第2話

京の一条戻り橋、大通りから遠く離れた人気のない裏道に、古びた喫茶店がひっそりと佇んでいた。レトロ調の店内は薄暗く、何処か不気味な雰囲気さえ感じさせる。平日木曜三時半。喫茶店のティータイムには丁度良い時間というのに店内は静まりかえっていた。


 そんなカフェの片隅に、学ランを着たおかっぱ頭の少年と、モッズコートを着たポニーテールの青年という、不釣り合いな二人組が向かい合って座っている。


「と、いうわけで。また君に仕事だよ、道満」


 少年がそう微笑むと、道満と呼ばれた青年は、コートのポケットに手を入れたまま思い切り眉間にしわを寄せる。ただでさえ鋭い目つきが尚更尖り、今にも目の前の少年を殺してしまいそうな形相だった。


「また仕事かよ。ついこの間終わったばっかじゃねえか、清彰」

「別に断っても良いんだよ。まあその時は1か月君の家がなくなるだけなんだけどね」


 道満のあからさまな怒りに物怖じもせず、清彰は優雅な手つきでコーヒーを啜る。そんな彼が気に触ったのか、道満は椅子の背にもたれかかって清彰を睨んだ。


「令和の世で生きる術はない君に、仕事と引き換えとして衣食住を提供してるのは安倍家なんだよ。だから君はちゃんと仕事をこなすしかない。ね、安倍晴明の宿敵にして希代の呪術師、蘆屋道満?」


 糸のような細い目をうっすら開き、こてんと首を傾ける清彰に、道満は盛大に舌打ちをした。


 そう。この口の悪い青年こそが、平安の世を騒がせた蘆屋道満本人である。


 何故平安時代の人間である彼が令和の世に存在しているのかといえば、事の発端は今から千年程前に遡る。安倍晴明との対決のためと京の都の古寺で新たな呪術を編み出そうとしていた道満は、その途中、術の暴発に巻き込まれた末、現代に時間転移してしまった。


 何が起こったか分からないまま、とにかく晴明の気配を辿って一条戻り橋をうろついていたところ、安倍晴明直系の子孫、安倍家の次男、清彰――安倍清彰に出くわしたのである。さすがは末裔と言うべきか、狩衣姿の道満を見て事情を察した清彰は、現代の生活や規則諸々が平安とは異なっていることを説明した。そして戸惑う道満に、安倍家に舞い込む「依頼」を手伝うならば、現代にいる間の生活を安倍家が助けると提案してきたのだ。


 そういう訳でこの三ヶ月間、道満は安倍家の用意した一条にあるワンルームマンションに住み、清彰が持ってくる「依頼」をこなしながら、元に戻る道を模索している。


「で、今回の仕事は? なんか変な霊が出るって?」


 道満はポケットから手を出して、目の前に置かれた水を飲む。現代に来てそれなりにいろいろ経験したが、コーヒーや紅茶はいまだに慣れないいでいた。


「そうだよ。丁度一昨日の新月の夜からみたいだね。まだ実害は出ていないけど、早めに対処した方が良いから」


 清彰はコーヒーカップを皿の上に置き、隣の椅子に置いた鞄からスマホを取り出した。


「内容、メールで今送ったよ」


 清彰の言葉と同時に、ポケットに入れたスマホが震える。取り出してみると、新着メールを知らせる通知が画面に表示されていた。

 道満は人差し指でタッチパネルを操作し、清彰からのメールを開く。その本文には、今回の依頼の内容がびっしりと書かれていた。


「太鼓や笛を鳴らしながら街を歩く霊……」。


 幽霊。妖怪。魑魅魍魎。


 過去から今に至るまで、彼らは人の世に住み人々のすぐ側で暮らしている。彼らは普通の人間には認識できず、その為しばしば両者の間でいざこざがおこるのだ。そんな時、両者を守り、間を取り持ち、時に魑魅魍魎と戦うことが、古来より陰陽師の役割なのである。


 安倍家は今、表向きこそ不動産運営のグループ会社を経営しているが、その裏では陰陽師として、先祖達と同じように夜の世界で活躍している。 つまり安倍家に舞い込む「依頼」とは、人ならざる者によって引き起こされた事件を解決して欲しいというものだった。


 道満の本業は呪い専門の呪術師だが、平安の都では陰陽師として依頼を受けて妖怪退治をすることもあった。それに何より彼らと戦う時のあの血の沸くような高揚感。それを味わいたくて、大量に依頼を受けていたこともある。


 しかし今、依頼のメールを見る道満はいかにも不機嫌といった顔をしていた。


「おい。なんだ、この仕事。夜中に霊が太鼓や笛で騒いで近隣住民の迷惑になってるから説得してやめさせろ、って」


 道満は左手で自分のスマホの画面を清彰に突きつけ、唸るような声で問いかけた。しかし清彰は動揺一つせず感情の読めない微笑みを浮かべている。


「そこに書いている通りだよ。みんなの睡眠妨害になるし、こういうのは早めにやめさせないと。それに音が聞こえたって言う情報は十条から日に日に北に進んで来ているし、一条まで来られたら僕の睡眠も邪魔されてしまう」


「お前の睡眠なんてしらねぇよ! いつも言ってるだろ! 俺の専門は呪術だ、戦いだ! こんな検非違使みたいな仕事、他の奴にやらせろ!」


 ばん、と机に右手をついて、道満は勢いよく椅子から立ち上がる。そして机の上に身を乗り出し、清彰の目と鼻の先に自分の顔を突きつけた。


「始めにお前、言ったよな? 俺に頼む仕事は安倍家の陰陽師が手に負えない仕事だって」


 確かに安倍家の力は晴明から代が離れるごとに弱体化している。故に今の安倍家の陰陽師の手に負えない者も存在する。安倍晴明と肩を並べる程の陰陽師であるあなたなら、安倍家が手を焼く相手でもあっという間に片付けてしまうだろう。だからどうか力を貸して欲しい。


 道満が清彰と取引をしたときに、確かに彼はそう言った。だから現代にいる間も強い相手と戦えると思っていたのに、この三月ほど清彰を通して安倍家から届く依頼はと言えば、迷子になったとある妖怪の妹を探したり、心霊現象が起こるという廃校へ行き霊を説得して成仏させたりで、どれも戦いとは遠いもの。もうそろそろ、我慢の限界が近づいている。


「こういうのは他の奴に頼め。俺に持ってくんじゃねぇよ」

「最近なんだか依頼の数が増えててさ。他の陰陽師に頼もうと思っても、対応できる人がいなくてね」


 相変わらず微笑んだまま、落ち着き払った声で清彰は告げる。


 道満は小さく舌打ちをして、清彰から身体を離す。そして再びどかっと椅子に座った。


「……お前がやれば良いだろう。こうして俺に仕事を持ってくる程度には、お前は暇らしいいしな」

「知ってるだろう。僕は安倍家の人間だけど、霊や妖怪を調伏する力は持っていない」

「……」


 苦々しげに顔を歪め、道満は目の前の清彰から顔を逸らす。この三月前から胸に溜まり続ける苛立ちを、どこにぶつければ良いのか分からなかった。


 清彰はコーヒーを飲みながらそんな道満の様子を眺めていたが、ふと何かを思い付いたのか、カップを一度皿の上に置く。そして鞄の中を漁り、長方形の青い箱を取り出すと、蓋を開けて中にあるものをつまんだ。


「道満」


 彼の呼びかけに道満は僅かに首を動かし、清彰の方に視線を向ける。


 その時、突然清彰の手が伸びてきて、口の中に何やら丸い塊が押し込まれた。


「まあ機嫌を直してよ。好きでしょ、それ」


 瞬間、甘い味が口の中へ一気に広がる。塊を歯でかみ砕くと、軽快な音と共に香ばしい香りが鼻孔の奥をくすぐった。胸の中に蟠っていた苛立ちも、どこかへ消えてなくなっていく。


「ちょ、ちょこれーと、か?」


 口をもぐもぐさせながら、道満は清彰に問う。


 令和の世に来て初めて食べた、この時代の甘味。その蕩けるような舌触りと口の中に広がる甘さは平安の都にも存在せず、道満は密かに夢中になっていた。しかし始めに食べたチョコレートとは違い、いま口にしているものは中に何かが入っている。


 問いかける様に目配せすると、清彰は箱の蓋を閉じながら答えた。


「マカダミアナッツチョコレートだよ。先週金曜まで、旅行に行ってたんだ。そのお土産」

「旅行……。ああ、旅の事か」


 そういえば、週に一、二回は道満の家を尋ねてくる清彰が、先週とその前は珍しく一度も来ていなかった。


「どこに行ってたんだ?」

「海の向こう。外国だよ」

「……この時代は、海の向こうへそんなに気軽にいけるんだな」


 平安では海の向こうに行くには命がけの旅だった。木造りの心もとない船に乗り、運悪く嵐に遭ったのか帰ってこなかった者も多くいる。それが「旅行」という娯楽に変わり、誰もが異国に行って帰って来れるようになるなんて。改めて、令和の時代はものすごい進化を遂げているのだと、道満はチョコレートを飲み込みながら感心した。


「美味しかった?」

「まあ、な」


 口直しにと水を飲み、道満は目を逸らしながらぼそりと呟く。


 その様子に清彰は、チョコレートの箱を片付けながら、そうかそうかと頷いた。


「仕事、終わったら一箱全部君にあげるよ」

「……」

「家にまだたくさんあるから、気にしなくて良いよ」

「……」

「ね、だから許してくれる?」

「……わかったよ」


 道満が舌打ちすると、清彰は満足そうな表情を浮かべ、カップに残っていたコーヒーを全て飲み干した。


「ありがとう。なら、早速今夜からお願いするよ。時刻は夜中の二時、出現予想場所は二条城の冷泉院跡付近だ」


 道満は口を尖らせ無言で頷く。


 甘味で怒りや苛立ちが全てなくなるなんて。

 我ながら単純だな、と道満は心の中で思うのだった。

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