中【怨嫁-オンカ-】

***〈葉月潤.side〉


 喫茶店で朝食を済ませたあと、この後のことを話し合う。


「さっそく行くんスよね、リーダー」


 正人は朝から元気だ。

 リーダーが湯呑みに口をつけてから、正人に釘をさす。


「いいか正人、勝手な行動はすんじゃねーぞ」


「わかってますよ〜」


 正人はへらへら笑っている。めちゃくちゃ心配だ。

 続いてリーダーは隣に座っている篠岡さんに視線を移す。


「あと、悪りぃけど篠岡は留守番な」


「……!」


 リーダーの隣でお茶を飲んでいた篠岡さんは、ガーンというリアクションのまま固まってしまった。


「いや、ほら、危険かも知れねぇし……ごめんな篠岡」


「……わかった」


 しゅんと落ち込んで頷く篠岡さんに、リーダーは困った顔になる。

 篠岡さんを危ない目に遭わせたくない気持ちはわかる。けど取り憑かれたことを思うと、一人で留守番させるのは心配だ。


「リーダー、オレも留守番したいんですけど、いいですか?」


 手を上げてそう言ったのは神楽だった。

 てっきり神楽も来ると思っていた俺は驚く。

「実は酷い筋肉痛なんですよ~」とか言いながら笑っている。

 昨日とは打って変わり、今日の神楽に行動力はないようだ。相変わらず自由気ままな性格をしている。

 まぁでも、俺はなるべく神楽の側に居たくなかったから丁度いいかもしれない。




* * *

 神楽と篠岡さんを残し、俺とリーダーと正人は民宿を出て『絹子の社』へと向かう。

 その道中にある白木神社の前を通りかかった時、鳥居の前でリーダーが足を止めた。ここからでも見える御神木に気づいて声を漏らす。


「立派な木だな」


「中が空洞になってて面白いっスよ」


 正人が言った。

 『大杉の聖さま』という名の御神木。

 正人はあの時一人で中まで入って行ったんだったな。

 すると正人が「あっ」と何か思い出したように声を上げた。


「そういえば、ちょっと変わった子供が居たっスよ」


「子供?」


 リーダーは片眉を上げて正人を見た。


「はいっス。御神木の外に出たら小さな男の子が立ってたんです。ふわふわした白髪で、真っ白な着物姿なんっスよ」


 正人のその言葉に、俺とリーダーは顔を見合わせた。


「そのガキは村の子か?」


「さぁ~。話しかけても何にも言わなくて、ニコッと笑ったかと思ったら御神木の後ろに隠れちゃったんです。すぐに確認したんっスけど、居なくなってて……まるで消えたみたいでしたよ」


 俺は思う。

 たしかに変な子供だな。

 白髪に着物って……。


「ん?」


 俺はふと、境内の拝殿近くに人影を見た。

 よく見ると巫女姿の少女だった。

 少女は竹箒を使って履き掃除をしている。


「巫女さんっスね。あの子に男の子のこと知ってるか訊いてみるっス!」


「あっ、正人待てよ!」


 何だか嬉しそうに走って行く正人を俺は呼び止めたが無視された。

 は~あのバカ……さっそく勝手な行動して。

 俺はため息をついてからリーダーに尋ねる。


「リーダー、俺たちも行きますか?」


「……いや、俺はいい」


 気乗りしない様子でリーダーは言った。


「じゃあ俺、正人の奴を連れ戻して来ます」


 俺はそう言い残して鳥居をくぐった。

 正人は巫女の少女と笑顔で話をしている。俺は近くで少女の顔を見て、思わずげっと声を漏らした。

 向田家の三女、向田琴音だ。

 神楽に誘いを断られたあと、なぜか俺を睨んできたんだよな……。


「おい正人。リーダーを待たせてるから早く行くぞ」


「あ、潤先輩! 琴音ちゃんに男の子のこと訊いたんっスけど、そんな子供は村にいないそうです」


 正人は琴音のことをちゃっかり名前で呼んだ。

 琴音が俺を見て無愛想な口調で言う。


「千鶴お姉ちゃんが村で保育士してるから子供たちの話はよく聞くけど、白髪で着物着てる子なんて聞いたことも見たこともないよ」


 琴音はそう言って、急にじとりとした目で俺を睨む。


「ねぇ、神楽さんは? 一緒に来てないの?」


 なんか俺、明らかに嫌われてるよな……。つーかやっぱりこの子、神楽のことが好きなのか。


「ちょっと聞いてる!?」


「えっ……」


 琴音が俺にずいっと顔を近づけ、下から睨みつけてきた。


「神楽なら民宿にいるけど……」


「え~、巫女の姿を見てもらいたかったのに」


 落ち込んでしゅんとする琴音に正人が言う。


「琴音ちゃんは神楽先輩のことが好きなんっスね~」


 そんなことを女の子相手にさらっと言ってしまう正人に驚かされる。

 琴音の反応が怖かったが……


「そうなの! だって神楽さんとても笑顔が素敵な男性なんだもの~!」


 ……心配なかった。

 琴音は頬を赤く染めて照れている。

 正人が腕組みしてうんうんと頷く。


「たしかに神楽先輩は男から見てもイケメンって思うっスよ~」


「でしょでしょ! 素敵よね!」


 きゃっきゃっと楽しそうに神楽について話す二人に、俺は全くついていけない。

 神楽のことなんかどうでもいいから、早くリーダーのとこ戻らないと……


「ちょっと潤、聞いてる!?」


「えっ?」


 琴音に名前を呼ばれてハッとした。

 見ると、また不機嫌になった彼女に下から睨まれている。

 いきなり呼び捨てか……。


「なに?」


「スマホ出して」


「は?」


「スマホで私の巫女姿の写真撮ってって言ってるの!」


 はい?


「……いや、何で?」


「分からないの? 私の巫女姿を神楽さんに見せるためだよ」


 腰に手をあてて、ふんと胸を張る彼女に苦笑するしかない。


「なんで俺が……」


「神楽さんと仲いいんでしょ? 嫌なら自撮りするからスマホ貸して。ほら早く早く!」


 そう言って手を差し出してくる。

 可愛い巫女姿でも、中身はぜんぜん可愛くない。

 俺はとりあえず早く終わらせたくて、彼女にスマホを差し出した。

 何枚か自撮りしてやっと気に入った写真を保存した琴音からスマホを受け取り、やっと解放される。

 最後に「必ず神楽さんに見せて感想訊いてよね」と念を押された。

 正人と一緒にリーダーの元に戻りながら、俺はスマホに保存された彼女の自撮り写真を見てため息をつく。


「……めんどくさい子だよなぁ」


「潤先輩、あの子に気に入られちゃってるっスね~」


 正人が隣から茶化してくる。


「いやいや、嫌われてんだよ」


「わかってないっスね~」


 とか言って正人はにやにや笑った。何なんだ、ムカつく。

 神社を出て、待たせていたリーダーに謝ってから再び歩き出す。

 すると急に正人が足を止めて、後ろに見える神社を振り返った。

 リーダーが言う。


「正人、どうした?」


「……子供の笑い声が聞こえた気がしたっス」


 正人は不思議そうに首を傾げている。

 子供の笑い声なんか聞こえていないのか、リーダーは眉を寄せて言った。


「気のせいだろ。行くぞ」


「はいっス」


 それから再び俺たちは歩き出す。

 ……けど、俺は気づいていた。

 子供の笑い声がしたのも。

 歩きながらしばらくずっと、後ろから追いかけてくるような視線を感じる。

 ちらっと後ろを見ても誰もいない。

 リーダーは俺の様子に気づいているけど、前を向いたまま歩いている。

 だから俺も、気にしないことにした。




* * *

「『絹子の社』は俺の情報にはなかったっス。潤先輩、よくそんな社見つけましたねぇ」


 塚坂峠に足を踏み入れてから正人が言った。


「俺じゃない。知ってたのは神楽だ」


 “この先に社があるよ”

 そう言って神楽は俺を連れて行ったんだ。

 何の社なのかは神楽も知らないって言ってたけど。

 正人がカメラを手に先を歩き、俺とリーダーはその後ろを歩く。

 俺は神楽について再び考え込み、悩んだあげくリーダーにこそっと話しかけた。


「あの、リーダー」


「あ?」


「神楽に関係する話なんですけど……ちょっと聞いてくれませんか」


 今朝からずっと、俺は神楽に恐怖心を抱いていた。

 神楽は普通じゃない。

 そう思っているのはリーダーも同じなはず。

 リーダーが黙って頷いたのを見て、俺は話し始めた。


「俺の住む地域には海があります。その崖縁には小さな祠が建っていて、その祠内部には卒塔婆に似た形の木の板が祀られているんです。母親から聞いた話だと、母親が小学生の頃に崖下に古い木の板が流れ着いて、筆文字で『ユキヒロ』という男の名前が書かれていました。どこから流れて来たのか分からない、けどここへ流れ着いたのも何かの縁だろうということで、彼のために祠を建立したんだそうです。その祠は住民たちから『ユキヒロ様』と呼ばれています」


 リーダーは前方を見据えたまま「ふうん」と呟く。

 俺は話を続けた。


「神楽と初めて出会ったあの日。俺はその祠がある崖の上まで神楽を連れて行ったんです。太平洋の広い海を見せてやりたかったから……」


 崖の上から海を見て、神楽は目を輝かせて喜んでいた。あの時のことは今でも鮮明に覚えている。

 

「今俺たちと一緒にいるあいつは、神楽拓美じゃありません」 


「なんだって?」


「昨晩の騒ぎの時、目を覚ました神楽は俺との出会いをちゃんと覚えていました」


「昨晩の神楽は人格が変わったみたいだったな……」


 リーダーは呟いて眉を寄せた。

 俺はこくりと頷く。


「あの時、神楽が俺に言ったんです。『俺の身体からあいつを追い出してくれ』って」


「あいつって?」


「『ユキヒロ様』です」


 目を見開いたリーダーが足を止めた。

 俺も足を止める。


「神楽に『ユキヒロ様』が取り憑いてるって言いてぇのか?」


「はい。あの時の神楽は『ユキヒロ様』の名前を口にしたんです。だから俺はそう思うんですけど……リーダーはどう思いますか?」


「……」


 リーダーは静かにため息をついてから言う。


「……俺はずっと、神楽拓美は二人いるような気がしてたんだよ」


「二人?」


「あぁ」


 歩き出したリーダーに俺も続く。

 先を行ってしまった正人の姿はいつの間にか見えなくなっていた。


「二重人格ってやつだな。初めて神楽を見た時から漠然とそう感じてたんだよ」


 リーダーは険しい顔で言った。

 

「けど、お前から『ユキヒロ様』のことを聞いて腑に落ちたぜ。そいつが神楽に取り憑いてるっつーなら人格が変わってもおかしくねぇ」


 俺はふと思う。

 神楽が『ユキヒロ様』に取り憑かれているんだとしたら、いつ、どこで神楽は『ユキヒロ様』に取り憑かれたんだろう。

 まさか……俺が神楽を崖の上に連れて行ったあの時か?

