第40話


「次が二階層か……リリス、どんな場所なんだ?」


俺が問いかけると、リリスは少し息をついて説明を始めた。


「二階層は『霧深き洞窟』と呼ばれる場所よ。その名の通り、湿気が多く霧が濃くなることが特徴ね」


彼女の言葉には少し緊張が混じっていた。


「霧ってそんなに厄介なのか?」


「ええ。視界が悪くなるだけじゃないわ。特殊な霧がでねそこでは魔力が奪われたり、体力を削られることもあるの。特に魔法使いの私にとっては大きな負担になるわ」


ノエルがリリスの言葉に補足するように続ける。


「加えて、魔物も霧に適応しているわ。視覚に頼れない戦闘になるから、ゼランみたいな感覚が敏感なタイプは頼りになるわね」


「なるほど。それで、二階層にはどんな罠や魔物がいるんだ?」


俺の問いにリリスが洞窟の奥を指さす。


「まずは、迷路のように入り組んだ通路。道が狭くて動きにくい場所も多いし、霧に紛れて罠が仕掛けられていることもあるわ」


「どんな罠だ?」


「例えば、霧に隠れた落とし穴や、岩が崩れ落ちてくる罠ね。特に、地面を踏みしめる感触には注意して」


ノエルも険しい表情で口を開く。


「魔物はアリ型の魔物が多いわ。群れで行動するから油断すると簡単に囲まれる。あと、毒を持ったタイプもいるから、もし傷を負ったら早急に治療が必要よ」


「アリか……どんな種類がいるんだ?」


リリスが一つずつ説明してくれる。


ブラッドアント群れで襲いかかる赤い巨大アリ。個々はそこまで強くないが、血を吸うことで自分を強化してくる。


「囲まれると厄介よ。一匹一匹は弱いけど、数で押してくるの。」


ヴェノマスアント、毒を操る特殊なアリ。毒液を吐いたり、毒針で攻撃してくる。


「毒状態になると体力が一気に削られるから、絶対に触れないようにして」


アントクイーン、二階層のボスであるアリの女王。周囲のアリを強化しながら指揮を取る存在。


「この女王を倒さない限り、群れが次々と襲いかかってくるわ。動きは遅いけど、耐久力が高いから厄介よ」



「なるほど……つまり、群れをどうやって捌くかがカギになりそうだな」


俺は刃を手に取って軽く振るい、心の準備を整える。


「それと霧のせいで視界が悪い状況にどう対応するかね」


ノエルが冷静に付け加える。


「ゼランなら視界が悪くても敵を探知出来ると思うから任せましょう」


リリスが微笑みながらそう言った。


「確かにこの環境には向いてるかもしれないな」


霧や魔物が相手でも、この特性を活かして乗り越えられる気がした。


「でも気を抜かないでね?罠も魔物も、一瞬の油断が命取りになるわ」


リリスが真剣な顔で言う。


「分かってるさ。さて、準備はいいか?」


俺は仲間たちに視線を向けた。リリスとノエルが頷く。


「よし、それじゃあ行くぞ!二階層、『霧深き洞窟』へ!」


俺たちは二階層の入口に立ち、薄暗い洞窟へと一歩を踏み出した。湿った空気と、わずかに苔が光る薄暗い環境が視界を制限している。耳を澄ますと、水滴が滴る音が遠くから響いていた。


