第3話 男の子
「まあ、それはそれとして」
せっかくのお世辞はありがたくいただいておいて。
「怪我はどうしたの? 獣に襲われた?」
「獣は、獣避けの護符が……途中まであったので。怪我は野盗に追われて」
「野盗に捕まったの?」
可愛らしい王子様が野盗に襲われたなんて。
私の顔色の変化に、ルカーシャ様は少し自慢げな笑みで首を振る。
「
無茶な跳び越え方をしたのだろう。左手やお腹をさすって顔をしかめる。もう傷はないけれど。
自分の利点を活かして立ち回ったのは偉い。
だとしても小さな王子様を一人で危険な山に行かせるなんて、家臣はどうなって……禁域は王族しか入れないって理由だったか。表向きは。
「荷物は失くしましたが、夏極連山で方角を見ながら目印を……」
くう、と。
ルカーシャ様のお腹が遠慮がちに訴えた。空腹を。
「……ごめんなさい」
「ふふっ、こっちこそ気づかなくてごめんなさい」
ご飯を用意するとなると支度がいる。
木の実のビスケットを戸棚から出して、ソファーテーブルに並べた。
「王子様のお口に合うかわからないけど、どうぞ」
「……」
「マナーとか堅苦しいのなしで」
毒なんて入ってないよ、とひとつ自分で摘まんで食べて見せた。
木の実と山羊のミルクと砂糖大根のお砂糖で作ったビスケット。
「いただきます、ネネリア様」
私にならい小さな手でひとつ摘まんだビスケットをひと齧り。
さく、と。
「……おい、しいっ! すごい、今まで食べた焼き菓子で一番です」
「まあね。長年の山籠もりの成果ってところかしら」
ルカーシャ様の頬がふわわぁっとほころんだ。
だてに百年と山に引きこもっていたわけじゃない。他人に食べさせたのは初めてだったけど、上々の反応。
「まだこれで完成じゃないのよ」
「ほふ……そうなんでふか……?」
厳寒の時しか採れない希少な六角雪蜜。
特別な日にだけ使うそれを、うきうきしながら戸棚から出してしまった。
この
「ビスケットにね、これを」
笑顔でビスケットをほおばるルカーシャ様が可愛くて、次の一枚を手に持たせ、その上から雪蜜をかける。
六角形の薄い氷みたいな結晶をパキっと割ると、雪の結晶に似た粒がビスケットに零れた。
「これが最高なの」
自分の分にも同じようにして、お行儀悪く大きく口を開けて放り込んでみせた。
ビスケットの香ばしさに、凝縮された雪蜜が融けて涼やかな甘さが絡む。
至高の一品。
「はい……いただきます」
私と同じように、小さな口をいっぱいに広げてビスケットを口に入れた。
もぐもぐ、と頬が動いていくうちに瞳が艶めいて、潤んで。
「どう、だった?」
「おいし……僕、こんな……とても美味しいのに、なんで涙が……」
泣いた。
王子様が泣いてる。
王家の一員として気を張っていても、年端もいかない男の子。
雪蜜の甘さに安堵したら、心細かった感情が溢れてしまったのだろう。
我慢しようとして堪え切れない泣き顔も可愛いけど、男児の涙を見ているのも悪い。
「……」
ルーヴィッドもクーファーも、私が慰めたことなんてあったかな。思い出せなかった。
◆ ◇ ◆
治癒魔法は多少使える。
期待した水魔法は適性なし。代わりに精霊文字の術を覚えた。特別な金属を使って刻む。時間がかかるから即興はできないけど、ここの生活で役立っている。
ルカーシャ様の後で私もお風呂にで考え事。
下の世に関わるのは怖いのと面倒なのと。憂鬱。
ここに人間が押し寄せてきたら容赦なく迎撃するとして、そうでないなら今のままでいい。
私の理想のスローライフはここにある。
今さら面倒事に首を突っ込む必要はない。ミルティエが滅びたって……
――ネネ? 貧相な名だな。これからはネネリアと名乗るがいい。
勝手なこと言って、そのくせ自分はネネって呼び捨てたりしてたくせに。
――お前は秋月の雫。ネネリア・オルティア。ミルティエはお前と俺の……
似合わないことしないでよ。
国の名前なんてずっと残るんでしょ。洒落で決めるなんてバカじゃない。
昔を思い出してしまい、つい長湯。
お風呂から上がったら、ルカーシャ様は柔らかなほっぺをソファに乗せて寝てしまっていた。
目尻から伝う涙の痕も、薄っすらと。
相変わらずこの国、この世界は神秘的なものに
魔法があって精霊がいて、治癒の奇跡もあれば魔物も湧き出る。
国に天災が続けば生贄を捧げて鎮めようという発想も不思議はない。
そう、そんな国なら滅んでしまえばいい。
権力争いも侵略も私には関係ない。
少年の冒険はここでお終い。
理想のスローライフに辿り着いた王子様は、そこで静かに暮らしました。
私が彼に用意してあげられる結末。傷ついたり苦しんだりするよりずっと幸せでしょ。
だけどルカーシャ様がそれを選ばないなら。
私は……?
