第3話

草木が眠り、霊や妖怪が人間の代わりに跋扈する深夜二時。けれども現代の夜は、平安時代と随分様子が違うものだ。


 二条城へ向かう道を歩きながら、道満は道を照らす街灯を見上げる。手首に巻いた長い数珠が、しゃらりと軽い音を立てた。


 あの頃は、こんな風に道を照らす明かりなどなかった。


 どの家からも明かりが消えるこの時間は、真に人ならざる者たちの世界だったのだ。あの頃は松明の明かりひとつで暗闇の中を駆けたというのに、今は明かりを持たずとも進む道は明るく照らされている。


「この明るさじゃ、霊も妖怪も住みにくいだろうな」


 仕事をしていて思うが、この令和の世に来て魑魅魍魎を見かける数は随分と減った。都の北東、鬼門の方角に近いこの辺りはかつて妖怪達のたまり場だったのに、今では猫又一匹見つからない。


 二条城の北大手門前までやってきた道満は、出入り禁止と言わんばかりに置かれた木の柵をひょいと乗り越え中に入った。そしてモッズコートのポケットに手を入れて、ファーで顔を覆うようにしながら石橋を渡る。季節はまだ秋とはいえ、流石にシャツ一枚の上にコートを羽織っただけでは肌寒かった。


 仰々しく金具で覆われた大きな北大手門は、城の内側から鍵で堅く閉ざされていた。道満はその大きな門ではなく、その右脇にある小さな扉の前に立つ。


「確か、この辺に……」


 ごそごそとコートの右ポケットの中を探り、中から一本の鍵を取りだした。昼間、依頼をこなすためにと清彰から渡されたものである。どうやら安倍家の人間は、いろいろと顔が利くらしい。

 扉に付いた小さな南京錠に鍵を差し込んでひねると、軽快な音を立てて鍵が開く。外した南京錠をポケットに入れて静かに押すと、きい、と金属の擦れる音と共に扉が開いた。


「ふうん、開いたな」


 人に見られていない事を確認し、こっそりと城の敷地へと入る。


 深夜の二条城の中は街と比べて随分と暗かった。門の前を照らす防犯灯の明かりの向こうは、深い闇が続いている。しかし夜目の利く道満は、迷うことなく前へと足を踏み出した。


 特に、おかしな様子もない。


 北大手門前から真っ直ぐ伸びる道を歩きつつ、道満は周りを見回した。


 件の亡霊が現れると予想されるのは、北大手門から入り、向かって左の庭園辺りだ。何か異常があれば気配を感じ取れる範囲だが、今の所は何の予兆も感じない。


 そして道の突き当り、左右に分かれる場所まで来た時、不意に左手の方から声が聞こえた。


「なんや、この時間に人間やて、珍しなぁ」


 足を止め声の方向に目を向けると、そこには小さな狸が木の影から顔をのぞかせていた。よくよく見れば、その額には緑の葉っぱが一枚ちょこんと乗っかっている。


「豆狸、か」


 悪戯程度に人を化かして脅かす害の少ない狸の妖怪で、平安でも夜の都でよく見かけていた。

彼はおそらくこの二条城内に住んでいる妖怪なのだろう。ここには庭園があるし街灯も少ない。街の中より幾分妖怪達が住みやすそうな場所ではある。


「おい、お前、この辺りで変な霊を見かけなかったか?」


 道満は豆狸に近づきながら、コートの左ポケットに手を入れた。そこには魑魅魍魎に出会った時のためにと、霊符を数枚忍ばせている。


 その雰囲気を感じ取ったのか、道満が近づく度に豆狸は一歩後ろに後退いていった。そしてそのとがった口が恐る恐る返答する。


「見とらんなぁ。やけど、昨日一昨日の今頃の時間だったかいな。変な音なら聞いた。なんや祭りでもしよるんか思たけど……」

「人間は深夜に祭りなんてしない。その音、どこから聞こえた」

「どこて……。どこやったかいな……」

「思い出せ。でないとお前、どうなるか分かってるよな」


 霊符を取り出してひらひらとはためかせると、豆狸は「ひぃ」と小さく悲鳴を上げた。

 

