第44話

「ここが……『選別の冥道』か」


 俺はリリスの指さす先を見据えた。洞窟の奥深くに続く黒い空間が、まるで奈落の底そのもののように口を開けている。何かが覗き込んでくるような不気味な雰囲気に、思わず身震いした。


 リリスが杖を握り直しながら、静かに口を開いた。


「ここから先は……選別の場。進む者を試し、価値がないと判断された者は……」


 彼女は言葉を一瞬飲み込む。そして、意を決したように続けた。


「……命を失うわ」


 ノエルが眉をひそめながら補足する。


「『選別の冥道』……その名の通り、生きるか死ぬかを選り分ける試練の階層よ。聞いた話だと、ここを通り抜けた冒険者はほとんどいないらしいわ」


「通り抜けた者がほとんどいない……?」


 思わず聞き返すと、リリスが淡々と説明を続けた。


「そう。この階層には『選別の門』と呼ばれる場所がいくつもある。そこでは、進む者が試練を課されるの。例えば、圧倒的に強い敵と戦うか、命を削るような罠を突破するか。どちらにしても、進めなければ終わりよ」


 ノエルが軽く肩をすくめて言う。


「しかも、この階層では魔物もただの雑魚じゃない。選別するのにふさわしい力を持った奴らばかりが徘徊しているわ」


 俺はその言葉に息を飲んだ。これまでの階層でも十分に危険だったが、次の階層は一段と厳しいらしい。


「……どんな魔物がいるんだ?」


 リリスは険しい表情で答えた。


「『冥道の亡者』……。死者の魂がそのまま形を持った存在よ。人間だった頃の知性や戦闘技術を持っていて、一体一体がまるで精鋭部隊のような強さだって言われているわ」


「知性を持った魔物……厄介だな」


 俺が呟くと、ノエルも同意するように頷いた。


「それだけじゃないわ。道を塞ぐ巨大な魔獣もいるって聞いたことがある。どれも並の冒険者じゃ立ち向かえないような奴らよ」


「それに加えて……」


 リリスがさらに声を落とす。


「最奥には『冥道の裁定者』がいると言われているわ。選別の最終試練を課す存在。その力は……下手なドラゴンより強い」


「裁定者……」


 その名を聞いただけで、胸の奥に冷たいものが走るのを感じた。その存在に認められなければ、この先には進めないのだろう。


「裁定者は、進む者の記憶や弱点を見抜く力を持つらしいわ。心を試し、肉体を試し……最後に全てを否定するかのように襲いかかってくる」


「進む者を選別する、か……そいつを倒さない限り、この階層を抜けられないってわけだな」


 俺は冷たい空気を吸い込む。これまでの試練も厳しかったが、この先はさらに険しい道が待っているのだろう。


 洞窟の奥から、冷たく湿った風が吹き抜けてきた。その風には、鉄のような金属臭と硫黄の臭いが混ざり合っている。不快な空気が肌にまとわりつくようで、気分を悪くさせる。


 リリスが杖を振ると、青白い光が辺りを照らした。しかし、光はすぐに闇に飲み込まれてしまう。降り口の先には濃密な暗黒が広がり、先が全く見えない。


「光が届かないなんて……普通じゃないわね、ここは、ただの迷宮じゃない」


 リリスの声には、微かな緊張が混じっていた。ノエルも周囲に目を光らせながら呟く。


「この音……聞こえる?金属が擦れるような音が遠くから響いてる。誰かが待ち構えてる気配がするわ」


 俺も耳を澄ませると、確かにかすかな金属音が聞こえた。それは、不気味で低い音で、じわじわと恐怖を煽る。


「怖い顔してるわね、ゼラン」


 ノエルが軽く冗談を言うが、その顔もどこか緊張している。俺は気持ちを切り替え、刃を構えた。


「どんな試練だろうと、進むしかない。選別だろうがなんだろうが、俺たちが自分で価値を証明する」


 リリスが微笑み、静かに頷く。


「その通りよ。私たちには立ち止まっている暇はないわ」


 ノエルも弓を構え、冗談めかしながら言う。


「選別?選ばれる側じゃなく、選ぶ側になるつもりよ」


 俺たちは互いに視線を交わし、一歩ずつ降り口へ向かう。暗黒の中へ踏み出すたびに、背筋に冷たい感覚が走る。


「行こう。この先が『選別の冥道』だ」


 こうして、俺たちは死と試練の階層へと足を踏み入れた。


 暗い降り口を慎重に進むと、冷たく湿った空気が一層肌を刺すようになった。遠くから聞こえる風音の中に、不気味なささやきのような音が混じっている。それは誰かの声のようでもあり、何かの悲鳴のようでもあった。