◆ ◇ ◆
「ご厚情に感謝を、ネネリア様」
「じゃ、それで――」
「ですがそうは参りません。僕はミルティエの王太子。次代の王です」
翌朝、まだ雨。
今日はもう一日ここに。なんならそのままここで。ずっと。
私の提案にルカーシャ様は首を振った。
「悪いんだけどルカーシャ様、言わせて。あなたが戻って何ができるの?」
「何ができるかではなく、王としての姿を見せることが僕の責任です」
意地の悪い私の質問に、はっきりと答えるルカーシャ様。
「あなたの責任ならもう果たした。天災を鎮める為に禁じられた地に来て、私に命を捧げたじゃない」
「ネネリア様が災いを呼んだのではないなら、ミルティエの民はこれからも苦しみます。不当なネネリア様の噂も払拭しなければなりません」
「あーっもう!」
クーファーと話してるみたい。
ああ言えばこう言う。いちいち正論なのも腹が立つ。
「私に捧げるって言ったんだから守りなさい、二言があるの?」
「僕の心は偽りなくネネリア様に。ですが」
「ですが?」
「ネネリア様が祖王ルーヴィッドと共に立て、英雄クーファーと守ったミルティエが災厄に沈むのから目を背けることは、違うと……ネネリア様の御心を安んじることではないと思います」
「……」
「ネネリア様の優しさ、本当に嬉しく思います。できるのならそのお言葉に甘えたいのも本当です」
ルカーシャ様は少し気恥ずかしそうに微笑んで頷く。
「甘えてしまったら僕は、祖王ルーヴィッド、英雄クーファーに代わりネネリア・オルティア様の隣に立つ男になれません」
「……」
「僕だって男……王家の男児です。あなたに……格好悪いと思われたくないですし……」
びしっとした姿勢から少し俯いて呟いてから、もう一度顔を上げて、
「民を救った後に、再びここを訪ねる許可をいただければ嬉しいです」
「今すぐじゃなくてもいいじゃない。この山で稽古でもしてから」
「明日になれば、今日救えたかもしれない人がこの手から零れます。人の命は取り返しがつかない。ネネリア様がそう仰ったと聞いています」
この世界に流されて、簡単に人が死ぬのを目にしてショックだった。
ここでは当たり前のことかもしれない。だけど。
だからって粗末にしていいはずがない。
命を大切にできない人は、その命も大事にされない。宿業は繰り返す。
ルーヴィッドはたくさんの敵対者を殺したけれど、不必要に殺すことはなくなっていった。
無法者に対しては徹底的に厳しく当たっても、立場が敵というだけで一族皆殺しみたいなことはやめた。
戦乱の時代でみんなバカな人たちだったから、まず一発拳でわからせてから話し合い、というのはよく見た。話し合いに座らせる為の武力行使。
「罪なき民の悲嘆に耳を塞いで安穏とは暮らせません。僕は……恥を知らない者にはなりたくない」
「……わかった」
私が私の生き方を選んだように、ルカーシャ様にはルカーシャ様の選ぶ道がある。きっと王道とかそういう。
「好きにすればいいわ」
「はい」
「獣避けの護符は私の予備を。他の荷物も用意する」
「感謝します、ネネリア様」
国の乱れの原因がここじゃないならルカーシャ様の用事は終わり。
彼は国に帰り、動乱の時代を生きる。
私は元通り静かな引きこもりスローライフ。
ミルティエがどうなろうと関係ない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます