マリーンのささやかな願い
「じゃあ、プーコの“モギュ家とキャレ家”をリクエストしてもいい?」
オムは一瞬驚いた様にマリーンを見た。え、何かマズイことを言っただろうか?と、マリーンは焦る。
「マリって歌劇に詳しいの?あの歌劇は王都でしか観られないはずだ。相当人気でチケットも未だになかなか買えないらしいけど……」
「え、えぇーっと、王都で暮らしている時に父が歌劇好きで連れて行ってくれたことがあってね、インパクトある曲だから覚えてたの」
ウソである。王宮に歌劇好きな父王がプーコ本人を召し出して演奏させたのだ。当時、新曲であったその曲は、後に歌劇の“モギュ家とキャレ家”として発表されていた。曲のドラマチックな部分に惹かれてマリーンはこの曲が好きだった。
「マリのお父さんってすごいんだね。人気で手に入れられない歌劇の公演に娘も連れて行けるなんて」
「お父様は張り切る時、スゴイ気合入れるから……」
これは事実である。父王は、これだと思ったものに突如としてのめり込むクセがある人物だった。だから、新しく生まれた子が男児であったことから王子の教育に夢中になり、マリーンのことは放っておかれているとマリーンは考えている。
「オレは劇自体を観たことないけど、曲は好きだよ。以前もよく頼まれて弾いていたんだ」
そう言うと、オムは長い指で演奏を始めた。酒場に似つかわしくない曲が流れる。
(ぜんっぜん、酒場向きの曲じゃないけどステキ!)
マリーンが感動で手を胸の前で組んで聴き入っていると、ようやくリムが戻って来た。マリーンが演奏に聴き惚れているのを見ると、リムは大人しくマリーンの側に立って見守る。
「リム、ステキね。懐かしいわ」
「私もこの曲は聴いたことがある気がしますな」
リムは音楽にあまり興味が無く覚えていないようだけど、マリーンの側に護衛として長年付き従っていたリムならば聴いたことがあるはずだ。マリーンはうろ覚えのリムを軽くどついた。
「マリーン様!」
「しっ!マリよ」
演奏が終わり、オムがマリーンとリムの方を向くと微笑んだ。
「ギャラリーが増えてるね。どうだったかな?」
「すっごいステキだった!もっともっと聴きたいぐらい!」
「え、そう?マリに言われると嬉しいな」
リムは目の前で興奮した様子のマリーンを見ると、気の毒に思う。
(本来ならば、マリーン様は王宮で好きなピアノも続けられていたはず)
フロウ町近くの屋敷に来てからなるべく町の者と関わりを持たせたくなかった王はピアノのレッスンを続けることを禁じた。だから、いまだこの地で静養として留め置かれているマリーンに同情していたのだった。
「ねえリム、もっとリクエストしてもいい?オムが良いと言っているのだけど」
「もう、戻らねばなりますまい。日が暮れますぞ」
「えぇ~」
マリーンとリムとのやりとりを見ていたオムは2人に1つの提案をした。
「じゃあ、午前中にここのピアノを借りて弾くのはどう?オレの家にもピアノはあるけど、さすがにお嬢様がうちに来るのはマズイでしょ?」
リムは、目をキラキラさせているマリーンを見たら何も言えなくなる。午前中に早めにこちらに来てピアノを弾けば、午後からの薬販売の営業も滞りなく行える。
「私一人では決められません。ベック様にも伺ってみましょう。さ、今日のところはもう戻りますよ」
リムに促されてマリーンはオムに別れを告げた。
「じゃあオム、また明日ね!」
「ああ、良い夢を!」
リムは若い2人を見て、複雑な気持ちになる。男女のことに疎いリムでも、おそらく2人は惹かれ合っていると感じた。
マリーンはもう16歳。本来ならば婚約者がいてもおかしくない年齢だ。年頃の男女ならば自然と恋することもあるだろう。リムにもかつて恋人がいた。その恋人とは婚約までしたが病気で天に召されてしまったが。
リムは首からかけた十字架を服の上から握りしめると、目の前の恋することを求めている少女を見て、力になってやりたいと思った。
帰宅するとベックにマリーンがピアノ演奏を大層、喜んでいたと伝えるとベックもマリーンの不遇を嘆いた。だが、午前中の酒場を利用したピアノ演奏会に関しては頑なに反対する。
「リム、もし大事なマリーン姫に何かあったらどうするじゃ」
「私も付いていますし2人きりになることはありません。あれほど楽しそうにしているマリーン様を見たらベック様も気持ちを動かされるでしょう」
リムの言葉にベックもしぶしぶ折れた。ちなみに、ザンナは妊娠が分かり、マリーンのお世話が難しくなっていたからリムが責任を持って付き添うことで話がついた。
午前中の演奏会のOKが出ると、マリーンはとても喜んだ。
ベックやリムにとってマリーンは幼い頃から見守ってきた大切な姫君である。些細なことで喜ぶマリーンを見ると、色々とガマンさせてしまっているのだなと反省したのだった。
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