 だとしたら、俺のせいで神楽は……


「そうだ……あの、リーダー。昨晩、篠岡さんに取り憑いていた霊を追い出したみたいに、神楽から『ユキヒロ様』を追い出すことって出来ませんか?」


「あ?」


 リーダーは嫌そうに顔をしかめて言う。


「……篠岡の時は、俺の怒りの感情に刺激された『犬神憑き』が、篠岡の体から霊を追い出したんだよ。まぁ霊の方から逃げて行った可能性もあるけどな。つかそう何度も『犬神憑き』の呪いを強めていたら俺の体が持たねぇよ。昨日だけで一年くらい寿命が縮まった気がするぜ」


 リーダーは冗談っぽく言って笑ったけど、俺は深く反省する。


「勝手なこと言ってすみません、リーダー……」


「気にすんな。まぁお前には悪りぃけど、今は神楽の問題は後回しにしようぜ」


「……はい」


 神楽のことは心配だ。けど『ユキヒロ様』が今すぐ神楽のことをどうこうするわけじゃないなら、この問題は後回しにするしかないだろう。

 そう自分に言い聞かせて峠を歩く。


「あ~もう! 二人とも遅いっスよ!」


 その声に顔を上げると、いつの間にか正人に追いついていた。正人は立ち止まって俺たちを待っていたようだ。

 俺は正人の方を見てハッとする。正人のすぐ足元にあの墓石があった。

 そうだ、『心中墓』が途中にあったことを忘れてたな……。


「ん? この石、妙だな……」


 リーダーが墓石に気づいて怪訝な顔をする。


「『心中墓』っスよ。母娘のお墓なんですって」


 正人が言った。この墓石のことは正人も情報として仕入れていたようだ。

 リーダーは黙って墓石を見つめる。

 俺たちは自然な流れで目を閉じて手を合わせた。

 目を閉じたまま俺は思う。

 この墓石の女の子は近くにいるだろうか……。

 もしかしたら、どこかで俺たちのことを見ているかも知れないな……。

 手を合わせ終えた後、リーダーが言う。


「潤、社まではもうすぐか?」


「はい」


「よーし早く行くっス!」


 正人に急かされながら、俺たちは再び峠を歩き出した。





***〈???.side〉


 ……………

 ……

 ……誰モ、ワタシヲ見テクレナイ……


 暗くて誰もいない部屋。

 冷たくて、物音も聞こえない。たまに微かに、人間の話し声が聞こえてくるだけ。

 私はあれから透明な硝子ケースに入れられてしまい、誰も見てくれないのに再び飾られている。

 硝子ケースに閉じ込めらてしまったせいで、私はもう此処から動くことが出来なくなってしまった。

 何のために、私はここにいるのだろう?

 私を作ってくれた男性も、私を見て嬉しそうに名前を呼んでくれた女性も、随分前から姿を見せなくなってしまった……。


 ……悲シイ……寂シイ……


 ギシ、


 その時、襖の先の廊下が軋む音が聞こえた。

 足音だ。近づいてくる。


 ギシ、ギシ、


 足音はこの部屋の前で止まると、襖がゆっくりと開かれた。

 現れたのは––––


「さて、と」


 少年だった。

 暗い部屋に足を踏み入れた少年は、私の方へと近づいてくる。

 和箪笥の上に置かれたケースに閉じ込められている私を見上げて、少年は微笑んだ。


「やあ、はじめまして」


 私に向かって話しかけてくる人間は珍しい。

 そうだ、この人間は廊下で私を見た時も、怯えたり、気持ち悪がったりしなかった。

 そして私は、この少年と一緒にいたあの少年のことが––––


「此処から出してあげようか?」


 少年は言った。

 とても不思議な少年だ。


「その代わりだけど、お願いがあるんだ」


 少年は私をケース越しに見て目を細めると、人差し指を唇に当てて、


「オレのお願いを一つ聞いてくれるなら、此処から出してあげるよ。小さくて可愛いお人形さん」


 そう言って怪しげに微笑む。

 お願いを一つ聞く……

 そうしたら、私は此処から出られる……

 あの少年に、また会いに行ける……


「お願いは守ってね、約束だよ」


 硝子ケースから私を取り出し腕に抱くと、少年は部屋を出て歩く。

 腕の中で……私はまるで子守唄のような優しい少年の声を聞く。


「大丈夫。君は純粋でいい子だから、彼も君の気持ちをちゃんとわかってくれるさ」



 ……………

 ……




***〈葉月潤.side〉


 それからしばらく歩き続けた俺たちの目の前に鳥居が現れた。

 その先に社が見える。俺たちは鳥居の前で足を止めた。


「……あれか」


「どうっスかリーダー、何か感じますか?」


 横から正人がワクワクした様子でリーダーに問うと、リーダーはため息をついた。


「別に。今のところは何も感じねーな」


「え~つまんねぇの、痛い!」


 リーダーに足を思いっきり踏まれた正人が悲鳴を上げた。

 俺は改めて確認する。


「リーダー、本当に何も感じませんか?」


「あぁ。お前はどうなんだ?」


「俺も特に……何も感じませんね」


「たしか野生動物に荒らされて、扉が開いてたって言ってたよな?」


「あ、はい」


 リーダーは顎に手を当てて、眉をひそめる。


「そのせいで“中身”が外に出ちまったのか」


「え、中身?」


「中身っつーのは向田絹子の魂だ。この社に彼女を閉じ込めていたが、扉が壊されたことで出られたんだろ。そして篠岡に取り憑いた……」


 リーダーは低い声でそう言った。

 この『絹子の社』に、向田絹子を閉じ込めていたのか。

 でもなんで、そんなことをしたんだ?


「リーダー凄いっスね! なんか霊能者みたいでかっこいいっス!」


「黙れ正人殴られてぇのか」


「はい! すいません!」


 リーダーに睨まれた正人は俺の後ろに逃げた。

 リーダーは苛立ちげにため息をついて言う。


「中身が無いなら大丈夫だろ、さっさと中を確かめるか」


「「え?」」


 俺たちは目をぱちくりさせた。

 確かめる為に来たんだけど……梢さんの許可なく勝手に弄って良いのか今更不安になってくる。

 リーダーは社の方へ歩いて行き、社の正面に立つと扉を確認してから後ろにいる俺たちを呼ぶ。


「鍵の代わりに針金で閉じてるぜ。これなら開けられるだろ」


「さっそく開けるっス!」


「任せたぞ正人」


「イエッサ!」


 正人はやる気満々だ。

 二人が扉を開ける作業をする後ろで、俺はその様子を見守った。


「よし、取れたっス!」


 しばらくして針金を外した正人が声を上げた。

 リーダーが扉に手をかける。

 俺と正人はしゃがんでいるリーダーの頭の上から扉の先を確認する。


 ギィィ…


 リーダーによって、扉が開かれた。


 ギィィ……


 扉が完全に開かれた瞬間、社の中から冷たい風が、すぅ、と吹いた。

 その冷たい風に体が一瞬震える。


「…………あぁ、なるほどな」


 社の内部を見てリーダーが低く呟いた。

 俺たちも中を覗き込む。そして目を見開いた。

 外からの光に照らされた社の内部には––––古井戸があった。

 蓋もなく、ぽっかりと黒い穴を開けた古井戸を見た瞬間、俺は背筋に悪寒を感じた。

 社の中に、古井戸……

 一体、なぜ……?


「見ろよ、彼女はずっとこのせいで社から出られなかったみたいだぜ」


 一人冷静なリーダーは、社の内側を左から天井に向かって円を描くようにぐるりと指差していく。その指先を視線で追いながら、俺はゾッとした。

 内側の壁一面に、びっしりと御札が張り巡らされている。

 左右の壁に、天井まで……茶色く変色した御札が何十枚も……

 御札に囲まれた古井戸がポツンと中央に存在している、異様な光景だ。


「……リーダー、これは一体……」


「古井戸がある理由は俺にも分からねぇな。けど、向田絹子の魂を大量の御札を使って封じ込めていたのは確かだ」


 リーダーは顔を曇らせる。


「ここまでしなきゃならねぇ理由があったんだろうな……」


 俺は千鶴さんから聞いた話を思い出して口にする。


「向田絹子は、梢家の長男である梢矢一と結婚するはずでした。けれどその前夜に、梢家の次男に何らかの理由で殺された。この場所で……」


「う〜ん、古井戸に突き落とされて殺されてたりして」


 正人が緊張感のない口調でそう言った。

 この古井戸に突き落とされた可能性か……。

 口を閉ざしてしまった俺の代わりに、リーダーが口を開く。


「まぁそう考えることもできるな。篠岡が言っていた暗くて寒い場所っつーのは古井戸のことで……彼女は長い年月ずっと井戸の底にいたが、ようやく外に出ることができて––––」


