第6話:二人の愛の巣
それから半年後、僕は遂にウォルンタース魔法魔術学院を卒業した。
コラソン様――もといアルマ様の弟子となれた事で、その半年は余生の如き幾分気楽な学院生活だった。しかしだからといって勉学鍛錬その他に手を抜いたりはしていない。何せアルマ様の弟子となった以上、僕の醜態は師であるアルマ様のお顔に泥を塗るに等しい行為だ。決して油断も慢心もする事無く邁進し、無事に三年連続首席の座を手に入れ、優秀な弟子として晴れ舞台を飾る事が出来た。
そして卒業パーティや友人、後輩たちとの内輪の祝いを終えた僕は、迎えに来てくださったアルマ様と二人でハネムーン――ではなく、アルマ様のお住いへと旅を始めたのだ。それが七日ほど前の事である。
「――さ、着いたわよ。ここが私の家」
「おおっ……!」
近くの街から歩いて三時間、それも山の中腹という距離と場所にはだいぶ辟易したが、そんな疲労もアルマ様のお住いを目にした途端に吹き飛んだ。
鬱蒼と木々が生い茂った山の中に現れたのは、こじんまりとした年季の入ったログハウス。所々ガタが来ているようで全体的に薄汚れているし、玄関に至る階段や柱の幾つかが壊れている有様。人の手が入らなくなって十数年経過した山小屋、という表現が一番正しいかもしれない。
「これが……僕とお師匠様の、愛の巣……!」
「家に着いての第一声がそれ? もっと他に言う事無いわけ……?」
だがしかし、僕にはそんな場所でも神々しい聖域に見えた。ここでアルマ様が寝起きし、暮らしている。それだけでこのログハウスの価値は天井知らずに跳ね上がる。
むしろこの手入れされていない外観が、アルマ様のボサボサの髪を想起させて不思議と幸せな気分になる。何だ、このログハウスとても綺麗で美しいじゃないか。
「しかし、随分人気の無い場所にあるんですね。それも普通の一軒家レベル。お師匠様ならそれなりの場所に屋敷を構える事くらいできるのでは?」
「そりゃ腐っても<グランシャリオ>の一員だしお金はそれなりにあるけど、人がいっぱいいる所は嫌いなのよ。精神魔法使いの私は近くにいる人の感情や敵意、害意を感じるから。そういう理由で使用人とかも雇ってないし」
「なるほど。それはとても過ごし辛いでしょうね……」
基本的に魔法使いは己の属性に拘わる事象や現象を感じやすい傾向にあるので、精神魔法使いであるアルマ様が他者の精神を感じてしまうのも当然と言える。もちろん僕も魔法使いなのでそういう感覚は存在するが、僕の場合は別に嫌な気持ちにはならない。
ただアルマ様が感じるのは他人の精神という、触れるには躊躇いのあるもの。街から徒歩で三時間の距離にお住いを構えている辺り、恐らく感じる範囲やそれに対する嫌悪も相当な物なのだろう。
「……ところで、僕は近くにいても平気なのですか?」
「あんたからはその手の嫌な精神は感じないし。まあ、代わりに多少の身の危険は感じるけど……」
などと言いつつ、お顔を若干赤らめるアルマ様。
多少の身の危険というのは、恐らくは性的な方面でのアルマ様への愛情の事だろう。基本的に性と愛は切っても切り離せない物。こればかりは子孫繁栄という本能を持つ生物としていかんともし難い。
それに実際、アルマ様とエッチしたいとは思ってるし、何なら孕ませたいとも思っている。僕も男だし、アルマ様は世界一可愛い美少女なのだから当然だ。
「安心してください、お師匠様。僕はお師匠様の嫌がる事は決して致しません。もしもそんな不貞を働いてしまったら、僕は首を吊るか腹を切って詫びますよ」
とはいえ、あくまでもそういう欲求があるというだけ。アルマ様を無理やり押し倒し泣かせながらそんな真似をするくらいなら、潔く死を選ぶ所存だ。ちゃんとそのために丈夫なロープと切れ味の良い包丁も持ってきているので抜かりは無い。面接に落ちなかったので出番はなかったが、もしかしたら今度こそ出番があるかもしれないからな。
「へぇ、あんたもそんな冗談言うんだ……待って? 冗談なのよね? マジなの?」
「さあ入りましょうか、お師匠様。僕たちの愛の巣へ」
「おい無視すんな! 自殺とかマジでやめてよね!?」
などと険しい顔で叫ぶアルマ様を尻目に、僕は聖域たるアルマ様のお住いへと歩みを進めて行った。
軋む階段を上って玄関前に辿り着くと、木製のログハウスらしくこれでもかと自然の香りが漂ってくる。周囲のウッドデッキを見渡せばアルマ様が使っているのか、年季の入った揺り椅子がゆらゆらと揺れている。
そして正面にあるのは木製の扉。この向こうに広がっているのは、アルマ様が暮らす生活空間。どんな伝手を使っても決して情報を集める事が出来なかった、アルマ様のプライベート空間……!