 その時。

 

 どん、どん、と。

 

 突然遠くの方から太鼓の音が聞こえてきた。


「出たか……」


 道満は音が聞こえてくる南の方角に顔を向ける。その隙に、豆狸はその場を離れ、闇の中へと消え去った。


「聞き分けが悪い奴だったらすぐに祓ってやる。清彰はできるだけ調伏するなと言われてるが、そんなの俺の性に合わねぇ」


 道の突き当たりを左へ走り、二の丸御殿の横を北から南へ走る道に出る。すると遠くの方に、銀色に光る霞のようなものがゆっくりとこちらに向かって動いているのが見えた。


 あれだ。


 観光用の展示室や休憩所の前を通り過ぎ、道満は霞の元へと走る。


 近づくごとに音は大きくなり、やがて太鼓に混じって笛の調べも聞こえてくるようになった。霞に見えていたものも徐々に輪郭を持ち始め、それが幾人もの亡霊の集団だということに気づく。


「なんだあいつら……。見ねぇ格好しやがって」


 道満は思わず顔をしかめた。


 彼らは、全員半裸だったのだ。


 上半身を剥き出しにし、腰には布を巻いている。よく見ると腕には奇妙な模様が彫り込まれており、巻き貝を連ねた首輪をつけていた。そして集団の長らしき先頭の一人は、肩にゆるりとした布を巻いており、他の者より豪華な装飾品で着飾っている。


 明らかに、令和の世で死んだ人間の霊ではない。しかし他の時代と言われると、それも思い当たるところがないのだ。平安の都でもあのようないでたちの人間はいなかったし、清彰が学校で使っているという歴史の本にも彼らのような格好をした者は載っていなかった。


 一体彼らはどこから来たのだ。


 奇妙に思いながらも、道満は集団の前に立ち塞がる。そして右手に霊符を構え、大声で叫んだ。


「おい! お前ら! こんな真夜中に騒ぐんじゃねぇよ!」


 突然現れた道満に驚いたのか、楽器がぴたりと鳴り止んだ。彼らはその場に立ち止まり、じっとこちらを見つめている。


「よし、それでいい。お前達がいつの時代の霊か知らないが、この時代だと深夜に騒ぐのはまずいんだよ。祓われたくなかったら大人しくそのまま……」


 そこで、言葉を切った。


 空気が変わった。


 目の前の集団からは、身体を射貫くような鋭い殺気が発せられている。


「あやつ、こちらを見ている……」

「あの無礼者を殺せ……」

「アリイに背くものを殺せ……」


 いつの間にか亡霊達は楽器ではなく、長い槍を手にしていた。いくつもの視線が、道満ただ一人に集中していく。


「ふん。大人しくは聞かない、ってか!」


 道満は霊符を持つ手を前に出し、術で応戦する体制に入る。


 これこそ、待っていた展開だ。


 歓喜が心の奥から湧き上がり、笑みとなって溢れ出す。


 直後。


「おおおおおおおお!」


 二十。三十。それ以上。


 想像以上の数の亡霊が雄叫びを上げ、たったひとりに向かって襲いかかった。


「さながら狂戦士、ってとこか」


 心臓が高鳴り、額に汗がつう、と伝った。


 この昂り。この緊張。


 この命の駆け引きこそ、常に自分が求めているもの。


「殺せ!」


 亡霊達は叫びながら道満の周りを取り囲み、全方向から一斉に飛びかかる。


 しかし彼らの鋭い槍は、道満の身体を貫くことはなかった。


「お前ら、誰を相手にしてるのか分かった方が良いぞ」


 道満の身体の周りには霊符が四枚放たれており、それを起点に丸い結界が生じていた。突然現れた障壁に何十という槍がぎりぎり押し込まれるものの、彼らにそれを破る事は叶わない。