 ざわっ


 空気が一変する。

 背後から胸中がざわつく嫌な気配を感じた。

 俺とリーダーは同時に反応して背後を振り返る。


「え? どうしたんっスか……」


 正人も遅れて後ろを見た。

 俺たちが見た先には––––紺色の着物姿の成人男性が、ぼんやりとした姿で立っている。


「……!」


 俺は声を上げそうになった。

 その男性は、明らかに生きた人間じゃない。

 体は透けているし、男性の表情はぼやけていてよく見えない。けれど、その男性の顔は俺たちの方を真っ直ぐに見つめていた。


「う……っ––––!」


 ぐわん、と視界が揺れるような強烈な目眩に襲われる。

 霞む視界の端では、リーダーと正人も同じように目眩に襲われて苦痛な表情を浮かべているのが見えた。

 プツンッと、俺の意識は途絶える……


 ……………

 ……




***〈梢修一.side〉


 お昼に賑わっていた喫茶店の店内も、十五時を過ぎれば落ち着いてくる。


「じゃあ香澄ちゃん、後はよろしくね」


「はい」


 香澄ちゃんに店内の対応を任せて、俺は厨房で食器の片付けを行う。

 そして一段落してから再び店内に戻ると、香澄ちゃんが同年代の女の子とカウンター越しに会話をしていた。今五人の高校生が民宿に泊まっている。その内の一人だ。


「あ、修一さん」


 香澄ちゃんが厨房から出て来た俺に気づいて言う。


「この子と一緒に泊まっている男子たちを見てないですか? 一人は部屋にいるけど、残りの三人は朝に民宿を出てからまだ帰って来てないそうです」


「え、そうなの?」


 俺が女の子を見ると、困った顔をして頷いた。


「連絡は?」


「……既読もつかなくて、電話も繋がらないんです」


「そっか……もう少し待ってみて、夕方になっても帰って来ないなら捜しに行った方がいいね。そういえば君はお昼まだだよね? 今から用意するし、先に食べたらどうかな」


 俺はそう進めるが、彼女は俯いて黙り込んでしまう。


「そうだよ、先に食べちゃいなよ」


 香澄ちゃんがそう促して、ようやく女の子は頷いた。

 香澄ちゃんが女の子を席に案内してから再びカウンターに戻って来る。


「お願いします、修一さん」


「わかった。香澄ちゃん、後は俺がやるから休憩していいよ」


「いえ、疲れてないので大丈夫です。……それにしても、女の子を一人放ったらかしにして男子は遊びに夢中になってるんですかね」


 香澄ちゃんは不機嫌そうにため息をついた。

 千鶴がいうには、香澄ちゃんは異性と接するのが苦手らしく、学校でもクラスの男子と全く喋らないんだと、千鶴はちょっと困っていた。

 そんな香澄ちゃんがあいつを……恵のどこに惹かれたのか、まぁ気になるところだ。


「修一さん?」


「あ、ごめん。何でもないよ」


 俺は思わず笑ってしまって、香澄ちゃんが不思議そうに小首を傾げた。


「きっと何かに夢中になって時間を忘れているんだろうね。香澄ちゃん、あの女の子のことを気にかけてあげてよ」


「はい」


 再び厨房に引っ込んだら、いつの間にか母親が帰って来ていた。


「おかえり、母さん」


「ただいま修一。昨日からお店任せっきりにしちゃって悪いわねぇ」


「いいよ。それより父さんの怪我の具合は?」


 父親は三日前に慣れない屋根の修理をしようとして梯子から落ち、足を骨折して入院している。母親は昨日、病院の近くにある実家で寝泊まりをしていた。


「心配いらないわよ、もぅ元気元気! 早く退院したいってうるさいんだから」


「ははっ、元気そうで良かった」


「修一、後は私がやるから宿の方お願いするわね」


「わかった」


 母親に喫茶店を任せて俺は民宿に戻った。


「………」


 静まり返った民宿の廊下を一人歩く。洗濯物を干して、それから……とやる事を頭に入れながら歩いていたその時、


 ギシ……


 自分の足音以外の、床を踏み鳴らす音が前方から聞こえてきた。


「……?」


 考え事を中断させて顔を上げると、廊下の先をスッと何かが横切った。

 それは一瞬だったが、人影のようにも見えて……


「……?」


 俺は不思議に思い、その人影が横切った方へ向かって歩く。

 突き当たりを曲がるとその先は二階に続く階段と、奥には物置き代わりになっている部屋がある。


「…………」


 俺は進む。

 変に緊張していて、心臓がどくどくと脈打っていた。


 ギシ……ギシ……


 自分の足音が静かな廊下に響く。

 薄暗い空間。

 奥に誰か……居る。


「……!」


 俺は大きく目を見開いた。

 薄暗い廊下の先に、人が背を向けて立っている。

 着物姿の女性だ。

 長い黒髪を揺らしながら、その女性はゆっくり、ゆっくりと歩いている。

 物置き部屋に向かって……。


「………絹子さん……?」


 その女性に見覚えがあった。

 小さい頃、一度だけあの女性に出会った事があるからだ。

 あの社で、俺は彼女と出会った……けどその一度きりで、それからずっと姿を見ることはなかったのに。

 向田絹子。

 間違いない、あれは彼女だ。


「……!」


 物置き部屋の襖の前に立った彼女の体が、すぅっと吸い込まれていくように消えた。

 俺は彼女を追ってその部屋に入る。


「………絹子さん、居るんですか?」


 真っ暗な部屋の中で呼びかける。

 返事はない。

 誰の気配も感じられなかった。

 俺は少しがっかりしてため息をつき、ぐるりと室内を見回す。

 和箪笥があった。

 この部屋に最近入ったのは二度目になる。あの和箪笥の上に人形を飾り直したからだ。

 矢一さんの人形。

 矢一さんが、絹子さんをモデルにして作った人形だ。その人形の髪には、絹子さんの髪の毛が使われている。

長く、美しい黒髪……。

 小さい頃、彼女を始めて目にした瞬間から、俺はずっと彼女のことが–––……


「……あれ?」


 俺は気づく。和箪笥の上に飾ってあった人形がなくなっている。

 硝子ケースだけが残されていて、人形は消えていた。


「どうして……」


 ふと思い出す。母親がよく、俺に気持ち悪そうに言っていた。


『あの部屋、変よね。よく物音が聞こえてくるのよ。鼠でもいるのかしら……』


「……っ」


 ごくり、と息を呑む。

 あれは呪いの人形だ。

 その呪いのせいで、向田家の女性は髪の毛を伸ばすことができない。

 絹子さんは自身の綺麗な黒髪がとても好きだった。

 あの人形には……そんな彼女の髪の毛が使われている。

 恵が言っていたように、たまに俺もあの人形を見て怖くなることがあった。

 まるで生きているかのような……だから俺は、視界に入らないように人形を閉じ込めてしまっていた。


「……探そう」


 探さなきゃ。

 怖くても、あの人形は大切なんだ。

 俺は部屋を出ようと後ろを振り返った。瞬間、目の前に人の顔が映る。


「……!?」


 驚いて悲鳴をあげそうになった。

 うっすらと透けた蒼白い顔は–––––向田絹子だった。


「……絹子……さん……?」


 呆然と呟いた俺を、彼女は至近距離から無表情のまま見つめてくる。


「っ……」


 暗い瞳から目が反らせない。

 恐怖に支配された体は指一本動かせなかった。

 俺の頬に、彼女の細く冷たい手のひらが触れる。

 彼女の両手に頬を挟まれて、顔を固定された。


「……っ」


 彼女はまるで、口づけをするかのようにゆっくりと顔を近づけてくる。

唇が触れそうな距離から、まるで俺の顔を確認するかのようにじっとりと見つめられて……


「……………ちがう………」


 彼女の口から漏れ出た、か細い声。

 違う……?

 どういう意味だ……


「………あなたは、ちがう……やいち、さんじゃ……ない………」


「……!」


 一瞬、彼女の顔が悲しそうに見えた。

 手のひらがゆっくりと離れていく。


「絹子さん……っ」


 ゆっくりと後ろに下がっていく彼女の体は、まるで暗闇に溶けていくかのように消えていく……


「待って、待ってくれ! 俺はっ……!」


 俺は手を伸ばす。

 瞬間、彼女の顔つきが変わった。


「ユルサナイ」


「……!」


「ワタシヲトジコメタ……オマエモ……ユルサナイ」


 彼女から殺気を感じる。

 俺は怯んで後ずさった。瞬間、いきなり彼女が襲いかかってきた。


「––––ッッ……!?」


 両手がぐわっと目の前に迫って来ると、俺の首を掴み強い力で締め上げる。

 酸素が奪われ、意識がぼんやりとして、視界は真っ暗になった……


 ……………

 ……




***〈葉月潤.side〉


「おい、潤。起きろ」


 肩を強く揺すられて俺は目を開く。

 仰向けに倒れたままぼーっとしている俺の顔を、リーダーが見下ろしている。


「平気か?」


「……リーダー? あれ、どうなって……」


 状況が飲み込めない。

 確か、急な目眩に襲われてそのまま意識が……


「とりあえず起きろ。……ちょっとややこしい事になっちまったぜ」


「……え?」


 俺は言われて上半身を起こした。

 苦い表情をしているリーダーを見てから、俺に合わせて隣で起き上がった正人を見る。


「ゔ~……なにがどーなってるんですかぁ……」


 正人は頭をおさえて顔をしかめた。

 リーダーが辺りをぐるりと見回して言う。


「引っ張り込まれたな……」


「え?」


 俺は小首を傾げる。

 そしてリーダーと同じように辺りを見て……


「……社が、ない?」


 さっきまであったはずの社が消えていた。鳥居もない。

 それだけじゃない。

 周りの風景が違うような気が……。

 俺たちが倒れていた場所は人の手入れがあまりされておらず、一面草が茂っている。

 俺は夕日が沈みかけて薄暗くなり始めている空を見上げた。

 まるで別の場所に飛ばされた気分だ。

 どうなってるんだ……。


「どうなってるんスかねぇ? 俺たち何処にいるんでしょう」


 正人はこんな訳のわからない状況でも比較的落ち着いた様子だ。同じくリーダーも。


「見た感じ場所は移動してねぇな……もしかしたら、俺たちはこの村の過去か未来に飛ばされちまったのかも知れねぇぜ。喜べ正人、お前は楽しいだろ」


「まじっスかぁリーダー! でもどうせなら異世界転生してみたかったっス!」


 瞳を輝かせる正人に調子づかせることを言ったリーダーは、やってられるか、というように腰を下ろして空を仰ぐ。

 リーダーが言ったように、俺たちは過去か未来にいるのだとしたら……。

 不安になった俺はリーダーに言う。


「リーダー、何でこんなことになったんでしょうか……」


「知るかよ……。まぁでも、俺たちが気絶する前に見たあの男の仕業だろうな」


 あの男……あれは幽霊だろう。

 俺は眉を寄せて思い出す。

 着物姿の男は俺たちの方を見ていた。まるで睨みつけるように……。

 あの男は一体誰だったんだ?


 ……ジャリ……


 離れた場所から地面を鳴らす音がした。

 驚いた俺たちは視線を交わし合うと、リーダーが人差し指を唇にあてて、俺と正人に「静かにしろよ」と伝える。俺と正人は同時に黙ったまま頷いた。


 ……ジャリ、ジャリ……


 誰かがこちらに向かって歩いて来る。

 俺たちは気づかれないようにそっと移動して、草木が覆い茂った場所に身を隠して様子を伺う。

 姿を現したのは、時代劇で見るような着物姿の若い女性だった。


「……!」


 俺は目を見開く。

 俺はあの女性を知っている。

 呪われた日本人形に触れた時に見た男女の光景。

 男性に髪の毛を切ってもらっていた、あの時の女性だ……。


「まだ来てないのかしら……」


 女性は誰かと待ち合わせをしているのか、きょろきょろと辺りを見ている。

 するとまた別の足音が聞こえて来た。俺たちは視線をそちらに移す。

 女性も来た道を振り返ると、そこから着物姿の男性が姿を現した。

 俺たちが気絶する前に見たあの男性だった。


「絹子さん」


伊吉いきちさん」


「すみません、待たせてしまって」


 男性が優しそうな笑みを浮かべると、女性は首を軽く振って「今来たところよ」と笑って言った。

 男性は女性を“絹子さん”と呼んだ。

 この女性は向田絹子だ。

 そして男性の名前は伊吉いきち

 ここで俺たちは確信した。

 俺たちは過去にいる。

 絹子さんがまだ生きている時だ。だから社が見当たらないのか。

 そう納得してから、俺は嫌な予感がしていた。それはリーダーと正人も同じかもしれない。


「話って何かしら」


 絹子さんが尋ねると、男性は笑みを引っ込める。そして彼女の正面に立つと言う。


「……矢一兄さんとの結婚、おめでとう」


「えぇ、ありがとう」


「……」


「伊吉さん?」


 俯いて黙り込む男性を、絹子さんは不思議そうに見つめる。顔を上げた男性は、再び絹子さんを見つめ直した。


「僕も、貴女のことを愛していました。絹子さん」


「……え?」


「今更だけれど、この気持ちは伝えたかったんだ」


「……」


 絹子さんは全く彼の気持ちに気づいていなかったのか、戸惑いを見せている。


「……そのことを、矢一さんは知っているの?」


「矢一兄さんには、とっくにバレていましたよ」


「そう……」


 それを聞いた絹子さんは俯いた。胸の前に拳をあてて、辛そうな表情を浮かべる。


「……ありがとうございます、伊吉さん。私も、貴方のことは好きよ。貴方のこと、弟のように思っているもの」


「……弟のように、ですか」


 その言葉に男性の表情が曇った。


「矢一兄さんより、俺の方が先に貴女を愛していたんだ。矢一兄さんはそれを知ってて、ずっと俺に遠慮してましたよ」


「え……?」


「仕事が忙しいからとか理由をつけて、貴女を避けていた時期があったじゃないですか。矢一兄さんはそんなことをして、俺の背中を押してくれていた」


 なのに……と低い声で呟いたと同時に男性は拳を握りしめる。


「……貴女はずっと、ずっと矢一兄さんのことが好きだった! 俺と居る時だって、いつも矢一兄さんの姿を探していた!」


「……っ」


「矢一兄さんも、隠していたけれど貴女のことが好きだった。けど俺に遠慮なんかして! だからっ……俺はだんだんと自分が惨めに思えてきたんだ……」


 それを聞いた絹子さんは、少し怯えているように胸の前の拳を強く握りしめた。


「伊吉さん、私は……」


「良いんですよ、もう。俺も諦めて、矢一兄さんに貴女を譲ったんですから」


 そう男性は言った。

 そして、


「……でも、ずっと引っかかっていたんです。矢一兄さんに、貴女をこのまま奪われてもいいのかって」


「え……?」


「絹子さんも知っているでしょう? 矢一兄さんは人形ばかり作って、ろくに外にも出ずにずっと部屋に閉じこもっている。魂も無いただの人形を愛して、人形に人生を捧げているような男だ」


