第8話

***



「結論が出ました。あれは邪神ではありません」


 神域から戻った桃麻は、村長の家へと向かい、集まっていた村長や副村長達に向かってそう宣言した。


「なんだと!? あそこにいるのは渾沌であろう!? あれは邪神の中でも特に凶悪なものなのだぞ!」

「いいえ、違います」


 激昂する村長に、桃麻は懐から神域で得た神の羽を取り出した。薄暗い部屋の中、それは自ら光を発するように、きらきらと澄んだ輝きをみせている。

 村長達の息を呑む音を聞いた後、桃麻は再び口を開いた。


「これはあの神の羽。邪神であれば、神の身体の一部は邪気を纏います。しかしこれには邪なものは何もない。よって、邪神ではないと判断しました」

「ま、まやかしだ! きっとそうだ!」

「いいえ。これは確かな証拠です」


 何かを振り払うように大声を上げる村長へ、桃麻は冷静に首を振る。羽を再び懐に収め、深々と彼らへ頭を下げた。


「邪神でない以上、俺にあの神を討伐することは出来ません。申し訳ありませんが、この話はお断りさせていただきます。報酬も不要です。荷物をまとめ、明日一番で村を出て行きましょう」

「な、何を勝手に決めている! 私達は言っただろう、早急にあれを始末しろと!」

「申し訳ありません。できません」


 冷静な声で告げた後、立ち上がって踵を返す。後ろから村長達の罵倒が聞こえたが、桃麻はすべてを無視して家の外へと出て行った。

 外は曇っていた。黒に近い灰色の雲に村を覆われた村は、昼間なのに薄暗く、酷く重苦しかった。桃麻は田畑の脇を通って滞在中の空き家へ向かう。本来であれば田は金の衣を纏い、畑で根菜類が収穫時期を迎え、村には活気があるはずだが、ここにはそのどれもがなかった。水田の水は枯れ、畑に生えるのはしなびた枯れ草と雑草だけ。人々はほとんど家に閉じこもって出てくる事は無い。時折すれ違う者があったとしても、皆一様に痩せこけていて、話しかけても焦点の合わない目で桃麻に顔を向けるだけだった。

 飢饉に疫病。村の状況を目にすれば、その二つがどれだけここに影響を与えているのか痛い程分かる。それ故、村長達の怒りも無理はない。

 だが、それでもあの神を殺す事は出来ないのだ。邪神ではない以上、殺せば大きな災厄が訪れてしまうかもしれない。

 それに、と桃麻は歩きながら神域での事を思い返す。

 例えあの神が本当に邪神だったとして、自分はあれを殺せただろうか。初めて他者の存在を知り、すべてのことに興味を持つ、純粋無垢な子供のごときあの神を。

 笑顔を向けて抱きついてくる神の胸を、容赦無く剣で貫く想像をして、桃麻は心臓が一気に冷える思いがした。想像の中であの無邪気な気配が、一瞬にして絶望に変わるのを見たからだ。

 ぶんぶんと頭を横に振り、頭の中を空にする。顔を上げて、自分にあてがわれた空き家の前まで来ていた事に気が付いた。

 蜘蛛の巣の下、重くなった引き戸を何度か左右に動かした後、扉を開いて中に入る。狭い室内は薄暗く、自分の荷物以外には何もなかった。

 桃麻は藁の敷物が敷かれた床に腰を下ろし、足から履き物をのろのろと外す。両側適当に放った後、どさりと床の上に横になった。

 村を出るのは明日の早朝。今は少しくらい、休んでも良いだろうと、桃麻は静かに目を閉じる。


 ――あの神が邪神ではなくて良かった。


 胸の奥に浮かんだ言葉は、微睡みの奥に消えていった。

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