「はっ!」


 霊気を放ちながら結界を解けば、亡霊達は一気に四方へ飛ばされた。彼らの身体が地に落ちて再び襲いかかってくるまでのその隙に、道満は再び霊力を練り上げる。


「臨める兵戦う者、皆陳列し前に在り!」


 右手で刀を模した印を結び、四縦五横に九字を切る。途端に破邪の光が迸り、閃光が彼らの身体を貫いた。


「ふん、この程度で。歯ごたえねぇな」


 亡霊達の悲鳴を聞きながら、道満はつまらなさそうにため息をつく。そして最後の仕上げにと数珠を取り出し腕に絡めた。


「ノウマク・サラバ・タダギャテイビャク……」


 術の詠唱が進むごとに道満の持つ霊力が凝縮し、ぼう、と数珠が紅く光る。光は次第に強くなり、やがては赤い炎となって道満の片腕を包んでいった。


 それは一切の魔を焼き尽くす、異国の神の破邪の炎。


 滅する者に救いを与え、天に導く浄化の呪。


「……ビキンナン・ウンタラタ・カン・マン!」


 高らかに唱え、炎を纏った腕を振り上げた。


 その瞬間、莫大な霊力と共に炎が四方に放出され、亡霊達を包んで燃え上がる。


「終わったか」


 一息ついて、道満は周囲をぐるりと見渡した。燃えさかる霊力の炎の奥に、身を焼かれる彼らの影がゆらりと浮かび上がっている。


 この炎が消える時、彼らはもうこの場にいない。


 この世に現れた目的ごと浄化され、あるべきところへ戻るだろう。


 後はもう、炎に任せていてもいい。


 道満は亡霊達の悲鳴を遠耳にそんなことを考えていた。


 しかしどうしてか、いつまで経っても炎は煌々と燃えさかるまま。


「なんなんだよ……」


 早くて数秒。長くて一分。


 普段ならその程度の時間で全てが終わる。


 しかし今、この亡霊達を焼く炎は、一分どころか五分、十分と燃え続けている。


「全く効いてない、訳はないよな……」


 炎の中の彼らは皆、悲鳴を上げて苦しんでいる。どうやら術の持つ魂を天に返す力だけが働いていないようだった。


「とにかく、一度術をとかねぇと……」


 この炎は術者の霊力。延々と燃やし続ければ、それだけ力が奪い取られる。いくら膨大な力を持つ道満とはいえ、長時間発動させ続けるのは危険だ。


 両方向に腕を伸ばし、掌で炎をなぞりながら身体の正面へと動かすと、手の動きに合わせて炎が中心に寄せられるように移動していく。そして両手が正面で合わさる直前、道満は掴むように手を握った。炎は道満の手の中へ吸い込まれるように集まって、体内へと還っていく。


 亡霊達の叫び声が消え、辺りは一瞬夜の静けさを取り戻した。


「これで……」


 術を完全に解いた道満は、ポケットの中から再び霊符を四枚取り出し辺りを睨む。目線の先では炎から解放された亡霊達が、再び敵に襲いかかろうと槍を携え態勢を立て直している。


「させねえよ」


 霊符に霊力を込めて四方に飛ばし、両手で剣の形の印を結んだ。


「縛魂!」


 道満が一言唱えると、四方の霊符から霊力でできた糸が現れ、亡霊達の身体を拘束する。魂ごと束縛するその糸は力を以てしても解くことはできなかった。


「今度は、とりあえず大丈夫そうだな」


 道満は亡霊達が術に掛かっていることを確認すると、ふぅ、と一息をつき、正面に向かって歩みを進める。そして襲いかかってきた亡霊達の間をかき分け、その向こうに佇む者の前で立ち止まった。