 そう話しながら、男性は絹子さんにゆっくりと近づいていく。絹子さんは後ずさった。


「そうかもしれないわ。でも、私はそんな矢一さんが好きなの。人形を作っている時の彼は生き生きしていて……私は、そんな矢一さんを愛しているから」


「どうして! 何で、矢一兄さんなんだ! 何でっ、俺じゃ駄目なんだ!」


 怒声に驚いた絹子さんがびくっと肩を震わせる。


「お願いです絹子さん……矢一兄さんとの結婚を、考え直してはくれませんか?」


「……何を、言っているの?」


「俺なら貴女を幸せにできる」


 男性が距離を縮めるが、絹子さんは逃げるように後ずさり続ける。


「できないわ。私は、矢一さんを愛しているもの!」


「っ!」


 男性は唇を噛み締め、怒りを露わにする。

 嫌な予感がする。

 だめだ、助けないと。


「よせ、潤……!」


 前に出て行こうとした俺の肩を、リーダーが掴んで止める。

 その時だった。


「そうか……残念だよ」


 男性が低い声で囁く。


「だったら、奪ってやる」


 男性の両手が絹子さんの肩を掴んだ。

 絹子さんが抵抗するが、男性は力を込めて後ろへ後ろへと押して行き、その瞬間、


「あ––––」


 絹子さんの短い声が響く。

 絹子さんの肩を掴んでいた男性が、突き飛ばすように彼女の両肩をドンっと押した。

 絹子さんの背後には覆い茂った草に隠れていて見えなかった井戸が、ぽっかりと黒い穴を開けている。


「きゃああぁぁ!」


 その穴の底へと、彼女の体は背後から落ちて行く––––悲鳴が響き渡り、やがて消える……。

 一瞬の出来事だった。

 俺たちは言葉を失って、その光景を見ていた。

 男性は井戸を覗き込んだまましばらく放心状態になっていたが……


「………ふ……ハハっ……あははは、アハハハハハハ!!」


 嗤った。

 嬉しそうに、狂ったように。


「……君は、誰にも渡さない……誰のものにもならない……それでいい……それでいいんだ……」


 すべては、ここから始まった。


 ……………

 ……




* * *

 ……ちゃん……

 ……おに……ちゃん……


「おにいちゃん。おにいちゃん起きて」


 小さな子供の声がする。

 うっすらと目を開けると、女の子が俺の顔を覗き込んでいた。不安げな表情だ。

 あ、この子は……


「う……」


 俺はゆっくりと上体を起こした。

 頭が痛くて、目眩がする。


「あれ……?」


 そして薄暗い辺りに視線を巡らせて呆然とする。

 社の前に俺たちは倒れていた。

 空が夕日に染まっている。

 どうやら現実の世界に戻って来られたようだ。

 俺を起こしてくれた女の子の姿は消えていた。

 あの心中墓から此処まで来てくれたのか……。

 心配した顔が忘れられない。また、話ができればいいんだけど。


「……ぅ……」


「あ、リーダー、大丈夫ですか?」


「あぁ……長い間、気絶してたんだな」


 リーダーは体を起こし、社の方をぼんやりした表情で眺めた。

 遅れて正人も目を覚まし、俺たちは急いで峠を降りることにした。自分たちの身に何が起こったのかもよく分からないまま足早に歩く。

 俺の隣を歩きながら、リーダーはスマホを確認してため息をついた。


「やべぇな」


「篠岡さんですか? 心配しているでしょうね……」


「気づいたらもうこんな時間っスもんね~、俺腹減ったっスよ~」


 後ろを歩いている正人は珍しく弱った様子だ。

 俺はリーダーに言う。


「……リーダー。あの記憶の男が、梢家の次男で見違いありませんね」


「あぁ。向田絹子を井戸に突き落として殺した……それを、あの男は俺たちに見せたんだ」


「なんで俺たちに?」


「さあな。次男は成仏できずにまだこの世にとどまってやがる……その原因が向田絹子だ」


「社に閉じ込められていた絹子さんの事が心配だったのかもしれませんね」


「……」


 リーダーは顔を曇らせると、ため息混じりに言った。


「幸い、俺たちはあと一泊すればこの村から離れられる。今夜を何事もなく乗り越えられるといいが……」


 正人が「ええ!?」と声を上げた。

 そして俺たちの前に立ち塞がると、ムッとした表情でリーダーを見る。


「リーダー、未解決のままこの件をほっとくつもりなんスか?」


「ああ? 当たり前だろーが。最初から俺たちに何か出来るとは思っちゃいねぇよ」


「けど! 絹子さんが成仏出来るように俺は何かしたいっス! 好きな人と結婚もできずに殺されて、閉じ込められて、なんか可哀想じゃないっスか!」


 俺も同意しそうになる。

 このまま何もせずに、この村から出て行っていいのか。

 絹子さんを、助けてあげられたら……


「馬鹿が」


 リーダーが低い声で吐き捨て、真っ直ぐに正人を見据えた。


「俺たちはこの村に何しに来たんだ? 部活も兼ねての小旅行だろーが。つーかな、何の力も持たない俺たちがどうにか出来る問題じゃねーんだよ」


「っ、それはそうかもしれないっス……けど!」


「向田絹子はもう悪霊だ。下手に手を出せば殺されてもおかしくない。俺はごめんだぜ。……どうせ長くもない命を、こんなところで奪われてたまるか」


 リーダーは最後の方の言葉を独り言のように呟いた。

 俺はリーダーの体を蝕む“呪い”のことを知っているから、もう何も言えなくなる。

 けれど事情を知らない正人は、苛立ちを露わにしてリーダーを睨んだ。正人が初めてリーダーに対抗している。


「いいか、正人。俺たちはただの高校生だ。何もできない」


「……」


「ただの人間なんだよ」


 リーダーは力強く言った。

 正人は拳を握りしめて声を張る。


「そうっスか! ならいいっスよ! リーダーの薄情者! 鬼! 悪魔!」


「……あのな、」


「チビ! もうリーダーの事なんか知るか馬鹿ぁああっ!」


「チビっ……、てめぇ待ちやがれ!!」


 チビという言葉が許せなかったらしいリーダーが正人に声を荒げたが、正人は走って行ってしまった。

 あっという間に正人の姿が見えなくなると、リーダーは頭を抱えてため息をつく。


「……あの、リーダー。正人の気持ちはしょうがないと思います。俺もあんな光景を見た後だと絹子さんに同情しますから」


「……分かってるっつの」


 リーダーは気分が悪そうに声を絞り出して歩き出す。

 俺も後に続いてすぐに、リーダーが静かに口を開いた。


「……正人はな、“普通”が嫌いなんだよ」


「え?」


「普通の日常が嫌いで、普通の人間には興味がない。そんでもって、正人は自分自身が大嫌いなんだよな」


 リーダーの声が冷たく響く。


「他人と違うものが欲しい。他人と違う日常生活を送りたい。正人はそれを強く願ってんだ」


「……」


「けど自分には何もない。特別じゃない。そこら辺の人間と同じ日常生活を送るしかない。あいつは口にしねぇがそれが酷く苦痛に思えて、嫌気が差してるんだよ。……平穏が一番幸せなことじゃねーか」


 リーダーは重いため息をついた。

 俺は思う。

 たしかに正人は毎日に刺激を求めていた。俺の霊感を羨ましがったり、神楽の不思議な雰囲気に魅了されたり……


「ほんっと、面倒くせぇ後輩だぜ」


 リーダーは空を仰いだ。


「これ以上危ないことに足を突っ込まねぇように、あの馬鹿を大人しくさせとくか」


「そうですね……」


「つか、神楽の方は珍しく大人しいよな。なんか気味が悪いぜ」


 確かにそうだ。

 俺はすっかり忘れていた神楽の存在を思い出す。

 あいつ、今何してんだろ……。

 その時俺は、いつの間にか通り過ぎていた墓石のことを思い出した。

 立ち止まって後ろを振り返るが、距離があり過ぎてもう見えない。


「……」


 背後には闇が広がっていた。

 光もなく、誰もいない寂しい空間……


「……」


「潤、どうした? 早く帰るぞ」


 先を急ぐリーダーの声にハイと返事をして歩き出す。


 ……………

 ……




***〈梢修一.side〉


「修一、おい、起きろ!」


 恵の声がする……


「起きろってば」


 俺は目を開けた。

 仕事帰りのスーツ姿のままの恵が、呆れた顔して見下ろしている。


「……めぐむ?」


「お前さぁ、いくら疲れてるからって、こんな暗いとこで寝るなよ」


 見つけるの苦労したぜ、と恵は言ってため息をついて隣に腰を下ろした。

 俺は仰向けに倒れているが、体を起こすのも面倒くさくてそのまま天井を見上げた。


「お前の母親に頼まれて呼びにきた。仕事サボって寝てたって言ってやろうか?」


「……さんが……」


「ん?」


 絹子さんがいたんだ……。

 俺は言いかけてやめた。

 口を閉ざしてぼーっとしている俺を、恵は怪訝な顔をして見ている。

 恵に絹子さんのことを言うのはやめたほうがいい。恵は俺が千鶴のことを真剣に考えないことをずっと怒っているから。


「ほら、いい加減起きろって。店の手伝いしなきゃだろ」


「……あぁ」


 俺はやっと体を起こした。恵はネクタイを緩めながら、どっこいしょと呟いて腰を上げる。

 それを見て俺は笑った。


「年取ったなぁ、お前」


「こら」


 お前もだろ、と言って恵は不機嫌そうに口角を上げた。





***〈葉月潤.side〉


 すっかり暗くなってようやく民宿に帰り着いた俺たちを、篠岡さんが待っていた。

 喫茶店から飛び出して来た彼女は真っ先にリーダーに抱きつく。


「ただいま、篠岡」


「……遅かった」


「あ~……ごめんな。いろいろあったんだよ」


 リーダーに「ほら離れろ」と言われてそっと身を離した彼女は、不安げな顔に少し不機嫌な感情を浮かべていた。

 珍しく感情が表に出ている彼女に俺はちょっと驚く。篠岡さんはリーダーがいないとダメなんだな。

 そんな二人を真剣な顔で見ていた正人が言う。


「や、やっぱり二人は恋人同士なんスか!?」


「ちげーよ」


「ちがう」


 二人からきっぱりと否定された正人は、つまんねーの、と呟き先に喫茶店に入って行った。


「篠岡、夕飯は食べたか?」


「……うん。あ、でもね、神楽君はまだなの。部屋からずっと出てこないから……」


「そっか。つーかマジであいつ大人しいな」


 リーダーはそう言ってから、なぜか俺を見る。

 まさか……


「潤、神楽のやつ呼んできてくれ」


「……はい」


 やっぱりか……。



* * *

 神楽を呼びに一人で部屋に向かう。

 廊下の先に部屋が見えた時、中から神楽の話し声が聞こえてきて扉の前で足を止めた。

 黙って耳を澄ましてみる。まるで誰かが一緒にいるかのように会話をしている。

 一瞬ゾッとしたが、スマホで誰かと通話をしているんだろうと考え直して、俺は声もかけずにそっと扉を開けた。


「……神楽?」


「やぁ、潤。おかえり、随分のんびりしていたようだね」


 部屋の中は神楽だけだった。

 窓辺に寄りかかって座っている神楽の手にはスマホではなくなぜか……


「……! お前、その人形……」


「ん? あぁ、これね」


 神楽の腕にはあの日本人形が抱かれていた。

 神楽が勝手に持ち出したのか? それともまた人形が自ら動いて来たのか……。

 神楽がにっこりと笑う。


「あぁ、オレだよ。暗い部屋に閉じ込められて可哀想だったからね」


「お前なぁ!」


「この子はずっと出たがっていたから助けてあげたんだ」


 助けてあげた?

