第8話 ホテルと焼き鳥屋 1

 テーブルを挟んで同じ外を見る方向にドライバーが座った、話しかけたそうな気配がする。正直つかれていたが、声をかけてやる。大阪出身の二十くらいで藪にらみの男だ。


「ユージです、ヒロさんにはよく勉強させてもらえってトムさんに言われました」


 私はマルチ商法のビジネスピラミッドを思い出していた。私がドライバーをやっていた頃も、トムの周りには妖しげな日本人や白人が多かった。トムは私にはジューンを成功例として提示して、この若い大阪のお兄ちゃんには私を成功例としてあげたのだろう。 


 つまりトムの組織で中核になってきたと同時に、私が部下を持つということは、なかなかその仲間からは抜けられなくなるだろうという判断があった。


 ユージの強い要望で、バンコクまでは助手席にすわった。彼は色々訊きたそうだったが、私はラジオのFM放送に耳がいっていた。途中の会話で私のほうが年下と分ったが、ユージは敬語をくずさなかった。


 この頃、私はカオサン通りのゲストハウスを引き払って、スクンビット通りのホテルにうつった。


 新しいホテルはルームサービスがあり、プールもあった。


 金銭的に豊かになったのとともに、カオサンで私の服装が悪目立ちしてきたことが理由だった。その頃はバカだったので、潤った金でブランド物の服や時計、靴を買っていた。スクンビットはカオサンとちがいバックパッカーは少ないし、何よりカオサンでそんな恰好をしているとそれだけで職務質問に会う。


 ユージはいい足になった、すばしこくて目端が利いた。


 美品の拳銃の買い手は、タイで永住権や国籍が取れていないため、正式の銃所持許可が下りない華僑が多かった。また同じ理由の白人や、まれに事情のあるタイ人も客になった。皆、金持ちで金払いはとても良かった。


 太い客にはトムが直接案内して、私が付いていった。それ以外は私が売主になってユージを連れていった。


 太い客は華僑とタイ人だった。白人は値段に厳しい。特に華僑の家は目を瞠るものがあった。広大な敷地に家が四、五棟も建っている。訊けば、一つは大旦那の、次は旦那夫婦の、子供二人に一棟づつ、最後の一つはゲスト用とのこと。離れのコテージは使用人部屋だそうだ。


 そんな家に行くときは私もスーツを着た、トムは上質のポロシャツで来てセールストークをした。


 地下に射撃場のある家や、銃器のコレクションを飾り付けた秘密部屋を持っている客もいた。高級なスコッチをクリスタルグラスに入れて相伴にあずかりながら、そういった支配者階級の話をきくのは、すこし疲れたが勉強になった。


 彼らはおそろしく博識だった、私の英語の能力もそこでのびた。政治経済だけでなく、歴史や美術、芸能にも詳しかった。美術館でないところで名画をみたのも初めてだった。もちろん銃のうんちくも聞かされたが、射撃の練習もさせてくれた。


 トムからは古いリボルバーと量産品のオートマチックを一丁づつ預かっていた。取り扱いに慣れるためで、リボルバーはファミコンみたいなものなので、かなり古くても手入れは簡単、故障は滅多にない。蓮根みたいな弾倉がくるくるまわる、よくロシアンルーレットででてくる拳銃だ。6発装填できる。



 オートマチックは弾倉が銃把に十数発順番に入っているので、ジャムという弾づまりがおきやすく、手入れにも気をつかう。またロシアンルーレットをすると一番手が必ず死ぬ、ジャムしないかぎりは。ハンマーをいちいち親指か、西部劇なら空き手で撫でるように上げないといけないリボルバーに対し、オートマチックはその名のとおり連射が可能だが、ジャムしたままでトリガーを引くと事故につながることがある、そして拳銃の事故では指が何本か無くなることもある。


 この二丁はホテルの金庫にしまって、金庫の鍵は当時よくしていた銀の羽根のネックレスに引っかけていた。自室に金庫があるというのも引っ越しのときの条件だった、カオサンのゲストハウスではプライバシーが限りなく少ない。


 拳銃はだいたいヨーロッパかアメリカ製だ。ロシアの銃はゴミである。機関銃などはロシアの武骨なもののほうが低価格で、実際に戦争や大量殺人につかうには便利だが、収集家にはあまり意味がない。第一密輸しなくても、そういう銃器はタイ軍から買えるのだろう。


 なぜタイに直接もってこなくて、カンボジアを経由するかは、おそらく中国に返還されたばかりの香港とマカオの存在がおおきかったのではないかと推測する。当時のカンボジアはほぼ無政府状態と言ってよく、特にプノンペン以外はやりたい放題だった。


