第56話

ヨミは雹藍の方に身体を向ける。雹藍もヨミに向かい合った。


しばしの間、視線を交える。それは男女の間で交わされる甘い類いのものではない。互いの意思を探り合い、確認しあう眼差しだ。


そして、次の瞬間。


「おおお……!!」


「なんということだ……!!」


広場の臣下達がどよめきをあげる。焦りと、困惑と、怒りが、一瞬でその場を支配した。


ヨミは懐から短剣を取り出し、雹藍に向かって大きく振り上げていたからだ。


翡翠は腰の長剣に手をかけて、ナパルはヨミの名を呼び彼女に駆け寄ろうとする。衛兵達が舞台に集まりヨミの身体を拘束しようとした。


しかし雹藍はすべてを制止し、ヨミの目をまっすぐ見つめる。


「ヨミ……」


雹藍が、ヨミの名を呼ぶ。悲しみも、怒りも、そこにはなかった。


「その選択をしたのか。私を……僕を殺すと」


皇帝から「雹藍」に戻って問いかける彼。


ヨミはそれには答えなかった。意思の籠もった瞳で雹藍を見つめ、勢いよく短剣を振り下ろす。


広場がどよめきと叫び声が沸き上がった。

 

しかし、雹藍の胸から鮮血が吹き出すことはなかった。


「ヨミ……?」


驚きに満ちた表情で、雹藍はヨミを見つめる。


振り下ろされたはずの短剣は横に倒され、雹藍へと差し出されている。そしてヨミは、彼の目の前に跪いていた。


「皇帝陛下」


戸惑う人々を差し置いて、ヨミは俯いたまま声を上げた。


「この短剣は、過去十年間、私と共にありました。必ず果たすと誓った強い思いが、この刃には込められています」


ヨミはそこで言葉を切り、顔を上げた。口元に浮かべられた笑みを見て、雹藍が目を丸くする。


「この剣を、あなたに預けましょう。過去は消える訳ではありませんが、それを乗り越えてより善き未来に歩まなければならない。私は陛下の行く道の先を、共に見てみたくなったのです」


「……いいのか?」


驚く雹藍に、ヨミは「ええ」と頷く。


「これが、私の選択。だから……」


ヨミが促すと、雹藍は微笑みながら短剣を受け取った。


ヨミは彼にもう一度頭を下げ、宣言する。


「鵬翔のヨミ・ウル、皇后の位、謹んでお受け致します」


喝采が上がった。


それは祝福よりも、安堵に近い。しかし皇帝がヨミを皇后とし、ヨミがそれを受け入れたことに対するものには違いなかった。


蒼龍国の臣下達の拍手や歓声が広場からも龍水殿の中からも聞こえてくる。


皆が式典の成功を祝っている、その時だった。

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