第3話:アルマ・コラソン
ウォルンタース魔法魔術学院。
それはここルーナ王国の中で最も格式高く、そして魔法使いの育成に特に力を入れている教育機関だ。魔術師志望の者は他の街に存在する魔術学院にも入学できるが、魔法の才を持つ者は王都イニーツィオにあるこの学院にしか入学できない。というより、魔法の才を持つ者は半ば強制的に入学させられる。
魔法使いは絶対数が少ないため、纏めて教育する方が効率が良いというのもある。しかし最大の理由はもっと単純。大昔に魔法を悪用して世界を滅ぼそうとした者がいたため、同じような惨劇を繰り返さないよう教育を徹底しているのだ。魔法の危険性や扱い方、強大な力を持つ者の責任というものをじっくり教え込むわけである。
「ついに、ついにこの時が来た……!」
そんなウォルンタース魔法魔術学院のある一室のほど近くで、僕は緊張に固唾を飲んでその時を待っていた。
手の震えが止まらない。喉が渇いて乾いて仕方ない。心臓が今にも胸から飛び出しそうなほどうるさくて堪らない。ここまでの緊張を覚えるのは人生で初めてだ。下手をすると今にも気を失ってしまいそうなくらいだ。
しかしそれも仕方ない。何故ならこれから待ち受けているのは僕の夢が叶うか潰えるかという恐ろしい二択なのだから。加えて駄目だったら自決するという不退転の決意を固めている。これで緊張しないわけが無かった。
「すでにコラソン様はあちらの部屋でお待ちになっている。いつでも入室させて構わないとの事だ。準備は良いかな、アグノス君」
「……はい、覚悟は出来ています」
深呼吸して気持ちを整えていると、年嵩の教師が話しかけてくる。いわゆる進路指導の教師なのでこの場にいるのだが、正直僕は彼にあまり良い印象を抱いていない。別に悪い人というわけではないのだが、彼は僕の進路に対してしつこいほど再考を促してきたからな。
いや、普通に考えて彼の対応はむしろ優しさがあるからこそなのだろう。とはいえ僕にとっては余計なお世話でしかなかったが。
「立派な事だ。しかしどうだろう。入室する前に、もう一度考え直してみるのはどうかな?」
「考え直す、とはどういう事でしょうか?」
「君はとても優秀な魔法使いだ。それに数多くの属性の魔術も高水準で扱える優秀な魔術師でもある。座学は常に学年一位で、授業態度も極めて真面目。後輩たちにも慕われている。品行方正で非の打ちどころが全くない。正直ここまで優秀な学生を見たのは初めてだよ」
「恐縮です」
「だからそんな君が、自分の属性と全く異なる魔法使いの弟子になろうとしている事を、私はあまりにも大きな才能の損失だと思う。どうかね? コラソン様の弟子ではなく、<グランシャリオ>第四位――ヴィリロス様の弟子を目指すのは」
「お断りします。僕はこの学院に入学した時から、コラソン様の弟子になる事を決めているんです」
別の魔法使いに弟子入りを勧められるが、当然僕はこれを拒否。そのルートも候補としては存在していたものの、結局は切り捨てたしまだ面接を行っていない今から乗り換えるなどあり得ない。多少精神的にぐらついてしまったのは確かだが。
「なるほど、決意は固いか。何という意志の固さだ。しかし、それこそが君の才能の源泉なのかもしれないな。良いだろう。では、後悔しないように行ってきたまえ」
「はいっ!」
最早彼も諦めたようで、大きなため息を零しながらも素直に背中を押してくれる。僕の決意がようやく分かったかという意思を込めて、とびきりに良い返事を返してあげた。悪い人では無いんだが、僕とはどうしても折り合いがな……。
それはともかく、遂に運命の瞬間だ。これまで出来る事は全てやった。可能な限り努力もした。決して解決できない問題があると知りながら、可能性がゼロより低いと分かっていながらも、この時のために進み続けた。最早後ろを振り返る事などしない。自分自身と、胸に抱く情熱を信じて、最後の一歩を踏み出すだけだ。
故に僕は覚悟を決め、コラソン様が待つ応接室への扉をノックした。
