第42話

「久々に、笛でも吹こうかな……」


思考以外に意識が向けば、少しは気が紛れるだろう。


ヨミは呼龍笛を腰帯から引き抜くと、吹き口に唇を当て、静かに息を吹き込んだ。


軽やかな音色が堂の中に響き渡る。音は窓から外に出て行き、紫玉園中に広まっていく。大気に、地面に、草木や花に。そしてヨミの心に響いていった。


笛の音に願いを乗せて奏でれば、精霊たちがそれを叶えてくれる。


幼い頃、母はそう言ってヨミに何度も笛の音を聞かせてくれた。


もし本当に精霊たちが助けてくれるなら、自分の背中を押して欲しい。


そうすれば、きっと自分は前へと進んでいけるだろうから。


そんな事を思った時、突如堂の外に一陣の風が吹く。驚いたヨミは演奏をやめ、窓の外に身体を乗り出した。


つむじ風だったそれは、徐々に人の形を取っていく。しかしその影から感じるのは、人ならざる者――精霊の気配だった。


「ナパル……、じゃない。なら、誰……?」


もしかして、本当に精霊が願いを叶えにやってきてくれたのか。


そんな事を思いながらヨミは目の前の風をじっと見つめていると、やがてそれは十三歳程度の少年の姿になった。


鵬翔の民の服を着たその少年はしかし、肌には所々白いうろこが浮いており、尻からは蛇に似た長い尾が生えている。


「誰?」


「バラン。風龍だ」


首を傾げるヨミに、少年は大きな金色の瞳をくるりと動かしてみせた。白い尾が、ゆったり左右に揺れている。


「風龍……。にしては、まだうろこも小さいね。生まれてあんまり時間が経ってないんだ」


彼はヨミの言葉には応えない。しばし無言でこちらを見た後、一言告げた。


「伝言がある。トキからだ」


バランが来たのは笛の力だと思ったが、ただのトキからの伝言だったらしい。ヨミは心の中で密かに気を落としつつ、彼に尋ねる。


「トキ兄は何だって?」


「まだ実行していないのか。早くしろ、と」


「……トキ兄の馬鹿」


確かに兄から連絡が来ると言えばそれしかなかったが、それにしたってあまりにも折りが悪すぎる。


唇をとがらせ、不快の意をあらわすヨミを、バランはしばらく見つめていたが、やがて「トキに伝言は」と口を開いた。


「うるさい、馬鹿兄。やろうとしてる、って伝えて」


「……。わかった」


つんとした態度のヨミにも、バランは眉一つ動かさない。


蒼龍国に来た頃の雹藍と同じくらいに無表情かつ無感情だが、ただ表現が下手なだけ出会った彼と違って、バランは本当にそうなのだろう。精霊には人間と同じような感情を持たないものも時々いると聞く。


「じゃあ、俺はこれで」


「うん。お願いね」


言い終わるより先に、バランは再び風となってその場から消えてしまった。


ヨミはぼんやりと紫玉園を見渡した。朝靄は大分晴れていたが、空に掛かる雲のせいでどこか空気が重い。


背中を押されても、大して感情は動かなかった。相変わらず迷いはあるし、剣を取ることができるかどうかも微妙な所だ。


けれど、早くしろ、と言われてしまった。ならば迷いがあってもやるしかない。


「うん、今夜かなぁ……」


いつも通りであれば、今夜も雹藍はヨミの部屋に来るはずだ。


復讐を果たすこと、それがヨミの生きる意味。雹藍を殺す事は、間違いなんかじゃないはずだ。


堂から出て後宮に繋がる渡り廊下を歩きながら、ヨミはそう心に念じるのだった。

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