第2話 天女の祟り


「えーっと、世の中が荒れてるって、どうなってるの? 私が何かした?」

「田畑の半分が枯れ、海では十日のうち七日は荒波。人々は悲嘆に暮れ、国中至る所で魔物が……」


 沈痛な声色で。


「この禁域周りにも野盗が蔓延はびこっていると。ネネリア様のお怒りは当然のことかと思います」

「野盗なんて知らないし、怒るって言っても何もしようがないでしょ」


 ミルティエが荒れているのを私の感情と結び付けられても。

 何か誤解がある。解かないと。


「国の乱れを憂いた内務卿エヴァルトの星見により、ネネリア様の禁域を侵した不届き者がいると。何人も立ち入ることを許されぬ禁域とみな知っております。ですが祖王ルーヴィッドの末孫である僕であれば許される望みがあると考え、勝手ながら入山いたしました」


 懸命なルカーシャの説明だけど、急ぎすぎ。

 とりあえず整頓。


 ミルティエの国内が荒れている。

 内務卿が調べた結果、禁域周辺で野盗が好き勝手している。

 だから・・・王子自ら私に贖罪に来た。

 うん?



「禁域に人が入ってるなんて知らなかったよ?」

「……はい?」

「山ひとつじゃないんだし。すっごく広いんだから……ここまで来たんだから知ってるか。ああ、クーファーの地図が残っていたのね」


 いくつもの山々含めての禁域だ。ふもとの方で何かやっていても気づくわけがない。

 ルカーシャ様だって数日は歩いたはず。


「知っていたとしても飢饉ききんとか嵐なんてできないもの」

「その……禁域の平穏を乱す者があればミルティエに七難八苦が降りかかると……ネネリア様が確かに仰られたと」

「私がなんで……あー、あー……」


 ――もうイヤ。私は静かに暮らしたいだけ。もし邪魔したらこんな国、目茶苦茶になったって知らない。


 言ったかも。

 言った。


「ネネリア様のお怒りが災禍として現れていると、皆」

「嘘でしょ……あんなの本気で言ったんじゃないってば」


 もう放っておいてっていうお気持ち表明。

 クーファーの葬儀にいた人たちなら私の本意くらい……もういないか。

 言葉だけが伝わって、まるで私が災厄の元凶。


 ああもう、あの生真面目クーファー!

