第6話

***



「あんた、渾沌って名前だったのか?」


 翌日、再び桃花の神域を訪れた桃麻は、舞殿の上の神に声を掛けた。相変わらず躍っていた彼は、桃麻の声で動きを止める。羽を大きく広げると、「桃麻!」と嬉しそうな声を上げながら、桃麻に飛びついてきた。目が見えないはずなのに、正確に桃麻の身体を捕らえ、首辺りに手を舞わず。成人男性の体重に耐えきれるはずもなく、桃麻は為す術もなく後ろに倒れた。


「わあ、また来てくれたんだね! 嬉しいよ!」

「わかったから、落ち着いてくれ……。首が絞まる……」

「あっ、ごめん」


 桃麻の苦しげな訴えに気付いた神は、謝った後にぱっと手を離して桃麻から離れた。

 桃麻は身体を起こし、あぐらを組む。目の前で申し訳なさそうに羽をしぼめている神を眺め、ため息をつきつつ頭を掻いた。


「いいよ。あんた、見えて無いんだし。まだ力加減も分からないんだろ」


 それに、見た目は成人していても、中身は五歳児くらいのようだし、と心の中で付け加える。


「ほんと!? 許してくれる!?」


 神は羽を膨らませ、身体を僅かに桃麻の方へ乗り出した。表情は布面で隠れて見えないが、喜びの感情が手に取るように分かる。

 桃麻は「ああ」と頷きつつ、大きな子供のようだと改めて思った。余計にこの神が邪神とは思えなくなる。それを確信に変える為にも、はやくこの神のことを知らなければ。


「で、さっきの質問だが。村人たちがあんたを渾沌って呼んでたが、あんた、ほんとにそんな名前なのか?」

「ふうん。今はそんな風に呼ばれてるんだ」


 自分の事なのに、人ごとのように神は答えた。


「今は、って。ならあれが本当の名前じゃないんだな?」

「んー。半分正解で、半分間違いだね」

「どういうことだ?」


 眉をひそめる桃麻に、神はぱさりと羽をはためかせた。


「神には持って生まれた名前と、人から呼ばれる名前があるんだ。で、その二つが違うことはよくあること。でも結局、神は人からの信仰や畏怖で存在を保ってるから、人から呼ばれる名前の方が重要なんだよね。だから、村の人達が僕を『渾沌』って言ってたなら『渾沌』なんだよ」

「……」


 桃麻は眉間に皺を寄せたまま、おもむろにこめかみを押さえた。

 人から呼ばれた名前が真実になる。ならば、「渾沌」という名前だけでは判断できないと言うことか。現時点では、村人たちが勘違いしている可能性も十分ありえるのだから。

 思案顔で俯く桃麻。鼻孔をくすぐる桃の香りが、余計に桃麻の表情を険しくさせた。

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