第五章 選択

第51話

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時が経つのはあっという間だ。


ヨミは紫玉園の中心にある池のほとりで、僅かに顔を出した朝日を見ながらそんな事を思う。


蒼龍国に来てから丁度一月。予定通り、正午からヨミと雹藍の婚姻式典が開かれる。


宮廷内はその準備で朝から宦官や女官達がばたばたと忙しなく働いており、後宮の他の姫達は嫉妬のあまり癇癪を起こす寸前だった。


今も後ろを振り向けば、大きな箱を二つ抱えて走って行く若い男が目に入る。


準備は滞りなく進んでいるようだ。ヨミの心を置き去りにして。


池の水面を見れば、飾り気のない薄桃の裳を纏った自分の姿が目に映る。その表情にはいまだに迷いの色が浮かんでいた。


数日前、雹藍に刃を向けた事もやはり不問となっていた。どうやら彼は、本気でヨミに命を委ねるつもりらしい。


あの夜、廟で「構わない」と言った雹藍の顔が脳裏に焼き付いて離れない。以来ヨミは今日まで彼と会うことを避けていた。


そんな中、昨晩再びバランがやってきて、兄からの言葉を伝えていった。


「まだ殺せていないのか。式典は明日だろう。ここまで来たら、式典の最中に殺すんだ。その混乱に乗じて、俺たちが攻撃を仕掛けるから」


追い打ちをかけるような兄の言葉を、ヨミはナパルと共に聞いていた。


心の波は、より一層高くなる。


殺したい。けれど殺せない。


自分と兄の事だけを考えれば、答えは当然決まっている。しかし雹藍の話を聞いても尚そうできる程、ヨミは自分本位になれなかった。


鵬翔の地も、鵬翔の民も愛していた。青空と草原に囲まれて、羊を抱きしめ、馬で地を駆け、精霊と遊ぶ、あの生活が好きだった。けれど同時に雹藍と見た、西城の店や人々、彼らの文化も、興味の対象になっていた。


その二つが、ヨミの選択次第で壊れてしまうことに気付いてしまった。


朝日は金の光を増しながら、地上へと上っていく。鵬翔の地ではいつも待ちわびていた輝きは、今のヨミにとっては眩しすぎた。


「そろそろ戻ろう。着付けとか、化粧とか、準備がたくさんあるって聞いてたし……」


ヨミは池に背を向け顔を上げると、そこには一人の人物が立っていた。

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