「……感じるわ、何かが近づいてくる」


 リリスが低い声で呟き、杖を構える。ノエルも弓を握り、矢をセットした。


「これは……魔物の気配じゃないな」


 俺も剣を抜き、周囲に目を配る。遠くの闇の中、いくつかの人影がぼんやりと浮かび上がってきた。


「人……いや、違う」


 影が徐々に近づく。鎧をまとい、武器を持った人型の姿。しかし、その顔には生気がなく、体は腐敗している。彼らは明らかに、生きている者ではなかった。


「……冒険者のパーティーだ」


 リリスが震えるように言った。その姿は確かに、かつてこの場所を挑んだ冒険者たちだったのだろう。剣士、盾役の戦士、弓を構える射手、そして杖を持つ魔法使い――その構成は典型的なパーティーのものだ。


「ここで死んだ冒険者たちが……操られてるのね」


 ノエルが呟きながら矢を引き絞る。その手に力がこもるのを見て、俺も剣を握り直した。


「一体だけじゃないぞ……複数いる」


 人影がさらに増え、闇の中から次々と現れる。彼らの目は虚ろだが、動きには迷いがない。その武器を構え、明らかに俺たちを敵と見なしている。


「来るぞ!」


 俺が叫ぶと同時に、剣士が素早く間合いを詰めてきた。錆びた剣を振り下ろすその動きは、不自然なほど正確だ。


「くっ……!生前の技術をそのまま使ってくるのか!」


 剣を受け止めた瞬間、盾役の戦士が巨大な盾で俺を弾き飛ばそうと迫ってきた。


「連携してる……!?」


「一筋縄じゃいかないわね!」


 ノエルが横から矢を放ち、戦士の動きを止める。しかし、その瞬間、闇の中から射手が矢を放ち返してきた。


「!?」


 ノエルは間一髪で避けたが、矢は壁に突き刺さり、低い振動音を響かせた。


「後衛にも注意して!魔法使いが呪文を詠唱してる!」


 リリスが声を上げる。見ると、亡骸の魔法使いが杖を掲げ、炎の魔法を詠唱していた。


「俺が止める!」


 俺は剣を振りかざし、魔法使いに突進した。しかし、その途中で剣士が再び間に入り、進路を塞いでくる。


「こいつら……まるで生きていた頃の戦術をそのまま使っているみたいだ!」


 リリスが冷静に観察しながら魔法を放つ。彼女の浄化の光が剣士を包み込むが、完全に動きを止めるには至らない。


「浄化が効くけど、時間がかかるわ……!ノエル、弓で援護して!」


「わかった!」


 ノエルが素早く矢を放ち、魔法使いの杖を弾き飛ばす。その瞬間、詠唱が途切れ、魔法は未完成のまま消えた。


「よし、今だ!」


 俺は剣士をかわし、魔法使いに迫る。渾身の一撃を振り下ろし、その亡骸を両断した。


「まだだ!盾役が動いてる!」


 リリスの警告に反応し、俺は盾役の戦士に向き直る。その巨体が盾を構え、再び突進してくる。


「硬い……正面からじゃ無理だ!」


 俺は戦士の足元に狙いを定め、剣を振り下ろした。脚の関節が砕け、巨体が崩れ落ちる。


「これで終わりだ……!」


 リリスが再び浄化の魔法を放ち、戦士の体が光に包まれる。動きが鈍くなり、やがて完全に沈黙した。


「はあ……倒したか?」


 ノエルが弓を下ろし、荒い息を吐く。俺も剣を収め、辺りを見回した。亡骸のパーティーはすべて倒したが、その場に残るのは静寂と、不気味な気配だけだった。


「……生きていた頃の記憶や技術を、そのまま戦いに使ってくるなんて」


 リリスが疲れた声で言った。ノエルも険しい顔を浮かべながら答える。


「こんな敵がまだいるなら……次はもっと厳しくなるわね」


 俺は剣を握り直し、次へ進む道を見つめた。


「この先も、生き残るために戦うしかない……だが、俺たちは進む」


「ええ、ここで止まるわけにはいかないもの」


 リリスとノエルが頷き、俺たちはさらに奥へと進んだ。目の前に広がるのは、深い闇ばかりでボス部屋までどれほど進めばいいのかわからず進み続けた。

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