 俺は首を傾げつつ、中に入って神楽の前に立つ。

「座ったら?」と神楽が隣を叩いた。少し迷ってから隣ではなく正面に腰を下ろす。


「お前、人形の気持ちでもわかるのか?」


「わかる、って言ったら?」


 神楽は薄く笑って人形の頭を撫でた。

 人形と目が合い、俺は思わず視線を逸らす。


「……馬鹿にすんな」


「してないさ。わかるんだよ、オレには」


 神楽は真顔でじっと俺を見ている。

 冗談を言っているように見えない表情に、俺はたじろいでしまう。

 こいつなら人形の気持ちが分かってもおかしくないかも知れない、なんて思ってしまう。


「……本当か?」


「少しだけ、オレの話をしようか」


 神楽は言って、ふっと口元を緩めた。


「オレの正体に、潤はもう気づいてるんだろ?」


「……」


 俺は口を閉じて黙った。

 その話をする気はなかったのに、本人から問いかけられて戸惑う。

 夕飯に遅れることを心の中でリーダーに謝ってから俺は言った。


「……お前は、あの祠に祀られている『ユキヒロ様』なんだろ?」


「さすがだね、潤。まぁずっと隠し通せるとは思っていなかったよ」


 神楽はにっこりと笑って手を叩いた。


「じゃあ、お前は本当に……」


 少し声が震えた。

 目の前にいるのは、俺の知っている神楽拓美という人間ではない。

 背中に嫌な汗をかく。


「そう、あの祠ができてからは、オレは『ユキヒロ様』と呼ばれるようになったよ」


「……」


「まるで神様のような扱い方をされているが、オレだって人として生を受けた男だよ。ちょっと周りと違ったことといえば、特殊な能力を持っていたことかな」


「特殊な能力?」


「“触れたら心が読める”能力だよ」


「……は?」


 口をわずかに開けてぽかんとする俺を見て、神楽が小さく笑みを浮かべた。


「オレには、触れたモノの心が読める能力がある。それは人間だけに限らず、動物でも死者でも、魂を持ち、心を持つモノなら触れるだけで心が読めるのさ」


「……マジ?」


「マジだよ。この人形にも魂が宿っている。だからオレはこの子と会話ができるんだよ」


 俺は信じられない思いで目の前にいる神楽を……『ユキヒロ様』を見つめた。


「なんか、凄いな……」


 素直な感想が口をついて出た。それを褒め言葉と捉えなかったのか、神楽は顔に暗い影を落とすと、独り言のように口にする。


「同質性を求める村の中でオレは得体の知れない存在だっただろうね。村人たちの間では“凄い”よりも“怖い”という恐怖の方が大きかった。だからオレはあんな目に遭って……」


「え……?」


 神楽はわずかに俯いて黙り込む。が、すぐにパッと顔を上げた。


「これ以上は、オレのことについて深く話すことは止そう」


「いや、けど……」


「前に言っただろう? 君には後でちゃんと話すって。だから、オレのことについてはこれでお終い」


 神楽は投げやりな笑みを浮かべた。本人が話す気を無くしたならもう何も言えない。


「話を戻すよ。オレはこの能力を使って人形の気持ちを聞いていたんだ。この人形はね、潤のことをとても気に入ってるんだよ」


「え?」


 にっこり笑った神楽から人形を押し付けられた。思わず受け取ってしまった俺は、手にした人形を見てゾッとする。


「潤のそばがいいそうだから、しばらく一緒に居てあげるといいよ」


「いやいやいや、困る」


「大丈夫さ。お守り代わりに持っていた方がいい。きっと潤のことを守ってくれるから」


 ……意味がわからない。人形だぞ? 人形がお守り代わりになる訳ないだろ。

 俺は人形を見下ろす。人形の表情はなんとなく嬉しそうに見えた。……いや駄目だ、やっぱり怖い。


「……『ユキヒロ様』は本当に、触れるだけで心が読めるのか?」


「神楽でいいよ」


 神楽はそう言って、にいっと口角を上げた。


「信じられないなら、試してみるかい?」


「え?」


「触れるだけでいいからね。そうだなぁ……オレは潤の家族構成を知らないから、家族について思い浮かべてみてよ」


 神楽にそう言われて、俺は戸惑いつつ頷く。

 確かに、家族のことは『ユキヒロ様』にも、そして神楽拓美にも話してはいない。

 目を閉じて、と神楽に言われ、俺は黙って目を閉じた。

 互いに口を開かない。

 すると神楽の手のひらが俺の頭の上に軽く触れた。特に何も感じない。


「……いいね。そのまま両親と兄弟の関係性を思い浮かべてみて」


「……」


「……」


「……」


「……ふぅん、なるほどね」


 神楽はあっさりと、触れていた手を下ろした。

 俺は言われた通りに思い浮かべただけだ。これだけで本当に分かるのか?


「家族構成は父、母、そして兄と姉の五人家族だ」


 俺は目を見開く。

 緊張して、ごくりと喉を鳴らした。


「お姉さんは、潤が小学生の時に亡くなっているんだね」


「……!」


 ウソだろ……本当に、心を読んだのか……?

 俺は自分の顔が急速に強張ったのを感じた。


「事故死……いや、“殺された”のか」


「っ、」


 やめろ……!

 か細い声で止めたが、神楽は聞こえなかったのか先を続ける。


「潤と一緒に誘拐された。潤は助かったけど、お姉さんの方は殺された」


「やめろって!!」


 叫び声が口から飛び出した。

 目の前にいる神楽を思いっきり睨みつける。

 神楽は苦笑した。


「大丈夫かい?」


「……もう、いい。お前の力が本当だってこと、わかったから……」


「そう」


 俺は最悪な気分で額に滲んだ汗を手の甲で拭う。

 神楽はやれやれと気の毒そうに俺を眺めて、急に話題を変えてきた。


「そういえば、潤はオレに何か用があったんじゃない?」


「あぁ……夕飯だよ。お前もまだ食ってないんだろ」


「そういえばそうだった。あまり空腹を感じないから忘れていたよ」


「ちゃんと食べろ。お前の体じゃないんだからな」


「オレはちゃんと拓美のことを考えているさ。それにこうしている間も、拓美とは意識を共有し合っているからね」


「そう、なのか?」


 俺はふと疑問に思う。

 こいつはなぜ俺に「神楽拓美は死んだよ」って言ったんだ?

 神楽拓美の意識はある。魂は存在する。俺は昨夜、本人と会話をしたんだから。

『ユキヒロ様』が神楽拓美に取り憑いている理由はまだわからない。

 その理由は『ユキヒロ様』の口からのちに語られて判明するだろう。

 けど、不安になる。

『ユキヒロ様』が神楽拓美をどうするつもりなのか。

 “神楽拓美は死んだ”

 この言葉の意味を知ることが、俺は怖い……。


「じゃあ行こうか。潤も夕飯まだなんだろう?」


「あ、あぁ……」


 腰を上げた神楽を見て、俺はハッとあることを思い出す。


「神楽、ちょっと待ってくれ」


「なんだい?」


 スマホを取り出し、琴音の自撮り写真を神楽に見せた。神楽はスマホ画面を、きょとんとして見つめる。


「巫女……へぇ、潤はこういう女の子が好きなのかい?」


「違う」


 冷やかしてくる神楽を睨む。


「この子、どう思う?」


「どうって?」


「だから! 感想だよ、何でもいいから言え」


 イライラしながら急かす俺を見て、神楽は心底どうでもいい表情を見せる。


「巫女は興味ないかなぁ」


「お前な……似合ってるとか、かわいいくらい言えよ」


「カワイイ、ちょーカワイイ」


 ほら早く行こう、と言ってさっさと出て行こうとする。まったく相手にされてない琴音にちょっと同情した。


「つか、この人形はどうすれば? ……置いていっていいか」


 俺は腰を上げて、人形をテーブルの上に置いた。するとそれを見ていた神楽が呆れたように言う。


「あ~ほら、潤が女の子の話なんかするから、拗ねちゃってるじゃないか」


「は?」


 俺はじっと、人形の能面のような顔を見つめる。いや分からん。


「……人形に好かれるって困るな」


「人形でも女の子なんだし、まんざらでもないでしょ」


「馬鹿。……つか、この人形は俺のどこを気に入ったんだ?」


 俺はこの人形を気持ち悪がったり、怖がったりした。なのに、何で俺なんか……


「さぁね。でも自覚ないと思うけど、潤はモテるよ」


「お前馬鹿にしてるだろ。モテる男に言われると腹立つだけだ」


 睨みつけると、神楽はやれやれと笑みを浮かべた。そして俺がテーブルに置いた人形を手に取って言う。


「この子はね、寂しがりやなんだ。自分を作ってくれた人も、自分を大切にしてくれた人も、もうこの世にはいないからね。だから、この綺麗な黒髪で人の気を引こうとした」


 神楽は言いながら人形の髪の毛を撫でた。

 向田絹子の、目を惹くほど美しい黒髪を。


「だから許せない。向田家の女たちが髪の毛を伸ばすことが」


「え?」


「彼女たちはこの人形と同じ美しい黒髪を持っているだろう? 彼女たちが髪の毛を伸ばせば、誰も自分を見てくれなくなると思ったんだろうね。だからこの人形は彼女たちに呪いをかけた。そのせいで彼女たちは髪の毛を伸ばせない」


