第30話

「頭を、あげるといい」


その声に従いそろりと顔を上げると、目の前には氷の如く冷たい表情をした雹藍と、心底不機嫌そうに眉間に皺を寄せている翡翠の顔が並んでいた。


内心焦りを感じながらも、ヨミは平静を保った振りを装う。


「半月振りですね、雹藍。お元気でしたか?」


しかし雹藍はそれには応えない。代わりに一言何の感情も見えない声でこう言った。


「今、時間はあるか」


「あ、ええ。先程今日の用事は終わりましたので、以降は特に何も……」


「では、これに着替えてほしい」


戸惑うヨミに、雹藍は翡翠から何かを受け取り、ヨミとナパルに差し出した。


「服、ですか?」


ヨミは首を傾げつつ、受け取った服を手で撫ぜる。それは麻で作られた衣で、今身につけている絹の衣と比べると格段に品質が劣るものだった。


「まさか、これを着て牢に入れってこと……」


「違います」


思わず漏れた心の声を、翡翠が即座に遮った。


「私としてはすぐにあなたたちを牢に叩き込んでやりたいのですが、雹藍様が先日の事は不問にするとおっしゃっているので」


舌打ち混じりに吐き捨てて、ヨミたちから目をそらす翡翠。


正式に彼の口から不問にするとの言葉が出て、ヨミは心の中で安堵する。雹藍の方に向き直り、深く頭を下げて感謝の言葉を口にした。


「ありがとうございます、雹藍」


しかし牢に入れと言うのでなければ、この服は一体何の為に渡したのだろう。


ヨミが頭に疑問符を浮かべていると、雹藍がおもむろに口を開く。


「それを着て誰にも見つからないよう北門の外まで来て欲しい。ナパル殿も一緒に」


「北門? しかも外ですか? 一体何をするのです?」


「職務だ」


それだけ言うと、雹藍と翡翠は部屋を後にした。


ヨミは口をへの字に曲げながら、二人の消えた扉を見つめる。


「相変わらず、わかんないな……」


呟きつつ、受け取った服を寝台に広げて確認する。


袖の広い上衣に、大きめの脚衣。その形はジウォンと通っていた市で蒼龍国の商人が着ていた服に似ていた。


そこで、ヨミはある事を思い出す。


蒼龍国では、男女で着る服の形態が全く異なるのだ。


「……これ、男物だよね」


ヨミは思い切り眉にしわを寄せる。隣のナパルも「そうですね」と言いながら苦笑いを浮かべていた。その手に持っている服は簡素な青色の裳だった。


「どういう意味? ナパルは女物なのに、なんであたしは男物の服なの? あたしが男っぽいってこと?」


「そ、それは違うと思いますが……。ここではヨミさんも女らしくしてらっしゃいますし……」


「そう言うといつもは女っぽくないって言ってるみたいだけど……。じゃあどういう意味なの、これは」


「分かりませんね……。とりあえず、言われたとおりにして見ましょう」


ナパルはいまだ不服そうな顔を浮かべているヨミに着替えるよう促した。


絹の衣を脱ぎ、渡された脚衣をはいて上衣を羽織り、腰帯を巻く。髪飾りを外して団子状に結んだ髪を一度解いて一つにまとめた。股の内側に布が当たる感覚が懐かしい。


「……まぁ、悪くはないか」


着替え終わって呟いたヨミは、寝台の下に隠した短剣を引っ張り出し、腰帯に差した。


それを見たナパルは、眉をひそめる。

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