「ふん、お前が親玉、だろう」


 そこには集団の長であろう亡霊が、一人静かに佇んでいた。


 彼は仲間の自由を奪った道満を見ても敵意を現さなかった。武器の一つも手に持たず、悲哀を込めた瞳でどこか遠いところを見つめている。


「お前達はなんなんだ。どうして術で調伏できない。何の為にここにいるんだ」


 問いただすも、彼は沈黙したまま口を開こうとしない。近寄って耳元で「聞いているのか」と声をかけたが、ぴくりとも反応しなかった。


「ちっ……。無視かよ。これだからこの手の霊と話すのは嫌なんだ」


 湧き上がる苛立ちを吐き出して、道満は長の亡霊を睨みつける。


 その時彼の唇が僅かに動き、そこから低い声が漏れ出した。


「クーが、いない」

「は? 何だって?」

「クーが、いないのだ」


 亡霊は焦点の合わない目で空を見上げ、うわごとのように呟いた。


「カーネはいた。ノロはいた。カナロアもいた。皆我々を祝福した。けれどクーだけがいないのだ。気配はした。しかしヘイアウにはいなかった。海を渡って陸に上がり、気配を辿って行進してきた。クーを見つけて報告せねば、我らは海へ帰れない」


 カーネ。ノロ。カナロア。ヘイアウ。そして、クー。


 聞いた事のないこれらの単語が何を指しているのか、道満には全く以て検討が付かなかった。ただ、どうやら彼らは「クー」と呼ばれる誰かを探しているらしい。


「その『クー』って奴が見つかれば、演奏をやめて天に帰るのか?」


 するとそれまで道満の存在を認識していなかったような素振りを見せていた長の亡霊が、ぐるんと首を回してこちらを見た。


「クーを、知っているのか」

「知らねえよ。だがまあ、探すことくらいはできる」

「本当か。探して、くれるのか」


 彼はまるで尊い神でも見るような瞳を道満に向ける。その目尻から流れる一筋の涙に、道満は眉をひそめて顔を逸らした。


「やめろ。探してやるが、条件がある。それを呑めるなら手伝ってやるよ」


 一つ。道満が「クー」を見つけるまでは、楽器を鳴らさず二条城の場内で静かにしておくこと。


 二つ。万が一誰か人間と出くわしたとしても、彼らに襲いかからないこと。


 これらを破った場合には、「クー」を探す事をやめ、彼らを束縛したまま永遠にどこかへ封じ込める。


 道満が出したその条件に、彼はすぐにこくりと頷いた。


「よし。ならひとまずお前の仲間を解放してやるから、とりあえず奴らに命令しろ」


 道満が手を叩くと、亡霊達を拘束していた糸が切れる。再び襲いかかろうとする彼らを、長の亡霊が制止させた。


「これで、良いのだろう」


 静かな瞳を向けてくる彼を見て、道満は満足げな顔をする。


「ああ、上出来だ。約束通り、俺が『クー』とやらを探してやろう。それで、そいつはどんな奴なんだ」


 すると長の亡霊は、恍惚した表情で空を見上げた。


「尊きもの。戦うもの。我らの光だ」

「わかんねえよ。もっと具体的に言え」

「我らも彼のものと同じ、誇り高き気を授かった」

「……要するに、お前らと『クー』って奴は同じ霊力をもっている訳だな」


 長の亡霊は空を見上げたまま頷く。


「……わかったよ。明日、なんとかそれで探してやる」


 その答えに彼はこちらに目線を戻し、口元にゆるりと笑みを浮かべた。


「頼んだぞ、マナを導くもの」

「ちっ。変な呼び方するんじゃねぇ。俺の名前は蘆屋道満、だ」


 盛大に舌打ちをした道満は、くるりと彼らに背を向け歩き出す。


「また、明日の夜に来る。大人しくしとけよ」


 上げた右手をひらひらと振りながら去って行く道満の背中を、亡霊達はじっと見つめていた。

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