第5話
「おい、清彰はいるか」
夕方、安倍家のインターホンを押した道満は、相手が出るなり名乗りもせずに開口一番そう言った。
上賀茂神社を訪れた後も、道満はいくつかの寺社を巡り情報を集めた。しかし賀茂から聞いた以上に有益な情報を見つける事は出来なかったのだ。
やはり清彰に聞くしかないと思った道満が、カフェで会って話したいと彼のスマホへメッセージを送ったところ、すぐに清彰から返信が来た。
すぐに返信が来たのだが、送られてきた内容がこれである。
「カフェじゃなくて家に来て」
嫌だと返信したのだが、以降清彰からの返信はない。なので仕方なく、道満は安倍の家に訪れたのだ。
インターホンを押してから約一分。門の向こうの家の中から、制服姿の清彰がいつも通りの微笑を浮かべてやってきた。
「やあ、道満。ごめんね、来てもらって。休日前だから高校の課題が多くてさ」
「ちっ……。別に……」
門を開ける清彰から目を逸らし、道満は軽く舌打ちをする。そして促されるまま、敷地内へと足を踏み入れた。
安倍の家は広い。
いや、もちろん平安の頃の自分の家と比べれば随分と小さなものなのだが、マンション住まいが大半を占めるであろう現代の京都では、豪邸と言ってもいい部類に入るだろう。
敷地を囲む塀と門。内側には庭があり、その向こうには古風な佇まいの平屋の家が立っている。木目調の引き戸を開けると玄関があり、長い廊下がその向こうに続いていた。
「とりあえず、僕の部屋に行こうか」
道満は先に歩いていく清彰の後ろを、しかめ面をしながらついていく。
やはりこの家は、どうしても好きになれない。
歩きながら道満は、辺りを警戒するように睨みつけた。
安倍の家は、何代も隔てているとはいえ、結局はあの晴明の家なのだ。自分がかつてない程敵視し、そして雌雄を決せず終わった宿敵の気配が、この家にはそこかしこに漂っている。
例えば、庭に。例えば、廊下に。更には目の前を歩く清彰からも、思い出すだけで腸が煮えくり返りそうな彼の気配が流れてきて、無性に物に当たりたくなる。
だからカフェでと頼んだというのに、目の前の彼の所為で窓の一つでも割ってしまうかもしれない。
「僕の部屋にクッションがあるから、物に当たるならそれにしてね」
道満の心を読んだかの様に、清彰がくすりと笑った。
こいつが一番気に障る。
道満は小さく舌打ちをして、コートのポケットの中に手を入れる。
その見た目。その口調。その性格。その気配。
調伏の術が使えないこと以外、清彰は全てが晴明にそっくりだった。清彰は晴明の子孫であり、決して本人ではないのだが、実は彼が自分と同じように時間転移して令和に来た晴明本人だと言われても、きっと驚かないだろう。
そんなことを考えながら、道満は口をへの字に曲げた。
長い廊下をしばらく歩き、突き当りの扉の前で清彰がようやく足を止めた。
「はい、どうぞ入って」
彼が部屋の扉を引くと、その向こうには五畳ほどの部屋があった。机とベッド、本棚だけの簡素な部屋には塵一つなく、不気味な程に綺麗に片づけられている。かろうじて、机の上に開かれたノートが生活感を醸し出していた。
「まぁ適当に座ってよ」
清彰は皺のないベッドに座ると、置かれていたクッション投げて寄こした。それを腕の中に抱いて床に胡坐をかき、ぐるりと部屋を見回した。
何か、妙な気配を感じる。
それが何なのか、はっきりとは分からなかった。
ただ、清彰ではない何者かの気配が、微かにこの部屋に漂っている。
そんな違和感を覚えつつ、道満は清彰に聞くべきことを問いかけた。
「清彰、『クー』って神を知っているか?」
「クー?」
彼は顎に手を当てて、こてんと首を傾けた。
「そうだ。他にはカーネとか、ノロとか、カナロアとか、ヘイアウとか……。昨日の晩に例の亡霊たちが言っていたんだよ」
「ああ、そのクーか。知ってるよ。ハワイ――異国の神様だ」
清彰はベッドから立ち上がり、本棚から一冊の雑誌を取り出し道満に見せる。その表紙には大きな文字で「ハワイ」と書いてあった。
「それはなんだ?」
