ピアニストのオム
「やあ、この時間に薬が買えると助かるよ!」
夕暮れ、酒場がオープンする時間にやって来たお客から感謝の言葉が述べられる。
「あら、今日は身体でも痛めた?鍛冶仕事は屈んで作業するから腰とか肩とかにくるわよね」
「そうそう、マリちゃん分かってるね。じゃあ、湿布2枚もらえるかな」
「毎度~ キレイにしてから奥さんに貼ってもらってね」
「マリちゃんが貼ってくれる方がいいよ~」
「イヤよ。はい、次の人が待ってるから」
酒場の建物を借りて薬売りを始めてから早くも2年が経った。マリーンはすっかり“薬売りのマリ”として町の人から可愛がられていて、いわゆる看板娘になっている。ベックやザンナ、リムはいい顔はしなかったが、“身分がバレるよりはずっといい”というマリーンの強弁により、今のスタンスが貫かれていた。
ちなみに、町の若者と結婚したザンナはマリーンが第二王女であることは夫にも打ち明けてはならないと誓約書を取り交わしてあるため、ザンナの夫もマリーンは商家のお嬢様だと思っている。
マリーンは自分が王女ではなく、自由に町の人々と気安く会話できることが嬉しかった。王宮にいた頃は使用人達が皆、常に敬語で一歩引いた態度で接してきたので、マリーンは本音で語り合えるこの関係がとても気に入っていた。
「マリ、今日も盛況だね」
ふと見ると、黒髪に近い焦げ茶色のウエーブかかった髪を持つスラリとした青年が立っていた。酒場でピアノ弾きとして働いているオムだ。
「ベックさんは?」
「腰の痛みが再発しちゃってね、リムが背負って家に運んで行ったとこよ。代わりにザンナが来てくれることになっているけど、今はまだ一人ね」
「え、大変じゃないか。オレ、手伝うよ。まだ、お客さんもほとんどいないから」
「怒られない?時間で契約しているんでしょ?」
確認してくるよ!とオーナーに聞きに行ったオムは、マリーンよりも2つ年上の20歳だ。家族皆が音楽家で、オムも小さい頃からピアノを学んでピアノで身をたてていた。ちなみに、オムの兄妹は貴族の家などで音楽家として召し抱えられているらしい。
彼も少し前まで貴族の家でピアノ演奏をしていたが、音楽好きな当主が亡くなるとお役御免となって出身地のフロウの町に戻ってきてバーのピアノ弾きをしていた。
貴族の家でピアノ演奏をしていただけあり、物腰がスマートな彼はマリに対しての気遣いもバッチリだ。
「マリ!オーナーからOKが出たよ。薬の売り上げと店の売り上げは関係あるからって手伝ってこいってさ」
「そうなの?じゃあ、悪いけどお手伝いを頼むわ」
結局、ザンナは急病で来られなくなり、その日はオムが薬販売営業の終了時刻まで手伝ってくれた。後で分かったことだが、ザンナはおめでただったらしい。
ベックを屋敷に運んで戻って来たリムは、カウンターでマリーンと並んで店番をするオムを見て追い出そうとしたが、マリーンが事情を話して止めた。
「オムの手際はとてもいいのよ。リムだと薬草を取り違えてばかりじゃない」
そう言われると、リムは大人しくなる。リムは褐色の肌を持つ195センチ、100キロを超えるガッチリとした30代半ばの騎士だ。あまり自分のことを話さないので詳しくは知らないが、とにかく信仰心が篤く十字架のネックレスをいつも身に付けてよく祈っている。
リムがジトッとした目でマリーンを見つめたが、そんな目でみてもダメとばかりにマリーンは言った。
「リム、自慢のヒゲが乱れているわよ。整えてきたら?もうすぐこちらも終わるし」
ヒゲを指摘されてリムはヒゲを触る。彼は髪の毛こそ坊主だがヒゲにやたら凝っているらしく、ヒゲの手入れをかかさない。大体、お小言など言われそうな時にリムにヒゲのことを言うと、大人しくなるのでマリーンはここぞという時に使っていた。
「では、少し整えて参りますので……」
そう言うと、お手洗いの方へと向かって行く。
「ヒゲ綺麗だったじゃないか」
「いいの。ああでも言わないと、自分が店番を手伝うって強引にあなたを追い出していたわ」
「オレはマリの手伝いができて楽しいからいいけど」
マリーンはドキッとした。オムは時々、サラリとこういうことを言う。オムが自分に好意的であるのは何となく感じていた。
「酒場の営業時間も薬を売っていればもっと皆、喜ぶだろうね。オレもマリがいたら働くのが楽しくなる」
「そ、そう?私もオムのピアノが聴けるのはステキだと思うわ。だけど、遅くになると屋敷に戻るのも大変だし、ちょっとムリかな……」
「残念だな」
そんな会話をしながら本日分の薬の販売を終えた。
「マリ、どうせならリクエストしていってくれない?好きな曲、弾くから」
「え、いいの?」
リムはまだヒゲのお手入れに夢中なのか、お手洗いから戻る気配がない。マリーンは城にいた頃、ピアノを習っていた。だから、ピアノ演奏を聴くのがとても好きだ。今まで、リクエストはしたことは無かったが、“好きな曲を”と言われて心が躍る。
マリーンは大好きだった歌劇の曲をリクエストしてみることにしたのだった。
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