 トムとバーで飲んだときに分け前について訊いてみた。私は充分な報酬を得ていたが、ジューンの取り分が少なすぎるのではと思っていたからだ。


「自分はあれか、平等とかに関心があるのか」


 トムの返答は即物的で、しかし言い出した手前、


「我々バンコクの日本人側が一回の取引で受け取る額が、カンボジアのベトナム人側に較べて高すぎるんじゃあ」


と言ってみた。


 トムは鼻白んだというのか、あきれと小馬鹿にした中間の表情で嗤った。


「それが命の値段だよ、ヒロ君」


 普段は呼び捨てだが珍しく敬称がついた。


「君は日本人とタイ人の命の値段が同額だとかのナイーブな考えをもっているのではないかい」


「君は日本人に生まれる確率がどれだけ少ないか考えたことがあるか」


「そして海外に出てみて自分とちがう環境の男や女をみて、なんか童貞らしい悩みを抱えている気分に酔っているんじゃないか」


 トムはそのような内容のことを、関西弁にときおり標準語を混ぜて私に言った。


 それから私はその手の疑問をやりすごすことを覚えた。


 トムは優秀なビジネスマンだった。



 中華街の七月二十二日ロータリーの安いジュライホテルに泊まっていたが、当時では最新のパソコンがあった。


 私は幼少のころから珍しい富士通のPCを買ってもらっていたが、ウィンドウズ95に搭載されたGUIには目を見張った。


 それまでのPCではコマンドを英語で命令しなければコンピュータは動かなかった。


 しかしGUI、グラフィカルユーザインターフェースは感覚的にアイコンを入力するだけで計算機を動かせた。


 トムは決して自分でストックを持つことはなかった。


 しかしどこに誰がいくら持っていて、どこに拳銃が何丁どういう状態であるかを常に把握していた。それらは暗号化されてコンピュータに入っているようだった。


 彼はまた法律にも詳しかった。


「CCCって知ってるか」


 ある時、花屋というヤワラート地区の日本料理屋でランチの刺身定食をつまみながら訊かれた。


「シビルアンドコマーシャル・コードや」


 商法と民法、それに日本でいう会社法を合せたタイの法律集だ。


 これをトムは原語で読んでいた。イギリスは慣例法の国で、過去の判例が膨大な蓄積となって、それらに基づいて判断が決まることを教えられた。


 また、タイはフランスのコードを基にしており、日本と同じ成文法と知った。


「だからこれが役にたつんや」


 トムはいつもサブバッグに入れている黒革の法律集をたたいてみせた。


 成文法の国ではなにが違法で合法かが文章で書いてある。


 彼はタイ王国での銃器の所持・携帯・販売の許可を正式にうけていた。


 したがって銃器の売買をタイ国内でおこなうことにはまったく問題がなかった。


 問題はカンボジアから密輸した、関税を払っていない銃器を販売している点だが、そこは私やユージ、最悪ジューンを切りすてることで安全をはかっているのだろう。


 トムからつながる人脈も多彩だった。


 某国大使館が主催したパーティーにも出席した。大使は閣下と呼ばれることや、自衛隊の防衛駐在官も英語ではミリタリーアタッシェとなり、閣下の敬称がつくことも知った。


 正装の自衛隊幹部というのをこのときにはじめて見たが、他国の駐在武官に決して引けは取らない威儀にあふれていたと思う。


 ヤワラートといわれる中国人街であまり好ましくない活動をしている団体の元締めとも会ったが、そのことはあまり書きたくない。


 トムは決して自分でストックを持つことはなかった。


 しかしどこに誰がいくら持っていて、どこに拳銃が何丁どういう状態であるかを常に把握していた。それらは暗号化されてコンピュータに入っているようだった。


 彼はまた法律にも詳しかった。


「CCCって知ってるか」


 ある時、花屋というヤワラート地区の日本料理屋でランチの刺身定食をつまみながら訊かれた。


「シビルアンドコマーシャル・コードや」


 商法と民法、それに日本でいう会社法を合せたタイの法律集だ。


 これをトムは原語で読んでいた。イギリスは慣例法の国で、過去の判例が膨大な蓄積となって、それらに基づいて判断が決まることを教えられた。


 また、タイはフランスのコードを基にしており、日本と同じ成文法と知った。


「だからこれが役にたつんや」


 トムはいつもサブバッグに入れている黒革の法律集をたたいてみせた。


 成文法の国ではなにが違法で合法かが文章で書いてある。


 彼はタイ王国での銃器の所持・携帯・販売の許可を正式にうけていた。


 したがって銃器の売買をタイ国内でおこなうことにはまったく問題がなかった。


 問題はカンボジアから密輸した、関税を払っていない銃器を販売している点だが、そこは私やユージ、最悪ジューンを切りすてることで安全をはかっているのだろう。


 トムからつながる人脈も多彩だった。


 某国大使館が主催したパーティーにも出席した。大使は閣下と呼ばれることや、自衛隊の防衛駐在官も英語ではミリタリーアタッシェとなり、閣下の敬称がつくことも知った。


 正装の自衛隊幹部というのをこのときにはじめて見たが、他国の駐在武官に決して引けは取らない威儀にあふれていたと思う。


 ヤワラートといわれる中国人街であまり好ましくない活動をしている団体の元締めとも会ったが、そのことはあまり書きたくない。

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