「――どうぞ」
「っ! 失礼します!」
返ってきた可憐なお声に一瞬聞き惚れつつも、意志を強く持って練習通りに挨拶を口にする。そうして扉を開け、緊張に震える足を叱咤してコラソン様のおわす部屋の中へと踏み込んだ。
部屋の中は学園の一室とは思えないほどに豪奢で格式高い内装だった。ソファーは革張りな上にかなり大きいし、カーペットも相当良い生地を使っているらしく光沢すら放って見える。無駄に壺やらシャンデリアで部屋を飾り立ててあるし、調度品一つ取っても高級な物だという事が素人目にも分かる。
しかしそれも当然の事。ここは位の高い人物を歓待するための貴賓室なのだ。今ここにおわすのは、この国に七人しかいない王族直属の魔法使い部隊<グランシャリオ>の一人。僕の面接を行うとはいえ、この貴賓室がその場所として選ばれるのは当然の成り行きだった。
「初めまして、アルマ・コラソン魔法伯様! 自分はウォルンタース魔法魔術学院三年生、ネロ・アグノスと申します! この度、面接の機会を頂けて感謝の極みでございます!」
何十回も練習したはずだというのに、緊張のあまり少し言葉がおかしくなってしまう。だがそれも当然だ。何せソファーの一つに腰掛けこちらに視線を向けてくるのは、僕が敬愛してやまない心の師匠だからだ。
そして何より、彼女はあまりにも可憐で愛らしいから。
そう、彼女。弟子となるために努力の限りを尽くしてきた、僕が敬愛してやまない高名な魔法使い。アルマ・コラソン様は、可憐で愛らしい少女なのだ。
アルマ・コラソン。
性別は女性。種族は獣人の猫人族。身長は百三十八センチ、体重は二十キロ。スリーサイズは不明だが、いっそ病的とも取れる痩せ型。
年齢は三十歳前半とそこそこなものの、獣人族は人族に比べると長命なため、人族換算で言えば十代後半といった所。とはいえ同年代の獣人族と比べてもその小さくやつれた身体は明らかに異常である。
髪の色はエメラルドグリーン。腰元まで伸ばしているその美しい緑の輝きは寝癖もかくやと言うほどに全体が荒れ狂っており、端的に言ってボサボサ。公的な場面でもそんな感じらしいので、恐らくは髪質がしつこい模様。
瞳の色はアクアグリーン。髪の鮮やかな輝きとは異なり、穏やかで清潔感のある淡い青緑色が実に美しい。そのおかげで目付きの鋭さが幾分和らいでおり、見る者に好印象を与えてくれる。
服装は<グランシャリオ>の魔法使いのみが与えられる、専用の豪奢な黒いローブ。プライベートでも大体この格好をしており、僕の目の前にいる現在も同様。身体の成長を見据えて大きめに誂えてあるのか、若干ダボダボなのがまた愛らしい。
そして何より重要なのは、猫獣人なので愛らしい猫耳と猫尻尾が生えている事。素晴らしい。これが無くても愛らしい少女なのは変わらないが、これのおかげで愛らしさが天井知らずに強化されている。獣人の発生原因は記録もほとんど存在しないほどの大昔、獣に変身できる魔法を持った魔法使いが大いにやらかしたせいだと言われているが、僕としてはそのやらかしに大いに感謝したい。
長くなったが、要するにアルマ・コラソン様はクッソ可愛い目付き悪めな合法ロリ猫獣人である。まるで周囲の全てを警戒する薄汚れた野良子猫のよう。そんな僕の性癖どストライクなお方が今、目の前にいる。その美しい緑の瞳で僕だけを見つめてくれている。もうそれだけで緊張を忘れ、興奮で絶頂を迎えそうになったほどである。
ああ、それにしても本当に可愛らしい。あの時見たお姿と何ら変わらない、緑色の子猫だ……何故か僕を見て目を丸くしているが、そんなお姿すらも愛くるしくて堪らない。ああ、可愛い。抱きしめたい。お腹吸いたい……。
「あ、あんた……」
などと少々トリップしていると、何故か目を丸くしているコラソン様がぽつりと呟いた。
マズイ。もしや僕の気持ちが悟られてしまったか? 常日頃からそこまで詳細に見抜こうとするお方ではないと思いたいが、少々気持ち悪い事を考えていたのでドン引きされたかもしれない。