「ここが『霧深き洞窟』か……」


リリスが魔法で灯りを作り出し、慎重に前を進む。青白い光が洞窟の壁を照らし出し、不規則に入り組んだ岩肌がその輪郭を浮かび上がらせた。


「進むたびに湿気が増してくるな」


俺は湿った地面を踏みしめながら、触覚を動かして周囲を探る。見えない場所の状況を知るには、触覚が頼りになる。


「まだ霧は薄いけど、これから濃くなるわ。気を抜かないで」


リリスが注意を促す。ノエルも背中に背負った弓に手をかけながら、警戒の目を光らせている。


しばらく進むと、通路の奥に何か動く影が見えた。それは不自然にうねるような動きでこちらに向かってくる。


「ゼラン、前方に敵! ヴェノマスアントよ!」


リリスが鋭い声で叫ぶ。見れば、壁を這うように現れたのは全長2メートルほどのアリ型魔物だった。その体からは緑色の液体が滴り落ちている。


「毒アリか……くそ、厄介だな」


俺は刃を構え、毒液が滴る地面を注意深く見ながら間合いを詰める。


ヴェノマスアントは壁を駆け上がり、天井に張り付いたかと思うと、頭を反転させて毒液を噴射してきた。鋭い音を立てて飛んでくる液体を、俺は咄嗟に横へ跳んでかわす。


「リリス、魔法で援護してくれ!」


「分かったわ!」


リリスが手をかざすと、火魔法がヴェノマスアントを包み込んだ。だが、アリの硬い外殻が炎を弾き、ほとんどダメージを与えられない。


「外殻が硬い……直接狙うのは効率が悪いわね」


リリスが悔しそうに呟く。


「足元を狙え! 動きを封じる!」


俺は感覚でアリの動きを捉えながら、一気に懐へと飛び込み、刃で足の関節を切り裂いた。


「動きが鈍ったわ!」


ノエルが矢を放ち、正確にアリの頭部を射抜く。ヴェノマスアントは壁から転がり落ち、床に崩れた。


「よし、なんとか仕留めたな。」


俺は触覚を動かして周囲を確認する。まだ他の気配はないが、緊張感は解けない。



先へ進むと、通路が狭くなり、足元に小さな裂け目が見え始めた。リリスが苔の光を頼りに注意深く進む。


「ゼラン、この辺りは落とし穴が多いわ。霧が濃い場所だと簡単に足を踏み外すから気をつけて」


「分かった。先に触覚で確認しながら進む」


俺は前に進み出て触覚を動かし、地面の微妙な凹凸や風の流れを探った。そして――ほんのわずかな違和感を感じる。


「そこだ。右側、踏むな!」


俺が指示を飛ばすと、ノエルが慎重に足を止めた。


「確かに、ここ……地面が柔らかいわね」


ノエルが矢を軽く突き刺すと、地面が崩れ、下から鋭い岩の棘が突き出た。


「落とし穴か、危なかったな」


俺は仲間たちを誘導しながら慎重に通路を抜けていった。


さらに進むと、湿気が増し、霧が濃くなり始めた。視界がほとんど効かず、足元すら見えにくい。


「ここからが本番ね。気を抜かないで」


リリスが声を落として警戒を促す。霧の中では敵の動きを察知するのが難しい。触覚を動かしても、霧の流れに紛れてしまう。


突然、霧の中で何かが動く音がした。


「気配がある……霧に潜む魔物だ」


俺は刃を構え、仲間たちに合図を送った。


霧の中から現れたのは半透明の影。それはスモークウィスプ――霧と一体化した幽霊のような魔物だった。ゆらゆらと揺れる体が幻影のように見え、どこを狙えばいいのか分からない。


「スモークウィスプ! 幻影に惑わされないで!」


リリスが魔法を放つが、霧と同化している影は一瞬で姿を消す。


俺は集中し、わずかな空気の揺れを感じ取る。そして風刃を放つと、狙い通り、実体化したスモークウィスプを切り裂いた。


「……一体だけじゃないはずだ。周囲を注意しろ!」


「いや、もういないみたい」


「そうだな、どっかに行ったみたいだ」


霧の中での戦闘を切り抜けた俺たちは、さらに奥へと進んだ。この階層の環境は体力を消耗させるうえ、魔物が次々と現れる。


「この調子で進むと、アントクイーンの巣にたどり着くのは時間の問題ね。でも、その前にもっと強力な敵が現れる可能性が高いわ」


リリスが険しい顔で呟く。


「油断は禁物だな!次に何が来ても対応できるよう準備しよう」


進むにつれて霧はどんどん濃くなっていき、今では足下を見るのがやっとだ。


「気を付けて、霧が濃すぎるわ!」


リリスの声が響いた瞬間、地面が突如崩れた。


いや、崩れたというより地面が消えた。


「なんだ――っ!」


俺たちは足場を失い、一気に霧の中へと吸い込まれていく。


全員が激しく地面に叩きつけられた。痛みを感じながら立ち上がると、そこは異様な静けさに包まれていた。


「ここ……霧がない?」


リリスが周囲を見回しながら呟く。


霧が完全に晴れ、視界が開けた先には広大な空間が広がっていた。湿った空気と岩の壁に囲まれたその場所の中央には、巨大なアリが鎮座している。


「……アントクイーンか」


俺が低く呟くと、ノエルが弓に手をかけながら冷静に続けた。


「間違いない、この部屋がボス部屋よ!」


アントクイーンはゆっくりと動き出し、その巨体から次々と小さなアリたちが湧き出てくる。女王の体から放たれる威圧感は尋常ではなく、周囲には攻撃を仕掛ける群れが蠢き始めていた。


「全員、構えろ!ここが正念場だ!」


俺は刃を握り直し、仲間たちに呼びかけた。


「勝つしかないわね!」


リリスが魔法の光を手に灯し、ノエルも矢を構えて立ち上がった。


アントクイーンが低い唸り声を上げると、群れが一斉にこちらへ向かって動き出した。

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