「クッ、何だか緊張してきました! この扉の向こうに、夢にまで見た光景が広がっている事を考えると……!」
「はいはい。邪魔だからちょっとそこどいて」
「ああっ!」
馬鹿を見る目をしたアルマ様に押しのけられ、そのままウッドデッキにへたり込む僕。あまり掃除がされていないのか、土やら何やらでじゃりじゃりしていた。これは弟子として掃除も頑張らないといけないな。
そうしてアルマ様は鍵を開け、神域に続く扉を開いた。意を決してその後に続いて玄関の扉を潜り、夢にまで見た世界に足を踏み入れる。
「ここが、お師匠様との愛の巣……!」
「もう突っ込まないわよ……」
内装自体はとてもシンプルで、山小屋というよりは物の少ない一般家屋という感じだった。リビングには小さめのテーブルと椅子が一脚、一人がけのソファーが一つ。窓や床を彩るはずのカーテンやカーペットは存在すら無いという具合に、孤独な暮らしが伺えるどこか寂しい光景が広がっている。
はっきり言って、人が住んでいるとは思えない無機質で殺風景極まる異質な光景だ。これに比べればまだ牢獄の方が生活感を感じる事が出来るだろう。こんな寂しい場所で一人にする事など出来る訳が無い。やはり僕がアルマ様を幸せにしてあげなければいけないな。
「小さい家だけど、一応客間もあるからあんたの部屋はそこね。掃除もしておいたから多少は片付いてるわ。家具も最低限揃ってるから適当に使って良いわよ」
アルマ様は自身の暮らしの惨状に気付いていないのか、そこには全く触れない。それでいて僕が使う事になる部屋の掃除はしてくれているのだから、酷い矛盾を覚えたような感覚に陥ってしまう。
恐らく自分自身の事はどうでも良いと思っているのではないだろうか。この分だとアルマ様自身のお部屋もかなり寂しく殺風景なものに違いない。
「ありがとうございます、お師匠様……ところで、お師匠様はいつからここで一人暮らしを始めたのですか?」
「ん? んー……大体、十年くらい前かしらね?」
「な、なるほど……」
こんな牢獄よりも酷い場所で十年。これには僕も思わず言葉に詰まってしまった。
街から遠く離れた人気の無い山の中で、牢獄よりも殺風景な空間で十年も孤独に暮らす。人間不信と精神魔法の弊害に加え、自己評価が激烈に低いアルマ様らしいと言えばらしい暮らしかもしれないが、普通に考えてそんなものは拷問の類。
そしてそれを拷問だと理解できない状態のアルマ様が何よりも哀れで――幸せにしてあげたくて堪らなかった。
しかし今の僕はただの弟子に過ぎない。そこまで踏み込む事はまだ無理だ。今の僕に出来る事は、せめてアルマ様との暮らしを面白おかしく賑やかにして、今は孤独ではないと感じさせてあげる事くらい。
「なに? 年のいったババアだって分かって幻滅した? ふん、あんたの好意も所詮は――って、さっきから何してんの……?」
「スー……ハー……」
なので、僕は大きく両腕を広げて深呼吸を繰り返していた。
別にアルマ様が思ったよりもお年を召されている事に気付いて、ショックで飛びそうになった意識を必死に繋ぎ止めているわけではない。そもそもアルマ様の年齢は知っているし、獣人であるアルマ様の寿命は長いので非常に若い方だという事も知っている。そもそも美少女の見た目なのだから年齢如きで揺れ動くほど軟弱な愛は抱いていない。
「これが、十年積み重なり熟成されたお師匠様のフレグランス! まるで年代物のワインのようにコクのある深い香りだ!」
僕がやっているのは、アルマ様のお住いに漂うアルマ様の香りを体内に取り込み味わうという行為。十年もここで暮らしているせいか、ここにはアルマ様の香りが濃厚に漂っている。たった一呼吸で甘く爽やかな香りが脳髄を貫き、全身が痺れそうになってしまうほどだ。
もちろん僕は嫌らしい気持ちでこんな真似をしているわけではない。これこそが面白おかしく賑やかにして、アルマ様の孤独を忘れさせてあげるための行為なのだ。基本的に女の子という生き物は、自身の匂いを嗅がれる事に凄まじい羞恥を感じる生き物である。幾ら自己評価が低くとも、アルマ様は女の子。こんな真似をされれば平気でいられるわけがない。
「な、なななな、何やってんの!? ていうかワインと一緒にすんな! さすがに発酵なんかしてないわよ!」
その証拠にアルマ様はお顔を真っ赤にして、僕の鼻や口を塞ごうと手を伸ばしぴょんぴょん飛び跳ね始めた。その動きのせいで長い髪が揺れ動き、生アルマ様の香りが僕の鼻孔に直撃してくるとも知らずに。
「スウゥゥゥゥゥゥゥゥゥッ……!」
「嗅ぐな、アホ! 嗅ぐなああぁあぁぁあぁぁっ!」
故に僕はそのまま深呼吸を続け、アルマ様の香りを堪能しつつひたすらにからかい続けた。
尤もさすがにやり過ぎたのか一分もすれば脛に蹴りを貰い、その痛みに床を転がる事になったのだが。それでもアルマ様の無機質な暮らしを彩り賑やかす事が出来たのならば本望だ。これからも何らの形で面白おかしく賑やかしていこうと、僕は脛の痛みを堪えながら胸に誓った。
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⋇1章終了。学園が出ましたが学園要素はもう無いです。
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