第7話 私は司祭さまのことを、実は何も知らなかった。

「待ってくれ」


ユリアス卿の話を聞いて呆然としていた私は、立ち上がったアニタさんに視線を向けた。ユリアス卿はアニタさんを見て眉をひそめたけれど、彼女の言葉を遮る素振りはない。


「司祭さまを捕らえた理由は孤児を人買いに売り払っていたからじゃないのか? サウザーラ領主自らが、サウザーラ領法を破るのか?」


「サウザーラ領法第15条により『サウザーラ領内での人の売買は、サウザーラ領主の認可を得ること。それを怠った場合は犯罪奴隷として拘束する』と規定されている。サウザーラ領主による決定により、サウザーラ領内にいる孤児を買い取ることは合法だ」


サウザーラ領法15条? そんな決まりなんて知らない。偉い人が勝手に作った決まりにすぎないじゃない。

悔しくて奥歯を噛みしめ、両手をぎゅっと握りしめたその時、私の隣に座っていたロッドが立ち上がった。


「そんなことより、司祭さまを解放しろ!! 司祭さまは孤児を売ったりしてない!!」


ロッドが立ち上がり、顔を真っ赤にして叫ぶ。そうだ。司祭さまは濡れ衣を着せられたんだ。

そう思いながらも、礼拝堂にいる兵士たちが剣を抜くと思うと怖くて、横目で兵士たちの様子を窺う。剣の柄に触れる兵士もいたけれど、剣を抜いた兵士は今のところいなくて、少しだけほっとした。


「モルド司祭はサウザーラ領主に無断で孤児たちを人買いに売り、利益を得ていた。これは事実だ」


「孤児院から養子に行ったコニーもジェフリーも幸せに暮らしてる!! 教会にも孤児院にも遊びに来てるんだ!! 何も知らないのに勝手なことを言うな!!」


ロッドがユリアス卿に食って掛かる。私はロッドの話を聞くうちに、養子に出たのに一度も教会や孤児院に顔を見せず、噂も聞かない子たちがいることに思い至った。

盗み癖があったあの子は? 幼い子たちをいじめていた乱暴者のあの兄弟は今、どうしている?

嫌いな子たちだったから、養子に行く話が出た時はせいせいした。孤児院に愛着も思い入れも無さそうな子たちだから、孤児院に顔を出さなくてもおかしいとは思わなかった。……考えれば考えるほど、心が冷えていく。


可愛かったコニーや賢かったジェフリーを養子にと望むのはわかる。でも盗み癖があったり乱暴だったりする子を、自分の子にしたいと思う大人がいるだろうか?


「奴隷商人から、売買の記録を提出させている。奴隷になった孤児たちを花街で確認した。これ以上の暴言は許さない。口を閉じて着席せよ」


「……っ!!」


ユリアス卿に脅されたロッドは悔しそうに唇を噛みしめた。


「ロッド。座ろう」


ロッドと同じように起立してユリアス卿に話しかけていたアニタさんに促されたロッドは口をつぐんで椅子に座った。ロッドを見て息を吐き、アニタさんも座る。

ユリアス卿は私たち孤児や神官を見渡して口を開く。


「私は母を喪った5歳の頃から、サウザーラ領主屋敷にある礼拝堂にある女神像に祈りを捧げ続け、今年、スキル『聖者』とアーツ『最上級回復魔法』と『聖水精製』の能力を得た」


ユリアス卿の話を聞いた私は驚いて目を見開く。礼拝堂には神官と孤児たちのどよめきが広がった。

聖水の精製は司祭さまや、司祭さまよりもっと偉い人たちだけが可能な、女神さまからの恩寵だと教えられてきた。


司祭さまは遠い、尊い国からやって来る。世界中に女神さまのお力を広めるために。

そして、強力な回復魔法や聖水で信徒と孤児たちの怪我や病を癒してくれる。そういう特別な存在だと言われていた。

まさか、神官でもない、領主さまの息子が司祭さまと同じことができるなんて。

……ユリアス卿が嘘を吐いていなければの話だけど。


「恐れ入ります。発言してもよろしいですか?」


礼拝堂の最前列に座っている小太りの神官が、そろりと手を上げて言う。

たぶん、彼は孤児院に関わらない神官だと思う。だから、名前は思い浮かばない。


「許可する」


ユリアス卿が神官に肯き、言った。帯剣した兵士たちに見張られているし、ユリアス卿自身も剣を帯びているけれど、礼儀正しい態度での質問は許されるみたいだ。


「言葉だけで、あなた様が聖水を作り出せるとは、恐れながらとても信じられません。どうか、我々に証を見せていただけませんか?」


「わかった。では、質問をしたそなたが器を用意せよ」


「聖杯は、司祭さまが管理されていてご用意することはできません」


「聖杯である必要はない」


ユリアス卿の言葉に、質問をした小太りの神官は口ごもる。

小太りの神官が困惑して沈黙している様子を見たアニタさんが手を上げた。


「孤児院に、コップを取りに行ってくるよ。木のコップでいいか?」


「できればガラスのコップが望ましい」


ユリアス卿の返答を聞いて小太りの神官が挙手をする。


「それでしたら司祭さまの部屋にガラスのグラスがございます。ただ今、お持ちいたします」


小太りの神官はユリアス卿にそう言った後、助け舟を出してくれたアニタさんに軽く会釈をして足早に礼拝堂を出て行く。

私は司祭さまと話をするし、親切にしてもらったこともあって、司祭さまのことを知った気になっていたけれど、司祭さまがガラスのグラスを使っているなんて全然知らなかった。……孤児院には木と陶器の器しかない。子どもが壊さないように安くて壊れにくいものを用立てたのかもしれないけど、でも。


司祭さまがガラスのグラスを売って、木のコップを使ってくれたなら。そんなことを考えてしまう。

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