第37話

人混みの中、鵬翔の民と蒼龍国の頂点の二人が、互いの因縁を忘れて駆けていく。


それを後ろで見ていたナパルは、彼らの姿に微笑んだ。


もしかしたら、彼ならヨミを闇から救い出し、未来へと導くことができるかもしれない。


そんなことを思っていた時、隣から冷たく鋭い声がした。


「何故そんなに雹藍様を見ているのです。あなたも何か武器を持っているのですか」


目を向けると、翡翠が警戒心剥き出しの瞳でナパルを睨んでいた。腰の剣に手をかけて、今にもその柄を掴んで引き抜いてしまう勢いだ。


ナパルは彼の問いに首を振る。


「武器なんて持っていませんよ」


「……ああ、そうですね」


翡翠はナパルから視線を外して嘲笑した。


「精霊は人智を超えた力を持っているのですよね。武器など使わなくても人くらい簡単に殺せるというわけですか」


「……翡翠様、この際なので明かしておきますが、私の力は自らの血で他者の傷を癒やすことです。あとはこうして別の生き物の姿を真似るとか。素手で人を傷つけることなんてできませんよ。多少身体能力が高いかもしれませんが、それも豪腕な人間には劣りますし」


「それが真という証拠はないでしょう。あなたたちには初日の短剣の件がある。容易に信用する訳にはいきません」


「そうですか……。怪我人でもいれば治療するのですが、今はそういうわけにもいきませんし……」


静かな怒りと恨みを浮かべる翡翠の横で、ナパルはそっと目を伏せた。


真実を彼に言っても信用してもらえない。


先日の短剣の件と、彼が抱えている闇を考えれば、それくらいは明らかな事。しかしここまで復讐心を顕わにされるとなかなか堪えるものがある。


ナパルは前を行くヨミの背中に目を移す。


彼女は蒼龍国を恨んでいても、雹藍を殺すという目的の為に彼へ歩み寄ろうという姿勢を取っている。そしてその結果、雹藍とはうまく会話ができているようだ。


しかし翡翠にはそれがない。相手に近づこうとする意思の一つで、こんなにも結果が変わるものなのか。


「考えてみれば、あの頃にあって今はないものはそれなのかもしれませんね……」


ぽつりとそんな言葉が口から出る。心の中に浮かぶのは、数百年前、まだ蒼龍国が国として成立していない頃の洛陽の光景だった。


あの頃は良かった。


「国」という境目が曖昧だったあの頃は、遊牧民と農耕民、そして自分たち精霊が、あの場所で共に暮らしていた。互いの違いを理解し、それぞれの持つ力を他者に貸し与え、いさかいが起こった時は皆で対話して力に頼らず平穏に解決していたのだ。


一度争い合った間柄、以前と同じとまでは困難だと分かっている。しかし今の鵬翔の民と蒼龍国の人間の中にも、少しでもあの頃のような相手を理解しようとする心があれば、今の両者の関係も少しは良い方向に進んでいたのかもしれない。


「何をぶつぶつ呟いているのですか」


隣の翡翠が眉根を寄せて訝しげに尋ねてくる。


そんな彼に、ナパルは首元を人差し指で掻きながら無意識のうちに呟いた。


「あなたも少しだけで良いので、私たち精霊の事を知ろうとしてくれれば良いのですが……」


「は?」


翡翠の上げた低い声で、ナパルは自らの思いを声に出していたことに気付く。そして首を横に振り、困ったように微笑んだ。


「いいえ、なんでもありませんよ」

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