第4話 美少年 1

 スンは先ほどまでの緊張した雰囲気から打ちとけはじめて、料理をたべてコーラを飲んだ。


 宿に戻って、シャワーを浴びて、文庫本をひらいた。


 ウォークマンで音楽をききながら、うとうとしているとドアにノックの音がした。


「スンです、開けてください」


 鍵をあけてドアを開くと薄い寝巻きの少女がたっていた。


 その時は親子ゲンカかなと思って部屋に引き入れると、ドサッとからだを預けてきた。


「お父さんの仕事をよろしくお願いします」


というようなことを言って、さらに体を近づける。


 取りあえず落ちつかせて話を訊いてみると、これまでトムが送ってきた仲介人は少女との関係を迫ったほか、さらにカンボジア側の取り分を低くするように圧力がかかっているそうだった。


 兎に角、自分は臨時のドライバーであり、価格交渉はできないと言って帰らした。


 先ほどまでのゆったりとした労働後の心地よさから、カンボジアの国の現実に引きもどされた気分になった。


(まあ、しかし、しょうがあるまい)


 インドやタイでの経験からそう考えたほうがらくだと思った。


 貧しさと、日本に生まれた幸運を天秤に掛けているうちに寝入った。


 いつも夜明け前に目が覚めるのだが、今朝は眩しい朝日で起きた。


 しかしまだ宿は静かだ。


 散歩に出ると、ウシやヤギが早起きして空き地をウロウロしている。


 道は土で朝の湿っぽいにおいがする。


(こどものころみたいだな)


 もちろんウシやヤギはいなかったが、一昔まえの練馬あたりでは土くれの道がまだ残っていた。またそれより、自分の中の縄文からの遺伝がそう感じさせるのかもしれなかった。


 コーヒーとフランスパンのサンドイッチを売る屋台で、熱いカフェオレとハムとチーズ、野菜のハーフサンドイッチをたべた。


 ハーフと言ってもフランスパンの半分だからかなり食べごたえがある。


 生野菜がすこし心配だったが、事後のトイレ事情からすると結果的に新鮮だった。旧仏領インドシナだけあって、パンもカフェオレもうまい。


 そのうち町が起きてきた。


 宿にもどり朝食をことわって、自室で荷物をつめる。


 八時ころに「さあ帰るか」と下階におりると、来たときのようなオジサンや親子づれが待っていた。皆、真剣な目で私を見つめる。また代表のような年かさの男が来て、


「バンコクまで連れていってほしい」


と頼んできた。


「これはトムに言われた金だ」


 タイバーツの紙幣の束をだす。ざっと見て四千バーツ内外だと分る。


 さぁ困った、密出国より密入国が難しいのは当然だ。


 国境でトムから出国させてカンボジアまでなら倍額といわれ即答したのも出るのは楽だからだ。


 逆にタイに入るには正規のパスポートやビザが要る。しかしこの当時タイにくるカンボジアやミャンマーの人たちは、非正規つまり偽造パスポートやビザが当たり前だった。


 中国人の亭主をよぶ。


「私はここまで人をはこぶことを条件に仕事を受けた、帰りもつれていくという話はきいていない」


 中国人には合理的に話すのがよい。


「しかしトムからの仲介人はいつもつれていってくれた」


 ワンという宿の亭主はにこやかにこたえた。


 ここでトムに連絡するのはムダだと思えた、どうせ電話してものらりくらりとかわされるだけだ。


「じゃあ、料金の値上げをしてほしい」と言うと、「ゆうべ娘を抱かなかったのは貴様の勝手だ」とこたえる。主人の娘を歓待に出していたのも吃驚だったが、ここでやってみようと思ったのは、子供ながらの義侠心だったか。


 空荷で帰るより、今の生活を少しでも良くしたいと願うカンボジア人をタイへ届けるほうが、たとえ違法でもやるべきことのように思えた。


 亭主にわかったと手を振り、代表の男のところへもどって、全員のパスポートとビザを確認した。


 十六人中、正規のパスポートとビザはなんとゼロ人。


 偽造パスポートで出来がよいのは八割くらいだった、ビザは国境の審査でなんとかなる可能性が高い。


「俺の名前はヒロだ、お前は」


と訊くと、代表はカンボジア名を言ったが聞きとれなかった。


 私はたっぷり朝食を入れているし、どうせ道ぞいにろくな店はないと昨日わかったので、国境まで一息に行く。


 睡眠と営養、なにより若かった私のカラダがそれを可能にした。乗客は静かで緊張していた。


 この路線のタイ側国境はハートレック、小さな浜といった意味である。逆にカンボジア側からはココンという町が国ざかいだ。


 国と国の間に一本線が通っているイメージは島国のそれであって、大陸では国境線より隣りあった町どうしがさかいになる。


 ココン側から見るタイのイミグレーションは威圧的だった。来るときは素どおりだったが、今回は適当なパスポートのカンボジア人十六人の入国審査がある。


「ABCツアーのものです」


 なるべく明るく手近のオフィサーに声をかける。


「パタヤとバンコクのツアーに十六人つれていきたいんですが」


 オフィサーは私の身なりを見て、


「その客を連れてこい」と返事した。


 ここからはあうんの呼吸である。


 あきらかにツアー客というほど金を持っていないクメール人、ラフな格好の自称ガイドの日本人。ほどほどの金額で越境できた。


 タイ語の看板が見えはじめると、荷台の客たちははしゃぎだした。来たときの倍の人数で騒がしかった。


 ハートレックに着くと、半数くらいはここでいいとバンをおりた。


 西洋人向けのホテルをさがし、電話をかりた。バンコクのトムを呼びだす。この頃は、まずホテルの呼び出しから連絡するしか方法がなかった。


 数コールのあとトムが出る。


「何人連れてきた」


「十六人ですけど半分くらいおりましたよ」


「よっしゃ、一万六千ボーナスや」


 どうやら国境越えが一番高い値段設定だったようだ。


「じぶん、もうひと儲けせえへんか」


 トムは空いた荷台にトラートで降ろした少年と「荷物」をバンコクまで運べば、あと一万バーツと言った。


荷物ってなんですか、と訊くのはヤボだ、教えないことが大事ということもある。


「分かりました」と電話を切る。


 トラートまでは早かった。行きはおそく、帰りははやく感じる現象に名まえはあるのだろうか。同じホテルに車をつける、カンボジア人たちはガヤガヤと市内観光に行ってしまった。


 バンの下のもぐり、ゆるんでいるボルトがないか調べる。ラジエーターやファンも見る。一息ついてタバコを吸っていると、この前の少年が大きいバックパックとともに来た。痩せているので重そうだ。


 クメール訛りがあるタイ語を話す十代なかばの少年で、カンボジア国境まで来たがトラートで一泊して帰る。密輸というコトバが頭にうかぶが、それはもちろん不問でトラックの荷台にアゴをしゃくる。


 少年は荷台の奥にバックパックを置いて、その上に覆いかぶさるように寝た。すこし疲れているようだった。


 乗客がもどってバンコクを目指す。


(文明というのはありがたい)


 つくづくそう感じた、舗装された道路、信号を守るクルマ。休憩に寄るコンビニには冷えた飲み物と清潔なトイレ。


 バンコクの手前のパタヤでまた二人おりた、どちらも若い女性だった、パタヤは歓楽街で有名である。でもそれは彼女たちの選択だと思った。


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