第9話
***
夜半、桃麻は外のざわめきで目が覚めた。
重い瞼を擦りつつ、身体を起こして窓の外を見てみると、向こうの方に幾本もの赤い光が揺れている。
「なんだ……?」
眠気が一気に吹き飛んだ。妙に胸騒ぎがして、桃麻は急いで履き物を履き、外に出る。
空には星が瞬いていた。桃麻は夜闇に紛れ、そろりと赤い光の方へ近づいて行く。一定まで近づいたところで、その光は松明の炎だという事に気が付いた。
炎が集まる場所は、昼間訪れた村長の家の前。そこには松明の本数と同じだけ、村の男達が険しい表情で立っていた。
桃麻は家の影に身を隠し、彼らの様子を窺った。
「皆、聞いてくれ」
聞き覚えのある声。恐らく村長のものだろう。
「今日、妖怪退治屋が私の元を訪れて言った。あそこにいるのは邪神ではないと」
彼の言葉に人々がざわめく。「何だ」「どういうことだ」「そんなはずはない」と口々に否定の言葉を発した。昼間桃麻が、村長に結論を告げた時と同じ反応だった。
しばしの後、そのざわめきがいくらか静まってから、村長は再び口を開く。
「皆の気持ちは分かる。私も同じだ。だから決めた。私達であの邪神を殺す事を」
桃麻は頭の上から、冷水を掛けられたような気がした。さっと、全身の血が凍っていく。
村長は静かな声で続けた。
「あの妙な場所ごと全部焼いてしまえば、神といえども太刀打ちできんだろう。初めから外の者に頼るべきではなかったのだ。皆で行えば怖くない。さあ……」
その言葉が終わる前に、桃麻は走り出していた。
暗がりの中、田畑を横切り、小石に躓きそうになりながら、あの場所を目指して必死に駆ける。
脳裏には、あの無邪気な姿が浮かんでいた。
このままだとあの神が殺される。
そんな事、決してさせない。
彼は耳と、口と、鼻ができて、ようやく世界を知り始めたばかりなのだ。自分の名を嬉しそうに呼び慕ってくれたあの神を、村人たちなどに奪わせてなるものか。
夜の桃花の園は、悲しいくらいに美しかった。星空の下、花は自ら光を発しているかのように、薄桃色に輝いている。
桃麻は舞い散る桃花も顧みず、その中心の舞殿に向かって走った。その舞台の上でくるりくるりと踊っている人影に、力の限りの大声で叫ぶ。
「おい!」
声に気付いた神は、踊りをやめて桃麻の方を振り返った。
「あれ、桃麻? 何でこんな時間に?」
不思議そうに首を傾げる神。桃麻は舞台に上がって彼の元へ駆け寄ると、その腕を握って引っ張った。
尋常ではない様子の桃麻に、神は一層困惑する。
「え、ちょっと、どうしたの? そんな怖い顔して……」
「逃げるんだ! 早くしないと、村人たちが来る!」
怒鳴られた神は一瞬身体をびくつかせ、震える声で再び問う。
「どういうこと? それに逃げるっていっても……」
「とにかく! 早くこの場を離れないと、あんたが村人達に殺される!」
叫んだ桃麻の後ろで、ぼう、と炎が揺れた。続いて大勢の足音が、二人の元へ近づいて来る。
「あっちだ!」
「走れ!」
村人たちの声が、遠くの方から聞こえてくる。
桃麻は一度背後を振り返った後、「行くぞ」と神の腕を引いて走り出した。
「ねえ、桃麻! 何が起こってるの!? たくさんの声がするし、変な匂いもする。それになんだか口の奥の方が痛いんだ」
「襲ってきた村人たちが火を放ったんだ! 煙はあまり吸い込むな! 袖で口を塞いでろ!」
後ろを確認しつつ、村人たちと逆方向へ走っていく。だが、火の手と村人たちの足は予想以上に速かった。桃麻は足を速めるも、神の手を引いて走るには限度があった。
「いたぞ!」
「あそこだ!」
村人の声が、すぐ背後まで迫ってきた。
「くそっ……」
舌打ちをして、更に足を速めようとする。
しかし、巨大な炎が行く手を阻んだ。
「そんな……」
炎に侵された桃の木が、力尽きて倒れてきたのだ。高く燃え上がる炎は、天の星さえ燃やし尽くす勢いだった。
桃麻は神の腕を握ったまま、背後の景色を振り返った。
桃の木はすべてが炎に飲まれ、舞い散る桃花は火の粉に変わる。
遠くの舞殿は既に焼け落ち、紅蓮の奥で黒い炭になっていた。
辺りからは闇色の霞が立ち、煙と共に天に昇っていく。
美しかった神域の影は、最早どこにも残っていない。
「どうして、こんなことを……」
悔しさと共に涙が溢れ出て、桃麻の頬を伝っていく。
その雫は、頬に当てられた手にすくい取られた。
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