「観光ガイドブックだよ。僕、先週海外旅行に行ってたでしょ? あれ、ハワイに行ってたんだ」
言いつつ彼はほんのページをぱらぱらめくる。そしてあるページで手を止めて道満の方にくるりと向けた。
そこには、丘や岩山、海の写真がいくつも掲載されており、一番右のタイトル部分には「ヘイアウ」とあった。
「ヘイアウはかつての神域だよ。日本でいう神社に近いかな。神に祈りを捧げる場所で、昔のハワイの人々はすごく厳しいルールに従ってこの神域を作ったんだ。中には建設の時、人身御供が捧げられたヘイアウもあるみたい」
清彰は開いたページの写真のうち、右上の一番大きな写真を指さす。そこには黄色や緑の草が生い茂る丘の上に岩でできた壁のようなものが映っていた。
「これが、クーを祀ったヘイアウ。クーは戦いを司る神で、生命の神カーネ、農耕の神ロノ、海の神カナロアと共にハワイの四大主神の一人だ。クーのヘイアウにも人身御供が捧げられてるみたいだけど、まあそれだけ戦いがかつてのハワイの人間には重要だったってことだね」
「成程な。俺の知らない異国の神だったのか……。そりゃ日本の神に聞いても何もわからないわけだ」
ともすれば、あの亡霊たちもハワイで生き、ハワイで死んだ亡霊たちなのだろう。そう考えればあの奇妙な格好をしていたことも頷ける。
そこで道満は賀茂の言葉をはたと思い出した。
一週間ほど前から、一条のあたりに妙な気配を感じる。
考えて見れば、それは、丁度清彰が旅行から帰って来た頃と一致する。そしてこの部屋へ微かに漂う、清彰ではない何かの気配。
「まさか……清彰、ハワイから何か持って帰ってきてないか?」
道満が訝し気に聞くと、清彰はガイドブックを閉じて神妙な顔をする。
「うーん。……ああ。もしかしたら……」
そして彼は机の引き出しを開け、霊符に包まれた何かを取り出す。
「これ、空港に売っててさ。パワーストーンのコーナーに置いてあったんだけど、明らかに普通の石とは違う霊力を持ってたから気になって買って帰ったんだ。何かあったらいけないから封印して、さ」
清彰が霊符の包みをはがすと、封印されていた霊力がぶわりと辺りに広がった。
「これは……!」
見た目はただの丸みを帯びた黒い石。けれどもその石が持つ霊力は、並大抵のものではなかった。
その量。その質。
尊いものかは分からない。しかし余りに強大なものであることくらいは道満にもわかる。
更にこの石から発せられる霊力は、あの亡霊の集団と同じ気配。
「お前の所為かよ!」
道満は思わず立ち上がり、清彰にクッションを投げつける。彼はそれをひらりとかわし、頭に疑問符を浮かべながら首を傾げた。
「何が?」
「あの亡霊の集団が出た原因だよ! あいつら、クーを探しに海を渡って来たって言ってた。自分たちとクーが同じ霊力を持ってるってこともな! その石ころはどう見てもクーって神には見えねぇが、十中八句、奴らが探してんのはその石だ!」
「……なるほどねえ」
清彰は「はい」と石をこちらに投げて寄こした。道満がそれを受け取ると、彼はぽすんとベッドの上に倒れ込む。
「ハワイの先住民たちにとって、石は霊力の依り代だ。特に、ヘイアウにある石はそれこそ一つ一つに神の力が少しずつ宿っている。一つでも欠ければ、そこにいるはずの神の力も欠けてしまうんだろう。きっとこの石は誰かが空港からヘイアウまで持ってきたものなんだろうね。だから彼らは石を追ってやってきた」
「……お前、そこまで分かるのにどうしてこの石を持って帰って来たんだよ」
石をポケットに入れながら道満は清彰を横目でじっとり睨みつける。
清彰はその問いに寝転んだまま返答した。
「異国の異形の気配なんて、それが神のものか人に害なすものなのか、僕にはわからないからね。危ないものだといけないから、浄化しようと思って持って帰って来ただけだよ」
そう語る彼の口元には、いつもの微笑が乗せられていた。
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