そしていつかは誓いのキスを

紅林オト

第1話

 おとぎ話の王子様なんて、現実には存在しないのだ。

「アンナ! 私の部屋、まだ掃除が終わってないのかい! 早くしな!」

「ちょっとアンナ。ご飯はまだなのー? あたし、お腹すいたわー」

「まったく、仕事が遅いわねっ。この下僕が」

 怒鳴る継母と腹違いの二人の姉。

 毎日彼らにこき使われて、時には殴られ蹴られる事もあった。

 けれどもどんなに今の生活が嫌でも、アンナに言える事は一つだけ。

「申し訳ありません。今すぐやりますから」

 箒と雑巾を手にとって、アンナは継母の部屋へ向かう。

様々な絵画が飾られた廊下を急いでいると、アンナを見ていた一人の姉が突然足を差し出した。

「きゃっ……!」

ぐらりと身体が傾いたかと思うと、ばたん、と大きな音と共に身体に激痛が走った。

「きゃははっ! きったなーい。でもお似合いよ。下僕は下僕らしく地べたに這いつくばってなさいっ」

 よろよろと身体を起こしながら、アンナは高笑いしながら去って行く姉の背をぼんやり見つめた。

 五年前、十歳の頃に育ててくれた父が死に、継母達に引き取られた後から今の生活が始まった。

はじめの頃は、父が読んでくれていたおとぎ話のように、いつか目の前に魔法使いと王子様が現れて、自分を救ってくれる日が来る、と信じていた。 しかし一年経っても二年経っても同じ日々が続くだけ。魔法使いも王子様も、自分の前には現れない。そうして三年経った辺りから、変わることのない現実を諦め、全ての感情を殺して継母達の暴言暴力を受け流してきた。

 俯くと痣だらけになった自分の両腕が目に入る。

抜け出せるものなら抜け出したい。けれど一人でこの家から抜け出したところで、他に行くところなどアンナにはなかった。あてもなく彷徨うくらいなら、雨風がしのげてなんとか日々の食事にありつける場所にいた方がまだましだ。

「早く掃除をしないと……。またお義母様に叱られてしまうわ」

 長いスカートを手で払い、床に落ちた雑巾と箒を手に取って、アンナは廊下を歩み始めた。

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