 葬儀の記録まで融通利かないのかしら。意図を汲みなさい。話者が何を言いたいのか察しなさい、あなたの妻だったでしょ。



「……こほん。どうやら私の想いが歪んで伝わっているようですわね。おほほ」

「はっ! どうかお鎮まり下さいネネリア様」


 呼吸を置いておしとやかな喋り方をしたのに、ルカーシャはさらに小さくなって額を絨毯に擦りつける。

 おかしい。私は祟り神か。

 うん、祟り神なのか。世間的には。



「まあとりあえず落ち着いて話しましょう。ルカーシャ様、頭をあげ……あ、待っ――」

「はい?」


 素直に、とても素直に顔を上げるルカーシャ様。素直なのは可愛いけど。

 裸の自分に気づいた少年が、はうはうと頬を赤らめるのを見て、正直ゾクってしました。


  ◆   ◇   ◆


「すみません、お借りしてしまって……」

「いいのよ。ぜんっぜん気にしないで。私も気にしないから他言無用ね」


 連れ込んだ十一歳――年齢を確認した――の美少年に私の寝間着を被せる。

 丈の長いスウェットの上だけ。下は無防備なまま。

 下を履かせると間接的に接してしまうわけで、まさか下着を貸すわけにもいかないでしょ。


 顔立ちが幼いから中性的にも見えて、なんという背徳感。

 悪いことをしている気がする。人として。



「傷はだいたい治癒したはず。痛いところがあったら言って」

「重ね重ねご迷惑を」

「迷惑とかじゃなくって、絶対に。目の奥が痛いとか耳鳴りとかない?」

「はい……なんともありません。今は」

「ならよし」


 ふかふか絨毯にぺたんと座るルカーシャ様。

 土下座も正座も禁止で、服装的に胡坐をかくこともできず女の子座り。

 一緒にソファに座るのは固辞された。密着してもなんにもしないのに。



「んで……さっきも言ったけど、ミルティエの災害に私は関係ないの。無関係」

「ネネリア様の慈悲を疑うような不敬、本当に申し訳なく」

「謝らなくていい。凶作とか嵐は偶然かもしれないけど……魔物の被害も増えてるなら、何か原因があるのかも」

「ここ数年そんな状況で、調査を……」


 野盗の存在は不愉快だけど、国中に災害をばらまくなんてことはしない。


「私に災害を操る力なんてないの。そんな力があったらその野盗をバラバラにしてるんじゃない?」

「はぁ、その……」

「なに?」

「……」

「言いなさい」

「祖王ルーヴィッドの手記に、ネネリア様は……何をお考えか測りかねることがある、と」

「何考えてるのかわからんって書いてあったのね」

「……はい。往々にして」


 あのイノシシ野郎。自分は何も考えずに突っ走るくせに、私のことをよくもまあ。


「他にも、きっとろくでもないこと書いてあるんでしょ」

「祖王の志を継ぐ為、王太子は必ず読むようにと」

「書いてあるのね、私に言えないことが」

「なんと言うか……聖母ユーリカ様の話では、ネネリア様は面白い方だと」

「わかった。この話は別の機会にゆっくり聞きたい」


 夫婦揃って何を子孫に伝えたんだか。



「護衛もつけずに山に入るなんて……ルカーシャ様は最後の王子様なんでしょ?」

「昨年暮れに先王が身罷みまかり、僕が最後の男児です。即位は喪が明けてからの予定でしたが……近縁の王統であれば、内務卿エヴァルト・デンベルグと伯母上の間に三名の子があります」

「内務卿、ねぇ」

「この国難を救うにはネネリア様に許しを乞うしかない。直系の僕だけにその資格があると皆が……」


 未知の山奥に王子様だけ行ってこい、って?

 これって簒奪目的なのでは。

 王位継承順で継ぐのは正統? にしてもそれを狙っているならやっぱり反逆行為なんじゃない?



「……なに?」


 ルカーシャ様の視線が何か言いたげ。


「祖王の手記にも、英雄クーファーの秘文でも。困った時はネネリア様に……その、泣きつけって」

「あいつら……」


 秘文だと? いつの間に……

 クーファーは夏至や冬至などは必ず寺院で祈りを捧げていた。

 プライベートな時間も欲しいのだろうと私は付き合わなかったけれど、その時に何かしていたのかもしれない。


「悪いようにはされない、はず……あっそうです。クーファーの秘文には何度となくネネリア様のことが書かれていました。朝は柔らかい春の日差しのようだとか、昼は歌を口ずさむ小鳥のようで目が離せない。夜は優しい笛の音のようとも」

「待って待ってルカーシャ様。惚気話を他人から聞かされるのは私に痛すぎる」


 何を書いてくれてるんだか、百年の時間差攻撃とかやめてよ。

 あの朴念仁、こんなからめ手を覚えていたなんて。

 だいたいそれ、朝は寝ぼけてて、昼は落ち着きなくって、夜は寝息がすーすーって話じゃないの。



「僕も、その……きっと素敵な方なんだろうって……」

「実物見てがっかりしたでしょ」

「そんなわけないっ!」


 ぱっと顔を上げて声を張り上げてから、顔を赤くして俯いてしまった。


「……夢で思い描いていたより、ずっと……可愛い、人だと……本当は僕、お会いできるのをちょっと楽しみに……すみません」

「……いいえ」


 澄まし顔を作った。

 協力を得るためのおべっかだとしても、仕種しぐさもセリフも可愛すぎる。これが演技ならすごい役者。

 生まれながらの王子様、か。

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