半裸姿を見てしまった記憶を消してください。それなら釣り合いが取れます」

「挙句自分から記憶消去の提案!? あんた相当狂ってない!?」


 至極当然の提案をしたまでなのだが、何故かアルマ様は度肝を抜かれたような反応をする始末。

 不可抗力であられもない姿を見てしまったのだから、アルマ様を愛する僕ならそんな記憶は捨て去るのが当然では?


「しないのですか? お師匠様としても、僕の頭の中にご自分のあられもない姿が焼き付いているのは好ましくないと思いますが。それとも記憶の消去は難しいのでしょうか?」

「そりゃあやればやれるけど、さすがにそこまではしないわよ。人の記憶は複雑なの。下手をすると私の事を丸ごと全て忘れるかもしれないわよ?」

「あー……それは、さすがに嫌ですね……」


 アルマ様が望むなら記憶や精神を弄られるくらい構わないが、さすがにアルマ様の事を忘れてしまうのだけは困る。例え忘れても一目お姿を見れば即座に恋に落ちる事は確実とはいえ、今まで積み重ね熟成させた想いを忘れてしまうのはごめんだった。


「でしょ? だからまあ、極力思い出さないようにしてくれれば、私はそれで良いわよ。どうせブス専で幼女趣味のあんたが無駄に大騒ぎしてるだけで、私の裸なんか見られて困るような大したもんじゃないし……」

「いいえ! そんな事はありません!!」

「んにゃぁ!?」


 聞き逃せない自虐的な言葉が聞こえたので、反射的に全力で否定する。少々気迫がこもっていたのか、アルマ様は驚いて引っ繰り返りそうになっていた。


「確かにお師匠様のお身体は不健康なくらいにやせ細っていました! しかし、そこには確かな美がありました! 今にも壊れそうな儚さと、背徳的な幼さが織りなす奇跡の美が! もう一度お師匠様の半裸姿が拝めるのならば、僕は命すら賭けても良いと本気で思っています! お師匠様の半裸姿には、それほどの価値があるのです! それなのに何故そこまで自信が無いのですか!? 正直僕はお師匠様のあられもないお姿を拝見できて大変興奮しました! ありがとうございます!」

「にゃあぁ……!」


 そうして僕は、アルマ様が止めないのを良い事にそこからひたすらに語り続けた。自分がいかにアルマ様の半裸姿に美を感じ、興奮し、幸せを覚えたのかを。

 尤もさすがにテンションを上げ過ぎておかしくなっていたようで、気付けばアルマ様は羞恥のあまりに気絶しており、意識が戻った後は猛烈に怒ってしこたまボコボコ殴ってきたが。

 まあ何にせよ、僕とアルマ様のドキドキラブラブ師弟生活は、かなり賑やかな感じで幕を開けるのだった。



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 速攻で破門されそうですがアルマ様は意外と寛大です。


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