#03


 脱力し切った体を抱え、四階の部屋まで上がるのは足腰を使う。平均年齢の男性よりは動いているほうだと思っていたが、驕りだっただろうか。つぅか……心なしか重過ぎねぇ?

 はぁ、はぁ、と荒い息遣いで扉を開け、一直線に寝室に向かう。リビングダイニングと寝室しかない部屋を借りてよかったと今強く思う。ベッドに女性を放り投げると、私は息を整える。酒に酔った女を部屋に上がらせたことはなく、ベッドで半分意識を失っている他人がいることははじめてであった。

 さて、この女をどうするべきか。悩みながら女を眺める。肩まである髪の毛は銀髪で肌は白い。閉じられた瞼の先にある瞳は髪の色から色素の薄そうなものをイメージしてしまう。薄くピンクベージュの唇は健康そのものだ。久しく死体以外の眠り込む体を見た。

 女を抱えたまま百ドル紙幣の山も持ってきたんだ。肩が凝るわけだ。女をどうするかより、自分の体を労りたい感覚が生まれ、私はまた溜め息を吐く。愛してやまないベッドは女が使用中だ。目の前には私の寝そべる隙間はない。しかも今夜の夕飯は先ほどの通りに置いてきてしまった。あぁ、なんという厄日か……。


「百ドル札一枚くらいもらったところでお釣りが出るだろう。あんな場所で寝ていたら犯罪に巻き込まれていた。食料品を捨ててまで女性を救った。私はできた人間だ」


 やるせない気持ちが空回りし、私は自分の家でそんな情けない独り言を吐く。また大きな溜め息が漏れた。

 自らの独り言で思い出したが、この女を家に連れてきてよかったのだろうか。違法ファイトクラブで金を稼いでいるというのは私の行き過ぎた妄想かもしれない。仮定の話だ。だがシャツは血塗れ。手には皮下出血、軽い裂傷。そしてなにより気を失っている。緊急でどこかの病院にでも入ったほうがよかったのだろうか。


「仕方ない」


 私はベッドに上がり、女に跨がる。顔を背けながら目を細める。こんな紳士的じゃないことをするのははじめてだ。女が伸びているときに服を脱がせるなんて。ゆっくりとシャツのボタンを外していく。


「……」


 目が途端に開かれる。そこには下着はおろか、豊かな胸が無かった。いや、胸が豊かではない女も抱いてきたが、これはそういうことじゃなく、性別が違う。男だ。今まで幾度となく逞しい体にメスを入れてきたが、これほどに美しい肉体を見たのははじめてだった。細い体にしなやかに隆起した筋肉がついている。女性的な外見に似合う凛々しい筋肉。


「……女と間違えた?」


 艶のあるハスキーボイスが私の耳に届いた。

 あぁ……、しくじった。なぜ、分からなかったのか。最近は遺体を運ぶのをザックに任せていたからか。いつも裸の遺体に触れるからか。それとも、そもそも生きている人間に興味がないからか。

 白銀に近い髪の毛を揺らし妖艶にこちらを見上げる男。アルフレッド・ヒッチコックが「理想の死体はブロンドの美女」と言ったらしい。だが、私はこの白いグレー色の髪色がいい。唇を舌で舐め上げ、跨がれるのに慣れているような様子の男。今まで抱いてきたどの女よりもセクシーでホットな男に私の体は硬直した。


「おにぃさん、そーいう趣味アリ? 強姦? 睡姦? 趣味いーね」

「……いや、違うから。これは違う」


 睡姦といわれようやく私は彼の上から降りる。誤解される体勢だった。部屋に連れ込み服を脱がせていた。誤解させる空間だ。ただそれだけのこと。そんな言われ方をされ、怒りだとか慌てるだとかはなかった。にやりと口の端をつりあげて笑う男になんだか気力がなくなってしまった。あのままあのゴミ捨て場に捨てておけばよかった。


「助けてくれたんでしょ? わかるよ」

「……ならなぜ、服を脱がしたのかもわかるのか?」

「シャツが血だらけだったから?」


 疑問を疑問で返す男。呆れる。私はベッドから降り、ダイニングに向かう。酒を舐めなければ腹の虫が抑まらない。雑な手付きでグラスとバーボンを掻っ攫う。


「俺にも一杯。おにぃさん」

「……ワイアット」

「おにぃさんって呼ぶのイヤ?」

「どちらでもどーぞ」


 隣に立った男は履いているピンヒールのおかげで私より少し背が高かった。私の身長は5,11フィートだ。アメリカの白人男性の平均、5,10フィートより高い。小柄に見えるこの男の背を伸ばしてしまうこの靴は小柄に悩む女性の医療器具のように見える。

 私は自身を俺と呼んだ男にバーボンが注がれたグラスを渡す。心底どうでもよかった。今晩の飯が無いのもどうでもいい。私が脱がせたシャツはそのままでボタンがすべて外してあり、男の上半身が見えている。どうでもいい。


「ありがと。ワイアット」


 ひとつひとつの動作に色っぽさがあった。そういう店の子だと言われれば納得できてしまうような鼻につく行為。もう一度言おう。心底どうでもいい。


「それ飲んだら帰って」

「んん!! お礼させてよ。ってかさぁ、名前くらい聞いてくれたっていいでしょ?」


 よくないね。もうできればひとりになりたいんだよ。

 グラスを空けた男。酒を煽ったときに見えた喉頭隆起、いわゆる喉仏が上下することで徐々にこいつが男だと脳が認識していく。キリスト教ではアダムの林檎と呼ばれる場所。男根の次に男を証明する軟骨だ。


「まさか。君とはこれっきりだ」

「俺はそーいうの嫌いなの。出逢いに乾杯しよ」


 かしゃん、と音を立てて私のグラスに男のグラスが重ねられた。多分、こいつはたらしだ。どのくらいの数の女を誑かしてきたのだろうか。

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