「はい! 何でしょうか!?」
「あ……ううん、何でも無いわ。とりあえずそこ座って?」
「はい! お気遣いありがとうございますっ!」
「あとうるさいからもうちょっと静かに喋って?」
「……はい」
どうやら今回は心を読まれたわけでは無かったらしい。一安心という所だが、緊張と不安を誤魔化すために大声を出していたせいでうるさいと怒られてしまった。そのため僕は意気消沈しつつ、お高そうな光沢を放つテーブルを挟み向かい側のソファーに腰かける。
ああ、目の前にあのコラソン様がいるぅ……写真なら山ほど持っているが、これは本物。生コラソン様だぁ……。
「まずはこっちも自己紹介しとくわね。もしかしたらあんたは人違いに気付いてないかもしれないし。私はアルマ・コラソン。<グランシャリオ>第七位の魔法使いよ」
「はい、存じ上げております。また人違いなどしておりません。僕は間違いなくコラソン様への弟子入りを希望している次第です」
「そう。できれば人違いであってほしかったんだけど……」
僕の発言に対し、重苦しいため息を零すコラソン様。
やはりコラソン様自身、僕が弟子入りの希望を間違った人物に対して行っているという可能性を捨てきれなかったご様子。まあ僕とコラソン様では魔法属性があまりにも異なるので、そう考えるのも仕方ない。
「まあいいわ。とりあえず面接って言ってもここには私とあんたしかいないんだし、もっと楽にして良いわよ? 口調もそんなに固くなくても良いし。私は別にそんな態度を取って貰えるような、大層な人間じゃないから」
「いいえ。栄えある<グランシャリオ>の一員である貴女様に対し、そのような無作法な真似は出来ません。どうかご容赦ください」
「一員って言っても、私は最下位よ? そもそも生まれてきたのが間違いのカスだしね。そんなクズ相手に礼儀とか作法とか気にする必要無いわよ」
「っ……!」
至極当然の事のように自らを卑下するコラソン様に対し、思わず反論しようとして咄嗟に唇を噛んで止める。
やはり事前に集めていた情報通りだ。出来れば眉唾であって欲しかったが今の会話ではっきりした。コラソン様には、自己肯定感というものが存在しない。
たった七人しかいない王族直属魔法使い部隊<グランシャリオ>の一員であり、唯一無二の魔法を持っているというのに、自分の事をゴミか何かだと思っているのだ。信じたくないが事前に収集した個人情報と今の様子、そして会話から考えるに間違いない。
加えてこの情報が正しかった以上、極度の人間不信という情報も恐らく正確なのだろう。ならば下手な慰めはむしろ傷つける結果になる可能性もある。何故なら僕はコラソン様が人間不信で自己肯定感の欠けた存在になってしまった理由を知らない。こればかりは全く情報を集められなかったのだ。
加えてコラソン様からすれば、僕は弟子入り志願をしてきただけの知り合い以下の存在。そんな全く知らない奴が自身の心の深い所に踏み入ってきたら、絶対に拒絶されてしまう。生まれてきたのが間違いなどという言葉を真正面から否定してあげたかったが、ここは断腸の思いで聞かなかった事にした。
「まあ、辛くなったらいつでも口調を変えて良いわよ? ただそういうのが許されるのは私くらいだから、他の<グランシャリオ>の人たちの前とかでは気を付けなさい。下手すると極刑だから」
などとお優しいお言葉を口にするコラソン様だが、自分自身への優しさは欠片も存在していなかった。自分はそういう風に扱われるのが当然とでも思っているかのような、歪んだ認識を感じる。
どうやら人間不信と自己肯定感の欠如は相当根が深いらしい。けれどそんな所も愛らしい……。
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⋇メインヒロイン登場。主人公がちょっと気持ち悪いですが変態ではありません。
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