第2話

継母の部屋の掃除を終え、夕食の支度をしようとアンナが厨房に訪れると、炊事場の前に見慣れない人影があった。

「誰かしら……。お母様、新しい使用人でも雇ったの?」

 背格好からして男性で、歳はアンナと同じか少し上。頭にかぶった帽子の端から茶色の短髪が元気よく飛び出していた。右手には包丁、左手にはジャガイモを持っているところを見るに、どうやら料理をしているらしい。

 アンナの視線に気づいたのか、男はくるりとこちらを振り向いた。青い瞳がまっすぐアンナを捉えている。

「君はだれ?」

 首を傾げる男に、アンナは聞き返す。

「あなたこそ誰よ」

「俺はロベルト。今日から庭師としてこの家で働くことになったんだ」

「庭師? でもあなた、どう見ても料理してるじゃない」

 アンナはロベルトの手元を指さす。すると彼は肩をすくめて「成り行きだよ」と答えた。

「お腹がすいたってお嬢さんが庭で騒ぐもんでさ。あんまりうるさいから、何か作ってやるよって言ったんだ。丁度庭仕事も一段落してたしね」

「ふうん。何を作るのよ?」

 そう言ってアンナはロベルトの側に近寄った。炊事場に置かれたボウルの中には、さいの目に切られたじゃがいもが入っている。

「これを茹でて、サラダにでもしようかと思って。……もしかして、勝手に食材使っちゃ駄目だったかな? 一応、お嬢様に許可は取ったんだけど」

「大丈夫だと思うわよ。それなら、夕食はポテトサラダ以外ね」

 アンナは保冷庫を開け、朝届いたばかりの鶏肉と牛乳を取り出した。野菜の保管庫にあった人参と玉ねぎも一緒に調理台の上にずらりと並べ、夕食の支度を始める。

「君は……。料理人なのかい?」

「違うわ。この家の娘よ。一応、ね」

「えっ。でも、その格好……。お嬢様たちとは随分様子が違うけど……」

 ロベルトが驚くのも無理はない。継母と姉達はいつもたくさんのフリルが付いた赤や黄色のドレスを着ているというのに、アンナの格好はつぎはぎだらけの長いワンピースに、茶色くなった白いエプロンを着けていた。

「私はお義母様の子供ではないから。お父様が死んで、この家に引き取られたの」

「でも、そんなひどい格好……。それに、腕も痣だらけじゃないか」

「お義母様はお父様の遺産が入るまでは貧しい生活をしてたみたい。親戚とはいえ、他人同然の私に世話を焼くのは嫌だったのよ、きっと。始めはいつか誰かが助けてくれると思ってたけど……。もう、慣れてしまったわ」

「そんな……」

 ロベルトは苦しげな表情で野菜を切るアンナを見つめる。視線に気づいたアンナは、彼の顔を見て苦笑した。

「なんて顔してるのよ」

「だって……」

 彼も使用人として働いている以上、きっと生活は苦しいに違いない。自分よりもひどい扱いを受けたこともあるだろう。それなのに、さも自分の事のようにそんな痛ましい顔をするなんて。

 どうして彼はそんな表情ができるのか。そんな事をアンナが考えていると、ロベルトはおもむろに口を開いた。

「ねえ、君、名前は?」

「え? アンナよ」

「そっか。……ねえ、アンナ」

 彼はまっすぐにこちらを見ていた。その、真剣な瞳にアンナはこれまで感じた事のない胸の高鳴りを覚える。

「俺が、いつか君をここから連れ出してあげるから」

「えっ……」

 アンナは目を丸くした。

 会ったばかりの人間にどうしてそこまで言えるのだろう。

 さっき少しだけ話したとはいえ、アンナがどんな人間で、どんな思いで生きているのかも、彼に十分理解できてはいないはず。冗談なのかと思ったが、こちらを見つめる彼の瞳からは嘘の一つもないように思えた。

もしかして、彼が自分を連れ出してくれる王子様なのかもしれない。

そんな期待が心の中にそっと芽生える。

けれどもアンナは、それを無視して首を振った。

出会ったばかりでそんな不確かな約束を、どうして信じることができるだろう。後で裏切られる位なら、はじめから期待しない方が傷つかない。

「ありがとう。気持ちだけ受け取っておくわ」

 ロベルトの顔を見ないまま、アンナは再びまな板と向かい合う。

 その唇が微笑んでいる事には、自分でも気づいていなかった。

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