 俺はそれを聞いて顔をしかめた。

 この人形の呪いに、そんな理由があったのか……。

 神楽がニコッと笑った。


「可愛らしい嫉妬だよねぇ」


「……」


 可愛いか? ……いや怖いだろ。


「……お前、人形相手にはちゃんと可愛いって言うんだな」


「可愛いって思うからね」


 俺は人形に負けている琴音に同情する。


「……行くか、腹減った」


 俺は神楽より先に部屋を出た。

 あの人形のことは、梢さんにちゃんと言うべきだろうか。探しているかもしれないしな……。


「そうだ、潤」


「……なんだよ?」


 俺の後ろを歩く神楽が言う。


「さっき君の家族について、オレは知ってしまったわけだけれど」


「……」


「君には悪いことをしたと思っているよ」


「……別に、もういいって」


「大切な家族を失うって悲しいよね」


 俺は足を止めて神楽を見た。

 神楽は不穏な笑みを浮かべる。


「拓美も同じさ」


「……は?」


「拓美も、妹を亡くしているんだ」


「……」


「だから拓美はずっと、ずっと……死にたいと思いながら生きていたんだよ」


「……!」


 俺は言葉が出なかった。

『ユキヒロ様』は、俺の肩を軽く叩いて先を歩いていく。


 ……………

 ……



* * *

 夕飯時に、バイト中の向田香澄がずっと俺たちのことを怖い顔で睨んでいた。篠岡さんをほったらかしていた事が原因らしい。

 そんな彼女だが、梢さんの友人の村上恵さんが来店すると途端に頬を赤らめた。

 ニコニコ笑って話しかけてきた彼を前に落ち着かない様子の彼女を眺めていた正人が、「恋する乙女っスね」と勝手なことを言っていた。

 三姉妹でも全く性格は違うんだなぁ、と俺は思いながら、三女ももっと可愛い性格だといいのに、と密かに思う。

 そんな三女からお風呂上りに呼び出しをくらうことになろうとは……。



「はぁ……」


 夕飯を済ませて、それぞれが各々おのおのの時間を過ごす中。

 俺はため息をついて一人脱衣所で服を着る。今日はいろいろと疲れたけど、一人で湯船につかってリラックスができた。

 今夜を乗り越えたら明日の午前中にはこの村をおさらばできる。

 髪をタオルで拭きながらホッとしつつ、複雑な気分は拭えなかった。


「……」


 目の前のロッカーを見ると、中にはあの日本人形が置かれている。

 持ってくるつもりはなかったが、風呂に行こうとした俺に神楽が、


「人形も連れて行ってあげなよ。寂しいってさ」


 とニヤニヤしながら言われた。

 俺が嫌だと断れば、「分かってないなぁ、この人形は潤と二人っきりになりたいんだよ」と、軽い口調で言われた。


「……やっぱ不気味だな」


 正面を向いている人形の顔が、じっと俺を見つめている。俺もじーっと人形を睨みつけてみるが、特に何も起きない。

 その時、スマホが着信音を鳴らした。

 頭を拭きながら片手で操作する。

 知らない番号だ……とりあえず出てみる。


『私だけど』


 不機嫌な女の子の声。一瞬誰だかわからなくて黙ってしまった。


『私! 琴音だよ!』


「え、琴音?」


 向田家の三女だ。俺は目を丸くする。


「何で俺の番号を知ってるんだ?」


『べつにいいでしょ』


 俺のスマホで自撮り写真を撮っている時に勝手に見て覚えたんだな。


『これから大丈夫? 私、民宿の外にいるんだけど』


「? ……まぁ、大丈夫だけど」


『じゃあすぐに来て! あの写真の感想聞きたいから!』


 命令口調な彼女に俺は苦笑した。


「いや、聞きたいなら今教えるけど」


『ダメ! いいから早く来てよ、じゃあね!』


 一方的に通話は切れた。




* * *

 人形を持って行くか悩んだが部屋に戻るのも面倒なので、手提げ鞄に一度着た寝巻きと一緒に詰め込んだ。

 この人形は琴音には見せない方がいい。そう思いながら俺は民宿の外へ向かった。



「おっそい!」


 玄関を出てすぐのところに、腕組みして不機嫌な顔をした琴音が立っていた。


「……悪かったよ」


「じゃあ行こ」


「え?」


 琴音はくるりと背を向けて歩いていく。俺は戸惑いながらその後を追った。


「どこ行くんだよ」


「誰に見られるか分かんないでしょ。喫茶店にはまだ香澄お姉ちゃんが居るもん」


 俺は小さくため息をついて、とりあえず琴音について行く。明るい星空のおかげで夜道でも懐中電灯は必要ない。

 琴音は白木神社の鳥居の前で足を止めた。そのままそこの石段に腰を下ろす。

「隣座れば?」と言われたので、琴音の隣に腰を下ろす。俺が鞄を置いてから琴音が言った。


「写真の感想だけど。神楽さんはなんて?」


 ようやくか。俺は頭上の星を見ながら言う。


「あぁ、カワイイって言ってたぞ」


「嘘だ」


「え?」


「適当に言わないでよね!」


 びっくりして琴音を見ると、ムッとした顔をしていた。


「本当だって。……いや、正直に言うと、どうでもいいって感じだったな」


「……」


 それを聞いた琴音は明らかにシュンと落ち込んでしまった。

 どうする? フォローするか?


「えぇと……俺は可愛いと思うぞ。俺の後輩もそう言ってたよ。巫女姿が似合うって」


「……! 貴方に褒められても、う、嬉しくないし!」


 なぜか怒ってぷいっと顔を逸らされた。

 あーハイハイそうですか……。

 呆れた俺は片方の膝上に頬杖をつく。


「……ねぇ、神楽さんって恋人はいるの?」


 琴音がちらりと俺を見て言った。少し頬が赤い。


「いないと思うぞ。あいつ、好みが変わってるから」


「潤は神楽さんの好みの子って分かる? 教えてよ」


 神楽は“さん”付けなのに、俺は呼び捨てかよ……。


「詳しくは知らないけど、歳上の女性が好きだ、とか言っていたな」


「……」


 今度はズーンと落ち込んでしまった。わかりやすい子だな。


「あー……つか、なんで巫女の姿してたんだ?」


「……頼まれた時だけアルバイトしてるの。境内の掃き掃除とかお守りの販売とかしてる」


「ふぅん」


「潤は何か部活してるの? 私はテニス部だよ」


「俺は写真部。民宿に泊まってるメンバー全員だけど」


「じゃあ神楽さんもなんだ! 神楽さん、写真が趣味なんだね」


 神楽の趣味を知れて嬉しいのか瞳を輝かせる琴音に、たぶん興味はないぞ……なんて言えるわけない。


「……なぁ、ひとつ訊いていいか?」


「なに?」


「神楽って、そんなに魅力的に見えるか?」


「当たり前じゃん! あんな綺麗な顔をした男子がそこら辺にいると思うの?」


 じろりと睨まれた。俺は苦笑いして目の前の暗闇をじっと見つめる。

 ふと、神楽と出会った夏を思い出す。

 初めて神楽を見た時、綺麗な奴だなと思った。

 その綺麗な顔には似合わない口の悪さと態度を見せられてビックリしたけど、年相応の性格には親しみを持てた。

 ……また昔みたいに遊べたらいいのにな。

 あの時のままの神楽と再会できていたら、俺は神楽と親友になれたかもしれない。

 そう思いながら、俺は小さく笑った。


「ちょっと、私のこと無視して考え事? サイテー」


「……」


 俺は若干イラッとしながらため息をついた。


「なぁ、もう戻っていいか?」


「……」


 腰を上げようとした俺を、なぜか不満げに睨み上げる琴音。


「待って。最後に一つ頼んでいい?」


「またか……」


 嫌だと断っても意味はないんだろうな……。

「何?」と訊くと、琴音は眉を寄せて少し迷うように口を開いた。


 ……………

 ……




***〈音無正人.side〉


 テレビの音だけが響く室内で神楽先輩と二人っきりだった。潤先輩はまだ風呂から帰って来ない。

 スマホにも飽きた俺は、斜め前にいる神楽先輩をちらっと見る。


「あのぉ、神楽先輩」


 テーブルに頬杖をついて文庫本を読んでいる神楽先輩に話しかけた。


「……ん、なんだい? 正人君」


 神楽先輩は視線を落としたままだ。

 俺は居心地悪く思いながら言った。


「えーと……何の本読んでるんスか?」


「ホラー小説さ」


「へぇ……面白いっスか?」


 神楽先輩は口元に薄っすらと笑みを浮かべる。


「面白いよ。いじめにあっていた主人公が呪いの力を使っていじめていた人間に復讐していく物語さ。一人、また一人と、いろんな方法で呪い殺していくんだよ」


「へ、へぇ。面白そうっスね……」


 ぎこちなく笑って、神楽先輩から目をそらす。

 俺もホラー小説は好きだから神楽先輩と気が合いそうなのに、そこから会話を盛り上げていく気に今はどうしてもなれなかった。


「どうしたの正人君。元気がないな、君らしくない」


「……っ」


 ぎくり、とした。

 神楽先輩の方をちらりと見る。

 ぱたんと文庫本を閉じた神楽先輩は、頬杖をついたまま俺を見て微かに微笑んだ。


「あー……今日はいろいろあったんで、ちょっと疲れただけっス」


 俺は言って無理やり笑った。

 神楽先輩は黙ったまま目を細める。彼が纏う不穏な雰囲気に心が馴染めない。


「正人君は、呪いの力で人を殺せるなら使ってみたいと思う?」


「……え?」


「呪いで殺人を犯しても犯罪にはならない。とても便利だとは思わない?」


 神楽先輩は試すような口調で言った。


「そうっスね……使ってみたいなって思いますよ」


「へぇ、正人君にもそういう相手がいるんだね」


「いや、呪いたい人がいるわけじゃないっス。その、単純に面白そうっていうか、楽だなって思うんです」


「……」


 どこか不適な笑みを浮かべた神楽先輩の顔に暗い影が落ちる。

 ゾクっと背筋に悪寒が走った。

 ……なんで俺、怯えてんだよ。落ち着け。いつもの調子を取り戻せ。

 明るい声を意識しながら、俺はにっこり笑って口を開いた。


「神楽先輩って不思議っスよね」


「不思議?」


 神楽先輩はきょとんとして小首を傾げた。


「俺、神楽先輩にずっと興味があったんです。なんか普通の人にはない怪しげな雰囲気があって、俺はそこに惹きつけられたというか。神楽先輩ってやっぱりなんかあるんスか?」


「なんかって、例えば?」


 わずかに目を細めて笑う神楽先輩。

 俺はテーブルの上に置かれた文庫本をちらっと見て言った。


「その小説の主人公みたいに、呪いの力をもっている……とか?」


「ふはっ」


 笑われた。

 無邪気な子供みたいな笑顔を見せる神楽先輩に、俺はぽかんと拍子抜けする。


「ないない、そんな力あるわけないよ」


 くすくす笑いながら神楽先輩は言った。

 俺は妙に恥ずかしくなって頬が熱くなる。


「で、ですよね! いくら何でも、そんな力あるわけないっスよね」


「呪いで人を殺すのも楽しそうだけど、それだけじゃつまらないな……」


「え?」


 神楽先輩がぼそりと何か呟いたけど、俺にははっきりと聞こえなかった。


「あ、そうだ。潤とリーダーとあの社を見に行ってみてどうだった?」


 神楽先輩はわざとらしくにっこり笑った。

 話を逸らされた気がして少し不満に思う。


「そうっスね、まぁいろいろ知れたっスよ。けど……」


「けど?」


「……けど知ったからって、俺にはどうすることも出来ないんです。なんかそれが、悔しくて……」


 俺は言いながら俯いた。

 ……リーダーにはっきりと言われてしまった。「ただの人間なんだよ」って。

 ただの人間には何もできない。

 絹子さんが成仏出来るように何かしたいって豪語した自分が恥ずかしい。

 ただの人間のくせに、何か出来ると思ったのか?

