第4話
それはアンナが十八歳になるクリスマスの夜。
窓の外はしんしんと雪が振り、雪かきを終えたばかりの庭に、再び雪が降り積もる。
継母と姉達がクリスマス用の豪華な食事を食べている最中、アンナはロベルトを引き連れて屋根裏にある自分の部屋へと入っていった。
「天上、低いから気をつけてね」
「ありがとう。大丈夫、頭をぶつける程じゃないから」
暗くて狭くて寒い部屋の中には、古びたベッドと箪笥が寂しく佇んでいるだけ。継母や二人の姉の広くて豪勢な部屋とは真逆の様子に、ロベルトはぎゅっと拳を握る。
「ほら、早く食べちゃいましょう」
アンナはろうそくに明かりを灯す。そしてベッド脇の床の上に布を敷いて、チキンの切れ端や残ったパン、皿に入ったビーフシチューに小さなケーキを並べはじめた。
せめてクリスマスの夜くらい、誰かと一緒に美味しい料理を食べたい。
そう思ったアンナが、ロベルトと二人で食べるためにと継母達の食事からこっそりくすねてきたものだった。
「やっぱり、一人で食べるより二人の方がいいわ」
「いつもは、一人なの?」
「私がお義母様達と一緒に食事できると思う?」
アンナはベッドにもたれかかりながら、堅いパンを頬張った。そしてすぐ隣でシチューを食べているロベルトを横目に見る。
この三年でロベルトは更に成長した。アンナよりもほんのちょっと高いくらいだった身長は、いつの間にか頭一つ分の差が生まれ、細い身体にも筋肉が付いて逞しくなっている。顔つきも随分大人びて、彼がふとした笑顔を見せるたび、顔が熱くなるのを感じていた。
思い出してアンナは僅かに頬を染める。その時ロベルトの胸に、金の細い鎖がかけられている事に気づいた。
「ロベルト。その、首にかけているものはなに?」
「ん? ああ、これか」
ロベルトはシチューの皿を置き、首元の鎖をつまんでシャツの中から引き出した。
それはペンダントだった。金の鎖の先には、人差し指に乗る程の小さな緑色をした石が付いている。
「これ、母さんの形見なんだ」
「お母さんの? すごく、綺麗だわ……」
澄み切った、それでいて深い森の中のような色をしたその石は、ろうそくの揺らめく明かりを受けてきらきらと輝いている。昔、父親と暮らしていた頃に同じような石を見たことがあるが、ロベルトの持つ石はそれよりも美しかった。
「結婚した時に父さんに貰ったんだって。母さんが死ぬ前に、自分がいなくなったらこれでお金を作ってって言いながらくれたんだけど、やっぱ売るなんてできなくてさ」
ロベルトは大事そうに掌で石を包む。その瞳には追慕と愁傷の色が浮かんでいた。
しばしの沈黙のあと、ロベルトはふっと微笑みアンナの方に顔を向ける。
「アンナも、お父さんが亡くなってるんだよね?」
「そうよ」
「どんなお父さんだったの?」
「えっ。えっと……」
アンナは脳内で記憶の糸をたぐり寄せる。気づけば父が死んだのはもう八年も前のこと。父の顔も、声も、姿形も、全てがアンナの中で曖昧なものになってしまっていた。
「……優しいお父様だったわ。よく絵本を読んでくれたの。お姫様が王子様と結ばれるおとぎ話よ。私はお父様が読んでくれる本が好きで……」
そこまで語ると、アンナは「あっ」と声を上げ、何かを思い出したように立ち上がる。そして箪笥の引き出しを開け、奥から白いものを取り出した。
「これ、お父様が私にくれたの」
取り出したのは、真っ白なドレスに真珠のちりばめられた靴だった。アンナは靴を床に置き、たたまれたドレスを広げて見せる。レースでできた袖に、大きく開いた胸元。腰はぎゅっと絞られて、その下はふんわりと広がるデザインになっていた。
たたまれて納められていたために幾分しわが寄っていたが、それはウェディングドレスに違いなかった。
「お母様が結婚式で着てたんだって。昔、お父様がそれを私に話してくれて、いつか私が結婚するときにこのドレスを着て欲しい、それを着た私の姿が見たいんだ、って言ってプレゼントしてくれたのよ」
「……」
「でも、お父様は死んじゃったから、それを叶えてあげれなかった。それに今の私じゃ結婚は無理ね。……私も、着てみたかったわ。おとぎ話のお姫様みたいになりたかった」
ウェディングドレスを胸に抱くと、じわりと目尻が熱くなる。両親への重い、今の自分の境遇、そしてこの先も変わる事のない未来の事が胸に溢れて、涙となってこぼれ落ちた。
その時だった。
「……じゃあ、俺が着せてあげようか?」
「え……?」
アンナは顔を上げ、ロベルトを見た。
彼はまっすぐにアンナを見ていた。ろうそくの明かりに照らされた顔は、耳まで真っ赤に染まっている。
「ほ、本当に……?」
「うん。本気だよ」
彼は立ち上がり、アンナの方に手を伸ばす。その手が肩に触れる直前、アンナはぴくりと身体を震わせた。
「会ってすぐ、俺は君に一目惚れしたんだ。それから一緒に過ごすようになって、もっともっと好きになった。今は……そう、君を愛しているよ」
「……!」
聞き間違いなどではない。彼は確かにアンナを愛していると言ったのだ。
自分が密かに想っていた相手が、自分と同じ思いでいた。
掌の熱とともに、ロベルトの想いがアンナの肩へ伝わってくる。
嬉しさと切なさが心の中に広がって、胸がぎゅっと締め付けられた。
「……ねぇ、アンナ。出会った時に言ったことを覚えてる? 俺が、ここから君を連れ出したい。そして二人で幸せになりたいんだ。俺と、結婚してください」
声を震わせながら、彼は愛の言葉を紡ぐ。
アンナはロベルトを見上げて、微笑みながら頷いた。
「……うん。私も、ロベルトと一緒にいたい……」
雪の降る、聖なる夜。
白馬に乗ってはいなかったけれど、王子様はようやくアンナの前に現れたのだ。
「結婚してこの家を出る? 駄目に決まってるじゃないか!」
「けれど……俺とアンナは愛し合っているんです!」
翌日ロベルトと共に継母の元を訪ね、自分たちの結婚のことを相談した。しかし彼女の口から飛び出したのは祝福ではなく罵声だったのだ。
「そんなのでも私の娘だよ。使用人と結婚なんて、そんなこと許せる訳はないだろう!」
「しかし……!」
ロベルトが何を言おうとも、継母は応じようとはしない。思ってもいない事を並べ立て、「駄目」の一点張りを続けている。
アンナはロベルトの横で、唇を噛んで俯いた。
少しだけ、予想は付いていた。
自分たちが結婚しようとすれば、継母は反対するだろうと。
アンナは彼女達にとって、賃金も払わず都合よく扱える奴隷なのだ。他の使用人と違い、朝昼晩と好き勝手使える存在を、彼女達が手放そうとする訳がない。
けれど、これはアンナにとって人生を変える唯一のチャンス。
新たな暮らしを手に入れて、幸せを掴む機会なのだ。
アンナはロベルトの手をそっと握る。そして震える唇で言葉を発した。
「……どうしても駄目なの?」
「なんだい、アンナ? 口答えするのかい?」
ぎろり、と継母の視線がアンナを射貫き、恐怖で一瞬口を閉じた。しかしロベルトの手から伝わる温もりが、アンナの背中を優しく押した。
「ロベルトと結婚させてくれるなら、私、なんでもやるわ。だからお願いよ、結婚を認めて!」
「アンナ……」
半ば叫ぶようなアンナに、ロベルトは驚き目を丸くする。そして愛おしそうに微笑んだ。
継母はしばし無言で二人を睨んでいたが、やがて何かを企むかのように大きく口角を上げる。
「なら、金を寄越すんだよ。金額は……そうだね、二十万ドルだ」
「にっ、二十万ドルですって!?」
そんな大金、奴隷同然の生活をしていたアンナが持っている訳がない。
なんでもするとは言ったが、どうすればそんな大金が作れるのかも、全く検討が付かなかった。
「できないだろう。大人しく諦めて……」
戸惑うアンナに、継母は腕を組んで意地悪そうな笑みを浮かべる。
その時、アンナの手が強く握り返された。
「……二十万ドル用意できれば、アンナとの結婚を認めてくれるんですね?」
聞いた事のない低い声で、ロベルトが継母に問いかけた。まっすぐ彼女を見つめるその瞳には、静かな気迫が込められている。その凄みに、継母は思わずたじろいだ。
「そ、そうさ。用意できれば、認めてやる。……ただし、三ヶ月だ。三ヶ月以内に用意できなければ、この話はなしだからね!」
「分かりました。お暇をいただければ、俺がお金を用意してきます」
「ロベルト!?」
アンナは思わず彼の名を叫ぶ。
今まで様々な仕事をしてきたロベルトのことだ。きっと何かお金を手に入れる当てがあるのだろう。けれどもそんな大金を、三ヶ月という短期間で手に入れる事のできる仕事など、危険が伴うに違いない。
心配げに見つめるアンナを安心させようと、ロベルトは「大丈夫だよ」小さく微笑む。しかしその表情は、どことなく強ばっているようにも見えた。
ロベルトは再び継母の方に目を向けて、はっきりとした口調で話し続ける。
「お金は用意してきますが、条件があります。アンナも一緒に連れて行かせてください」
「……それを許すと思うかい? そんな事すれば、お前たち二人で逃げていくかもしれないだろう?」
「だったら……」
ロベルトはアンナを離し、自分の首元に手を伸ばす。そしてそこにかけられたペンダントを解き、継母の前に突き出した。
「担保として、これを置いていきます。母の形見です」
ペンダントに付いた石がきらりと緑色に輝く。それを見た継母は目を見開き、そしてロベルトの手から奪い取るように受け取った。
「……ふん。いいだろう。二人で行くことを許してあげるよ。準備して、さっさと金を作ってくるんだ」
継母はさっさと出て行けというように手で二人を追い払う。そんな彼女にロベルトは軽く会釈をして、アンナの手を引いて部屋を出た。
ロベルトに引っ張られながら、アンナは廊下を歩いて屋根裏に繋がる階段を上がる。部屋に入った直後、アンナは彼の服を掴んで問い詰めた。
「あんな約束……どうやってあんな大金を作るつもりなの? 何か危ないことをするつもりじゃないわよね……? それにあなた、お母様の形見まで……」
「大丈夫だよ」
ロベルトは微笑み、安心させるようにアンナを腕の中に包み込んだ。
「ここからずっと北の町にね、金が出る鉱山があるんだって。そこで砂金取りの仕事をすれば、二十万ドルなんて一月くらいで簡単に稼げちゃうんだってさ。川で作業するだけだし……危険なんてないよ」
「本当?」
「……うん、本当だよ。だから早くそこに向かう準備をしよう?」
どこかぎこちない物言いに、アンナは彼が何かを隠しているような気がしてならなかった。しかし彼の瞳からは、温かな愛情が感じられる。
自分に向けられるこの感情に、きっと嘘偽りなどはない。彼が何かを隠していたとしても、それはきっと自分のためなのだ。
アンナはそんなことを思いながら、「分かったわ」と呟いた。
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