天女の結婚(100年ぶり3回目)
大洲やっとこ
第1話 小さな求婚者
「ネネリア・オルティア様。あなたのお傍に終生寄り添う許しを、僕に」
ずっと昔に愛した夫の面影を宿す少年が私に願う。
服は一部破れ、銀糸の髪は乱れたまま。
雨に濡れた頬には泥が残り、手の甲には痛々しい擦り傷も。
赤い傷に、つうと雨雫が伝う。ぽとり、と。
「
禁域の小さな
「嘆き苦しむ我が民に、今ひとたび慈悲を……我が身を捧げ、
「……?」
「どうか、ミルティエ最後の太子ルカーシャ・ミルティエの身をもって、秋月の君ネネリア様の御心を……お
体力の限界だったのか小さく
ぱたり、と。
鎮まりたまえ、って?
ちょーっと待って、なになに? 私が何か無慈悲なことしたの?
可愛らしい男の子の求婚にぽかんとしてしまった。
呆けた私と、雨の庭に倒れた少年。
ミルティエの……最後の王子様って言ってた?
だとすれば面影があるのはわかる。私がこの世界で最初に愛し結ばれた人、ルーヴィッドの遠い子孫。
この世ならざる私との間に子はいなかった。私の血縁ではない。
ルーヴィッドの側室ユーリカは、動乱の中一緒にルーヴィッドを支えた私の親友。その子孫。王の血が途絶えればまた国が乱れる。後継者は必要。
国に悪いことが起きていて、それを鎮めに王子様が訪れたみたいだけど?
「……放っておくわけにもいかない、よね?」
初代国王ルーヴィッド、救国の英雄クーファー。
二人の夫との別れを経て、他人との関りを断ち山奥に籠ってからどれくらい過ぎたのか。
唐突な訪問者の小さな体が雨に打たれるのを放置はできず、抱き上げた少年の温もりに懐かしさを覚えた。
◆ ◇ ◆
セスター大陸東岸に位置するミルティエ。
戦乱の末この地を平定したのは、小さな部族の若長だったルーヴィッド。
初代ミルティエ国王で、私の最初の夫。
この世界に放り出された私を助けてくれた。私もまた死熱の彼を助け天女と呼ばれる。
近隣部族をまとめ上げ、王となり、皆に慕われながら死んだ。
我がままで自分勝手な、思い付きで行動する人だった。好きだった。
私は王家から離れた。思い出して泣く日々なんてルーヴィッドに負けた気がする。
彼の死から数十年、百年まで経たない頃に再び国が荒れた。
有力氏族同士が対立し、魔物の出現が増え、隣国からの圧力も増していく。
滅亡に近づく。
私とルーヴィッドが築いた砂の城が、時代の波で崩れていくみたい。
それも悪くない。そう思っていたのだけれど。
救国の英雄。若獅子クーファー・ケーニセン。
当時の王を危地から救い、下級士官から英雄へと駆け上る。
生真面目な性分で、命じられたら無茶でもやりきろうとする危なっかしい朴念仁。
見ていられなくて、手を貸して、ずっと見ていた。
気が付いたら好きになっていた。
ミルティアの危機を救った英雄クーファーも時の流れの中で死ぬ。
もうつらい思いをするのはたくさん。
私は二度と誰かを深く愛さないと誓い、ひとつの山地を禁域と定めてもらって引きこもった。
ルーヴィッドもクーファーも、性格はまるで違うくせに似たようなことを言い残してくれて。
――お前が自ら死を選ぶような世界なら、残すのではなかった。
――あなたが自ら命を断つ日が来ないこと。どうか笑顔で……
悲しい時の勢いで後追いしていたならできたと思う。
だけどそんな風に言われて、どうしようもないじゃない。
時間が経てば、今度は自分を傷つけるのは怖い。天女と呼ばれるこの体も不死身ではない。痛いものは痛い。。
山中にクーファーが建ててくれた家で過ごす日々。
毎日毎日、庭や畑の手入れをしたり、壁や屋根を直したり。やることはいっぱい。目まぐるしい。
害獣避けに手懐けた
甘い樹液を作る木を見つけて、増やして。
畑仕事や狩りもする。すっかり逞しくなった。
ずっと昔に夢見ていたスローライフ、かな?
下の世のことなんて知らない。
ルーヴィッドが興してクーファーが守った国がどうなっているのか、見るのが怖かった。
いっそ知らない間に壊れてなくなっちゃってたらよかった。それならきっと胸が潰れるような悲しみはないから。
私は薄情な女なんだと思う。
「なんでこうなるのかしら」
幼い王子様を家に運ぶ。
服を脱がせ体を拭いてベッドに……少年とはいえ、異性を私のベッドに入れるのは後ろめたい気がしてソファに寝かせた。
男の子の裸くらい、二度も結婚した私にはなんでもない。なんでもない、けど。
無意識の可愛い男の子が相手だと、何とも言えない感情が湧く。犯罪……
いえ、これは医療行為。救命行為。
怪我の状態を確認する必要があるし、濡れたままでは体力を失う。
セーフ。
人命救助セーフ。
『ヌぅ?』
「だめ、あっち行っててヌウ」
『フグルルゥ?』
「食べない。ホビンも向こう行ってなさい」
守り猫ヌウがソファーの傍に。窓の外から野狐ホビンが覗く。
知らない生き物に興味津々。
可愛い家族だけど今は邪魔だ。
「う、あ……」
少年が呻いた。
ヌウもホビンも、起こして叱られる前にさっさと退散していく。
こういう振る舞いはいったいどこで覚えるのだろう。呆れるし感心する。
「う……ここ……?」
薄く開いた黒灰色の瞳に、ぼんやりと天井が映る。
ルーヴィッドと同じ瞳。目つきはやさしい印象。あの人は野蛮な性格が顔に出ていたから。
柔らかな銀髪はルーヴィッドとは全然違う。あの人はツンツン頭だった。
似ていないけど、どこか懐かしい。
「ぼく……あ……」
「……」
目が合う。
私の緋色の瞳が、ルカーシャ様の黒灰色の瞳に吸い込まれるよう。
「……」
瞬き。
静寂。
小さな口が遠慮がちに開きかけて、
「おねえさ……あっ!」
がばっと起き上がるルカーシャに薄掛け布団が跳ね飛ばされた。
「ネネリアっ! ネネリア・オルティア様! 月の、秋月の君! 月の雫! 申し訳ありませんご無礼を!」
「慌てなくていいから」
「平に! 平にご容赦を! ミルティエの民にはどうかご慈悲を!」
美少年の裸土下座。
長く生きてきたつもりだけど、初めて見た。
そうそう見られるものでもない。
「ミルティエの災厄をどうかお鎮めください。ネネリア様」
うんうん。
私の情緒が色々アレで、一所懸命なルカーシャ様に返事ができず曖昧な笑みしか浮かばない。
傍目に見ていたらさぞ悪い笑顔をしていたことだろう。ここに鏡がなくてよかった。
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