 うるさいな。役立たずなのは自分が一番よくわかってるんだよ……。


「正人君、ちょっといいかな」


「ぁ……、はい?」


「そこのリモコン、取ってくれる?」


 ハッとして顔を上げると、神楽先輩の視線はテーブルの端にあるテレビのリモコンに向いていた。

 俺との会話にもう飽きたような顔をしている。

 俺はそう思って、内心ため息をつきながらリモコンに手を伸ばした。

 ……神楽先輩からしたら、俺なんてどうでもいい存在だろうな。つまらない、興味すら持てないその他大勢の人間と一緒なんだ、きっと。


「……どうぞ」


「ありがとう」


 リモコンを差し出すと、神楽先輩はにっこりと笑ってリモコンを受け取ろうとして––––その手はいきなり俺の手首を強く掴んだ。


「……!」


 どっと大きく心臓が跳ねた。

 リモコンが手から滑り落ちて畳にぶつかる。

 顔が強張る俺を見て、神楽先輩は触れた手の体温と同じくらい冷たい顔をして口を開いた。


「ふぅん、君ってつまらない人間なんだね」


「! な……なんで……」


 絞り出した声が震えた。

 掴まれた手を引っ込めようと頭では思っているのに体は動かない。


「君自身、自覚はあるようだね」


「……っ」


「だからオレに興味を持ってもらえない。そう思っているんだろう?」


 ぐっと顔が近づいてきて目を覗き込まれた。

 にやりと笑う神楽先輩に背筋がゾッとする。

 怖い。

 なんで、なんで分かるんだよ。


「絹子さんを助けたい。でも自分には出来ない。リーダーにはっきりと言われたから。ただの人間だって」


「っ、や……」


「ただの人間には何もできない。そうだよ。ただの人間のくせに、お前に何か出来ると思ってるのか?」


「やめて、ください……っ」


「本当に、オレから見ても君はとてもつまらない人間だよ」


 真正面から鋭い眼光で射抜かれた。

 恐怖に視界が滲む。


「やめろ……ッ!」


 俺は叫んで、神楽先輩の手を振り払った。


「……っ……」


「……」


 神楽先輩は何も言わない。

 俺は俯いて、はっ、はっ、と肩を上下させながら浅い呼吸を繰り返す。

 ……心を読まれた気分だ。いや、読まれたんだ。そうじゃなきゃあんなハッキリと、俺が考えていた気持ちを口にされるなんてことは––––


「正人君」


「……っ」


 低い声で名前を呼ばれて肩が跳ねる。

 恐る恐る顔を上げると、神楽先輩は貼り付けた笑顔を浮かべていた。


「助けてあげようか」


「……ぇ……?」


「絹子さんを助けてあげるよ」


 俺は目を見開いた。

 絹子さんを助ける。

 神楽先輩には、それができるのか?


「彼女はずっと捜している。愛した人を。なのに彼は彼女の前に現れない」


 俺は眉根を寄せた。

 まるですべてを理解しているかのような口ぶりだ。

 ……いや、神楽先輩は理解しているんだ。


「彼が彼女の前に現れない限り、彼女は永遠にこの村をさまよう。そのうち彼女はこの村の人間を次々に呪い殺す怨霊になるだろうさ」


「……っ」


「そうならないようにするには、犠牲者が必要になる」


 神楽先輩はテーブルに頬杖をついて言う。


「犠牲者は一人で十分だ」


「……その犠牲者って、誰なんスか?」


 俺の恐々とした問いかけに対して、神楽先輩は何も言わず目を細めて笑っていた。


 ……………

 ……



***〈葉月潤.side〉


「私の髪の毛。神楽さんはショートとロングならどっちが好きかなぁと思って」


 と、琴音は言った。

 ちなみに琴音はショートカットだ。


「それは俺にもわからないな」


「ちなみにだけど、潤はどっちが好き?」


 琴音は真剣な表情だった。

 あー……この場合はショートが好きとでも言っておけばいいのか?

 でもどうせ「あっそ」と、そっけなく言われるだけだ。琴音がその答えを期待しているのは神楽だから。

 なので俺は正直に答えた。


「俺はどっちでもいいよ」


「ハァ~、分かってないなぁ。そこは嘘でもいいからショートが好きって言ってよね!」


 俺からぷいっと顔を背けた琴音は、少し頬を膨らませて不機嫌になっている。

 いや面倒臭いな……。

 俺はため息をつく。早く部屋に戻りたい。


「私、髪の毛……伸ばしたいの」


「え?」


 小さな声で琴音は言った。

 両膝を抱えてさらに続ける。


「でも訳あって伸ばせないから、ずっとショートカットなんだよね」


「……」


 伸ばせない理由を俺は知っている。

 その原因である人形は今、俺の足元の鞄の中に入っている。


「友達はみんな長いの。いろんな髪型ができて楽しそうだし、長い方が男子にも人気があるとか聞くしさぁ」


「そんなことないんじゃないか? ショートカットが好きな男子も多いと思うぞ」


 笑ってフォローしてみたが、琴音にムッとした顔で睨まれた。俺が何を言っても無駄な気がしてきた……。


「とにかく、私は髪の毛を伸ばしたいの!」


「ハイ……」


「みんな事情を知らないから伸ばせばいいって簡単に言うんだけどね。私勝手にイライラしちゃって……」


 琴音は暗い顔をして俯いた。

 伸ばしたいけれど、伸ばせない。

 俺は落ち込んでいる琴音をじっと見つめて、余計なことを考えずに口を開いた。


「綺麗な黒髪だし勿体無いよな。でもきっといつか好きなように伸ばせると思うよ」


「……!」


 琴音がパッと顔を上げて俺を見た。

 怒ってはいない。けど視線が痛い。


「……あ~、ごめん。そんな簡単なことじゃないんだよな」


「そ、そうだよ、簡単なことじゃないんだから!」


 なぜか焦っている琴音は頬が赤くて、怒っているのか照れているのか分からない。


「ま、まぁでも、潤もまぁまぁ綺麗な黒髪してるよね。サラサラだし」


「え、そうか?」


 琴音はボソボソした小さな声でそう言った。

 いやサラサラではないだろ。風呂の後だからかな。


「……千鶴お姉ちゃんも香澄お姉ちゃんも、私と同じ気持ちだと思うの。どうにかしたいってずっと思ってるよ」


「そっか……」


「話し過ぎちゃったね。お母さんがうるさいから早く帰らなきゃ」


 琴音はそう言って腰を上げた。

 続けて立ち上がった俺をちらっとだけ見てすぐに目を逸らした琴音はぼそりと言う。


「その……話聞いてくれて、ありがと」


「え? あぁ」


 俺は驚きを隠せず琴音を見た。

 琴音はお礼を言うのが恥ずかしかったのか目を合わせない。


「あ! 髪の毛のこと、ちゃんと神楽さんに確認しておいてよね!」


 すぐに生意気な態度に戻ってしまう。

 俺はやれやれと苦笑した。


「はいはい」


「帰るのは明日なんだよね?」


「あぁ。まさか、また呼び出すのか?」


 俺は言いながら足元の鞄を持つ。

 琴音は腰に両手をあてて偉そうに言う。


「当たり前じゃん! 朝食の後でもいいし、私から連絡するから、」


「……!」


 どさっと鞄が手から落ちた。

 いや、投げ捨てたと言った方が正しい。

 鞄は石段の下の地面に落ちたが、中身が飛び出ることはなかった。


「……っ」


「え、潤? どうしたの?」


 琴音が不思議そうに見てくる。

 俺は表情を強張らせて鞄を凝視した。

 今……動いた……よな?

 鞄を持った瞬間、中から振動が伝わってきた。

 まるで小さな生き物がもぞもぞと動いたかのように……。


「鞄がどうかしたの?」


 琴音が不思議そうに言いながら鞄に視線を移したその時。


 もぞっ


「「……!」」


 同時にびくっと肩を震わせた。

 鞄が小さく動いている。

 俺はハッとした。

 鞄の中には、あの呪われた人形が入っている。

 背筋がひやりとした。


「ちょ、ちょっと潤……鞄の中に猫でも入れてるの?」


 琴音は怯えて俺の後ろに隠れながらそう言った。何も知らない人からするとそう見えるだろう。

 俺は人形のことを琴音に伝えようと口を開く。

 瞬間––––鞄の中から黒い塊が這い出て来た。


「……!」


「きゃっ……」


 琴音が小さな悲鳴をあげる。

 俺は息を呑んで、鞄から出て来た日本人形を見つめた。


「潤……この人形って……」


 琴音が呆然と呟いた瞬間、人形の顔がこちらを向いて、自らの体を起こす。目の前で人形が、まるで生きているかのように動いている。

 琴音が俺の腕を強く掴んできた。その手はガタガタと震えている。

 人形から距離を置こうと、俺と琴音は一緒に後ずさった。


「ひ……!」


 琴音は喉を引き攣らせた。

 人形から顔を背け、俺の腕に額を強く押し付けるとぎゅっと目を閉じる。

 俺は琴音を気にしながら人形を睨みつけた。

 人形はゆっくり、ゆっくりと、こちらに向かって歩いて来る。


「……ワタ……シヲ……」


「……!」


「……ワタシ、ヲ……ミテ……」


 わたしを見て……。

 ロボットのような機械的な声で人形はそう喋った。


 ワタシヲ見テ……

 ワタシニ触レテ……

 ワタシヲ愛シテ……


 まるで呪文のように耳の鼓膜を震わせる。

 なんなんだ、やめろ、やめろよもうッ!!


「うっ……」


「……!? 琴音……っ」


 腕を掴んでいた琴音の手が弱まったと思ったら、彼女の体から力が抜けた。

 倒れそうになった琴音の体を抱き止めて、俺は石段に腰を落とす。

 腕の中でぐったりとしている琴音の顔を覗き込む。額に滲み出る汗に気づき、手のひらをあてた。


「すごい熱……」


 さっきまで元気だったのに、琴音は苦しそうに呼吸をしている。


「……オイテ、イカナイデ……ステナイデ……」


 見たくないのに、人形に視線を向けてしまった。

 人形はゆっくりと距離を縮めてくる。

 琴音が倒れたのはコイツのせいだ。

 これが人形の呪いなのか……?


「……ミンナ、ワタシヲ、ミテクレナイノ……」


「……!」


「ステナイデ……ワタシヲミテ……ステナイデヨ……ワタシヲミテヨ……」


 人形はそう訴えかけてくる。

 とても悲しそうな声に聞こえた。

 まるで小さな子供が、捨てないでと親に必死に訴えかけるような……。

 けど、この時の俺は恐怖に支配されていた。

 この人形の呪いは本物だ。この人形は危険すぎる。


「オネガイ……」


 人形は近づいてくる。

 琴音の呼吸が荒い。早くなんとかしないと……


「ステナイデ……」


「っ、来るな!」


 拒絶の言葉に、人形の動きが止まった。

 俺はもう一度、震えた声を絞り出す。


「もう、俺に近づくな……」


「……」


 人形は動かなくなり、喋らなくなった。

 暗闇にぽつんと立っている人形を、俺は無言で睨みつける。

 すると、人形が再び動いた。


「……ワタシハ……タダ……」


 人形の体が暗闇に吸い込まれるようにして消えていった。

消える寸前に、人形がこぼした最後の一言を聞き取る。


 ……寂シカッタノ………


 その言葉を残して、人形は俺たちの前から姿を消した。

 俺はしばらく呆然としていたが、琴音の呻き声を聞いてハッとする。


「おい、琴音」


「……っ……」


「大丈夫じゃないな……家まで送るから、道案内だけ頼む」


 うっすらと目を開けた琴音は、俺の言葉に弱々しく頷いた。

 俺は琴音を背中におぶって、彼女の家に向かうことにした。


 ……………

 ……




***〈向田絹子.side〉


 私は暗闇の中、一人で泣いていた。

 せっかく外に出られたのに、外の世界に愛するあの人はいなかった。

 あの人のお嫁さんになることをずっと望んでいた。

 でもそれは叶わなかった。

 ……悲しかった。

 ……あの人の前から勝手にいなくなったのは私なのに。

 あの人は私の前に現れない……。

 私に会いに来てはくれない……。


「うぅ……っ」


 私は冷たい地面にうずくまって泣いた。

 私は、私はどうすればいいの……

 ねぇ、矢一さん……

 お願い……

 一人にしないで……


 こつっ


 軽い足音が聞こえた。

 私は両手で覆っていた顔を上げる。

 暗闇の中、足音が近づいて来る。


 こつっ、こつっ………コツン……


 暗闇から姿を現したのは少年だった。

 少年は足を止めて、目の前にいる私をじっと見下ろす。

 無表情のまま口を開く。


「どうして泣いているんだ?」


 無感情な声だった。

 私は不思議だった。

 この少年は何者なんだろう。

 どうして私にそんな言葉を投げかけてくるんだろう。


「……一人だからよ」


「……」


「暗くて寒い井戸の底に、ずっとずっと一人でいたのよ……」


「寂しいの?」


 少年は再び問いかけてくる。

 そう、私は……


「寂しい……だからはやくあの人に会いたい……」


 再び泣き始めた私に、少年は言う。


「愛するあの人は現れないよ」


 ぴくっと肩が跳ねた。

 私は少年を睨みつける。

 どうしてそんなことを言うのか理解できなかった。


「貴女は死んだ。殺された。殺されて、閉じ込められたんだろう?」


「……っ」


「オレも貴女と同じでね、理不尽に殺されたんだ。だから貴女の気持ちは分からなくはないよ」


 少年はうっすら笑む。

 不気味だった。

 人の子のはずなのに、何かが違う。

 どこかおかしい。


「貴女の望みは、愛するあの人と再び一緒になること?」


「……」


 私は黙って頷いた。

 矢一さんと一緒にいたい。

 矢一さんと暗い暗い穴の底に落ちて……

 そして二人っきりの世界で、永遠に生きるの。


「でも私の前に、矢一さんは現れてくれない……」


 会いに来てくれない。

 私はどうすればいいの……。


「だったら、別の人間を連れて行けばいい」


 少年は冷たい目をして静かに続ける。


「彼は現れない。捜しても見つからない。ずっと待ち続けても無意味だ。貴女はいつまでたっても一人のままだ」


 そんなことない……

 彼はいつかきっと、私の前に現れてくれる……


「無理だよ」


 現れてくれる、はず……


「諦めて、別の人間を連れて行けばいい。貴女は自分を愛してくれて、そばにいてくれる人なら誰でもいいんじゃないか?」


「ちがうわ……私は、愛する彼じゃなきゃ……」


「滑稽だね」


 少年はため息混じりに言った。

 しゃがみ込んで、私と間近で目を合わせる。


「貴女は一人が嫌だ。だったら連れて行けばいい。貴女と一緒になりたがっている人がいるんだから」


 私は思う。

 私が捜しても、泣いていても、彼は現れない。

 矢一さんはもうこの世にいない。

 私を残して行ってしまったんだ。

 私を、残して……


「……私と一緒になりたがっている人。その人は誰?」


 私は泣くのを止めた。

 心は冷え切っていた。

 誰でもいい。

 もう誰でもいいから。

 私と一緒になって……

 私のそばにいて……

 一人にしないで……。

 少年は目を細めると、私の耳もとに唇を寄せてその人の名前を口にした。

 そして再び私と目を合わせると、


「大丈夫、貴女はきっと……幸せになれる」


 そう言って、綺麗に微笑した。


 ……………

 ……




***〈梢修一.side〉


「わざわざ訪ねて来なくても良かったのに、千鶴」


 仕事を終えた千鶴が民宿を訪ねて来た。

 母親には先に休んでもらってから、俺はリビングのテーブルに座っている千鶴にお茶を出す。


「だって、修一さんが疲れてるみたいだからって、恵さんが」


「恵か……他に何か余計なこと言われた?」


 千鶴の正面に腰を下ろすと、千鶴は困ったように微笑んだ。


「顔を見せに行ってやってくれって。それだけよ」


「まったく、何考えてんだか……」


「ふふ、恵さんはいま喫茶店にいるの?」


「ああ。香澄ちゃんの課題を見るって言っていたよ。香澄ちゃんは勉強熱心だね」


「本当ね。琴音も見習ったらいいんだけど」


 くすくす笑う千鶴を見て、俺は頬が緩んだ。

 そこで一旦会話は途切れる。

 千鶴が湯呑みを手にしてお茶を飲んだ後に、ポツリと呟く。


「修一さん、お仕事はどう?」


「ん? まぁ、楽しくやってるよ。千鶴は?」


「私も楽しいわ。子供が大好きだから」


 千鶴は俯いて湯呑みをじっと見つめている。なんだか思いつめた表情だ。


「そういえば、市内の大きな保育園から声がかかっているんだろう?」


「え、修一さん知ってたの?……あ、香澄から聞いたのね」


 千鶴はやれやれとため息混じりに言った。


「断ったわ。私は、自分が育ったこの村の保育園が大好きなの」


「そっか」


「それに……」


「ん?」


 少し頬を染めて、千鶴は呟く。


「この村にずっといたいの。……修一さんにすぐ会いに行けるから」


「……」


 俺は黙って視線を落とした。

 千鶴が慌てて言う。


「えっと、修一さん、私……」


「千鶴。俺の昔の話を聞いてくれないかな」


「え?」


 俺は視線を上げた。


「いいかな?」


「……」


 千鶴は戸惑いながらもこくりと頷く。


「絹子さんのことなんだ」


「……っ」


 千鶴の顔が強張った。

 俺は気づかないふりをして続ける。


「俺は小学三年生の頃に、彼女に出会っているんだ」


「え……?」


「あの社まで一人で遊びに行ったんだよ。絹子さんは社の中に居た」


「……」


「当時の俺は親から絹子さんについて何も教えられていなかった。社の存在理由も知らなかったんだ。閉じ込められている女性を見て可哀想だと思って『どうしてそんなところに居るの?』『そこから出してあげようか?』って、話しかけたんだ」


 千鶴は黙って話を聞いている。


「そしたら彼女は言ったんだ。私は大丈夫だからって。大切な人をここで待ってるんだって。寂しそうに微笑みながら言うんだよ……」


「……」


「彼女を見たのはその一度きりだ。気になって何度か社まで行ったけど会えなかった。俺はずっと……今もずっと、絹子さんのことが気になって仕方がないんだよ」


 湯呑みを包む千鶴の両手に、ぎゅっと力が入った。

 千鶴は泣きそうな顔をしていた。

 俺は最低なことを言っている。

 千鶴を、傷つけている……。


「……修一さんは、絹子さんのことが好きなのね」


「……まだ、自覚がないんだ」


「わからないの? ずっと気になって仕方がないんでしょう?」


「……」


「それは絹子さんが可哀想だから? 愛する人のお嫁さんになる前に殺されて、あんなところに閉じ込められて、そうよ、可哀想よ、私もそう思うわ」


「千鶴、落ち着いて……」


「けど! 彼女はもう死んでいるのよ! やめてよ、修一さん……っ」


 千鶴が珍しく声を上げた。

 驚いて固まる俺の目の前で、千鶴は涙を手の甲で拭う。


「……千鶴、ごめんな」


「……」


「……俺はただ、絹子さんが心配なだけだ。それだけだよ」


 千鶴は俯いて黙ってしまった。

 俺は何か言おうとしてやめた。その代わりにぼんやりと絹子さんについて考える。

 向田絹子は三姉妹の長女だった。そして梢家の長男、梢矢一こずえやいちと結婚するはずだった。

 けれど次男の伊吉いきちによって、彼女は井戸に突き落とされて殺された。その後、伊吉は首を吊って自殺したという。

 二人が亡くなった一年後に、矢一は病死してこの世を去った。

 絹子さんが亡くなってから病死するまでずっと、彼は仕事部屋に閉じこもって人形を作り続けた。井戸があるあの場所へ一度も足を運ぶことなく、何かに取り憑かれたかのように、ずっと作り続けていたという……。


「……矢一さんは、本当に絹子さんのことが好きだったのかな」


「え?」


 ぽつりと呟いた俺の言葉に、千鶴が反応する。


「絹子さんは、会いたがっているのに……」


「修一さん?」


 そうだ、彼女は会いたがっている。

 なのに、彼は彼女の前に現れない。

 俺はテーブルの上を睨みつける。

 

 ……パチッ


 突然、部屋の電気が点滅した。

 千鶴とそろって上を見る。


「……どうしたのかしら?」


 千鶴が不思議そうに呟く。


 ……パチッ……パチッ……


 点滅は続く。

 俺は原因を調べようと腰を浮かした。


 バチンッ


 電気が消え、部屋が真っ暗になる。

 俺たちは身動きが取れなくなった。


「やだ、停電……?」


「千鶴、危ないから動かないで」


「えぇ……」


 俺はその場に千鶴を残して、懐中電灯を探しに行く。たしか、ドア近くの棚の中に……


「きゃあ!」


 背後から千鶴の悲鳴が上がった。

 驚いて振り返る。


「千鶴、どうした!」


「……っ、さっき声が聞こえたの。女の人の声が……」


 千鶴はひどく怯えていた。

 千鶴が居た場所に戻って、手探りで肩に触れる。


「大丈夫か?」


「……っ」


 千鶴は俺の腕をぎゅっと掴んできた。


 ギシッ……


 びくっと肩が跳ね上がる。

 背筋に悪寒が走った。

 背後から、床が軋む音がする……。


 ……ギシッ……ギシッ……


 近づいて来ている。

 後ろを振り返ることができない。千鶴は俺の腕の中で震えている。


 ギシッ……


 すぐ後ろまで来ている。

 何かの……気配が……


「シュウイチさん」


「……!」


 背後から耳もとで囁かれた。

 女性の声だった。

 背中に、べったりと張り付く気配がある。

 名前を呼ばれた……。


「シュウイチさん」


「………絹子、さん?」


 俺はゆっくりと首だけを動かして肩口を見た。

 真っ黒な長い髪の毛が、俺の肩に垂れさがっている。


「シュウイチさん」


 俺と目が合った瞬間、彼女は恐ろしい氷のような顔で嗤った––––。




***〈向田千鶴.side〉


「だめっ!」


 私は叫んで、掴んでいる腕にぎゅっと力を込める。

 修一さんは肩口にある絹子さんの顔を見たまま動かない。


「だめ……お願い修一さん……っ、修一さん……!」


 私の声に彼は反応しない。

 私は修一さんの腕を引っ張って逃げようとした。


「邪魔をするな」


「……!」


 絹子さんに睨まれた。

 瞬間、体からすっと力が抜け落ちる。


「ぁ––––」


 がくんっと膝から崩れ落ちた。

 修一さんの腕から手が離れてしまう。

 だめ……修一さんが……


「……しゅういち……さ……」


 連れて行かれてしまう……


「絹子さん……俺はずっと、ずっと貴女に会える日を待っていました……」


 修一さんの嬉しそうな声を耳にして、私の意識は途絶えた……


……………

………




「––––……っ、修一さん!?」


 ハッと目を覚まして飛び起きる。

 電気がついた明るい部屋を見回した。


「修一さん……?」


 私は呆然と呟いた。

 部屋には私だけしかいない。


「修一さん……修一さん……!」


 彼の姿は、どこにもなかった……。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

怨嫁 一風ノ空 @ichikazenosora

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