第3話

 エフは一つ、息を吐いた。


 リグレットに出会い、当分の間は行動が可能になったことへの安堵。


 自分が置かれている状況の理解が、全く進まないことへの不安。


 安堵と不安の混じった溜息だった。


 エフは良くないなと思って、一度、意識を消して、完全に思考を止める。そして、再起動する。


 これはエフの癖だった。この行動をしたところで何か変わるわけではないけれど、何となく、気分がすっきりするような気になるので、エフは思考が鬱屈とした時に、よくやるようにしていた。


 日没までに周囲を確認するという目的は達成したのだ。その結果、この周辺には何も情報が期待できない、という、貴重な情報を得ることができた。これは前進したと言っていいだろう。……うん。いいはずだ。エフは無理やり、そう思うことにした。


 エフは少し気を緩めて、リグレットに話しかけた。


「リグレット。お母さんは、どんな人だった」

「えーっと……ママは優しくて! きれーで! えっと、しゃしん! ママの、しゃしんあるよ!」

「みせて」

「うん!」


 リグレットはいそいそと、肩にかけていた鞄に手を突っ込んだ。にこにこと、それはもう、凄まじい笑顔だった。


 エフはそんなリグレットを、無機質な目で見ていた。


 どこか安全地帯に逃げるのであれば、母親が、リグレットを置いて行くことはないだろう。


 母親とリグレットがはぐれているという時点で、母親側に何かがあった。明日生きているかもわからないような世界で何かがあったということは、高確率で、生命活動に関わる様な何かがあったということだ。


 もう死んでる。こんな世界で、生きているはずがない。そう思ったが、エフは言わなかった。今、リグレットが再起不能になるのは困る。


 エフはリグレットの母親を探しを、それほど真剣にやるつもりは無かった。とは言え、約束が果たされることはないだろうと考えているだけで、反故にするつもりは無かった。


 こんな世界で、相手が、身元の分からない、幼い少女だったとしても。


 人造人間にとって、『約束』は、大きな意味を持つ。

 

「ママはね、きれーなの! リグとね、髪、お揃いなんだよ!」


 しばらく鞄を漁っていたリグレットは、そう言いながら、一枚の写真をエフに差し出した。


 エフは写真を受け取って、眺めた。


 そこには、満面の笑みで写真に写るリグレットと、満面の笑みでリグレットを抱きしめる、金髪の女性が写っていた。これが母親なのだろう。


 エフの国では染髪をする以外に、金色の髪色はありえない。リグレットの母親の目鼻立ちは、完全に異人のそれだ。よって、リグレットと母親が、エフの国の人間でないことは確定とみていいだろう。


 せめて同盟国の人間であればいいが。と、エフは思ったが、戦争の激化が進み過ぎて、同盟国などという概念は、完全に形骸化してしまったことを思い出した。


『魔力持ち』であるから命を奪われることはないだろうが、激化する戦争の中で、どこの国も、異国人に対する敵対感情の高まりは凄まじい。本部に着いた際、リグレットがどのような処遇を受けるかは分からない。


 ……もっとも、我が国に異国人を迫害する元気と人間が残っていればの話だが。


 エフは黙って、写真をリグレットに返した。リグレットは満足そうな顔をして、写真を乱雑に、鞄に突っ込んだ。


「ねっ、ねっ、エフ! 元気? またリグが、まりょく分けてあげよーか?」

「大丈夫。あんまりやると疲れちゃうから、そんなに騒がないで。静かにしていて」

「うん!」


 そうだ。物資だ。


 エフは差し迫った問題の解決に焦点を向けた。


 エフは魔力で動く。だが、人間は水や食料を必要とする。これから大きく移動をするのだから、ある程度の蓄えは必要だろう。


 移動しながら現地調達をするとは言え、恐らく都市部であろうこの辺りの方が、何か見つかる可能性が高い。


「その鞄、他には何が入ってる?」


 エフは、リグレットが母親の写真を探すにあたって、がさごそと乱雑にかき回していた鞄を指さした。


 初めて会った時から、ここまで。ずっと、リグレットは肩に鞄をかけていた。


「んっとねー」


 リグレットはその場に、鞄をひっくり返した。鞄の中身が、バラバラと地面に落ちる




 その時、鞄からひらりと、母親の写真が宙を舞った。




「わっ! ダメダメ!」と言いながら、リグレットが写真を掴もうと、めちゃめちゃに手を動かす。


 エフは冷静に、優しい手つきで、写真を傷つけないように掴む。そして、リグレットに差し出した。


「大事にしなよ、写真」

「うん! ありがと! エフ!」


 この写真も、リグレットにとって大きな支えだ。もう少し丁寧に扱って欲しい。エフは心の底からそう思った。


 改めて、エフは、リグレットの鞄の中身に目を向ける。


 缶詰が三つ。水が満杯に入った、未開封の透明な水筒が一本。真っ白な雑巾が二枚。布製の白い袋が一つ。同じく布製の、黒い袋が一つ。黒い袋は持ち手部分が結ばれていて、中身が入っている。


「その、黒い袋の中身は?」

「えっとね、ごみだよー」


 ごみ? 様々な端材を、ひとまとめにしているということだろうか。


 リグレットの返答が要領を得ないので、エフは結ばれた持ち手をほどいて、黒い袋の中身を確認する。


 黒い袋の中には、空になった缶詰が二つと、空になった水筒が一本入っていた。まさしく、文字通りのごみだった。恐らく、エフに出会うまでに、リグレットが飲み食いしたものだろうと予想がついた。


「……こんな物、持ち歩かなくていい」

「ダメだよ! ごみはちゃんと、ごみ箱に捨てなきゃダメなんだよ?」


 リグレットは本気で言っているようだ。素晴らしい環境美化の意識だなと、エフは思った。


 エフは、缶詰と水筒のごみを、瓦礫の山へと投げ捨てた。「わー!」と叫ぶリグレットは、当然無視された。 


「この鞄はどうしたの?」

「うー……えっとねー、ママがね、一人でお外に出るときは、このカバンを持ってねって」


 有事の際に持っていく、避難用の鞄と言ったところだろうか。


「リグね、ピンクがよかった! このカバン、かわいくない!」


 物流は完全に止まっていたし、生産の余裕もない状態が続いていた。恐らくこの缶詰や水筒など、集めることにかなりの労力が必要だっただろう。


 エフは、敵国を制圧した時のことを思い出した。


 見かけた民間人はみな、やせ細り、全く活気が無かった。それに対して人造人間は、笑顔で元気よく町中を歩き回り、お手伝いを必要とする人間を探していた。


 その国で一番大きな、食品加工工場にも行った。工場には命令待機状態の人造人間が、ずらっと一列に並んでいた。加工場にはベルトコンベアという、物を運搬する装置が張り巡らされていたが、そのベルトコンベアの上には何も載っていなかった。何も流れてこないベルトコンベアを、その脇に立った大勢の人造人間たちが、ただじっと見つめていた。とても不気味な光景として、エフの記憶に、強く残っていた。


「最後に、ご飯を食べたのはいつ?」

「えっとね、昨日の夜! ママには大事に食べてっていわれたから、ガマンしてたんだけどね、おいしかった! おかわりもしたよ!」

「……よかったね」


 底抜けに明るいのは良いが、このままでは、リグレットは、間違いなく長生きができない。リグレットの生存はエフにとっても死活問題だ。エフは、食料と水の確保を急ぐことを、次の目標として定めた。

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終わる世界の王女リグ つい @tsui

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