『マクベス』3

 教室に戻ったがまだ葵の姿はない。もう着て帰ってしまったという可能性もなくはないが宗像の言葉からついさっき〝行くつもり〟だったのならばあまりそうとは考えにくい。 しばらくそのまま接客をしていると、やたらと後夜祭のキャンプファイヤーに一緒に行きませんかという誘いを受けた。演劇の片づけがあるから後夜祭には出られないと断っていたのだが、クラスメイトにそのことを話すと、


「黒崎君知らないの? この学校には伝説があって後夜祭のキャンプファイヤーをカップルで見るとその二人は結ばれると言われてるのよ。昔ね、この学校ができる前にはこの場所に町を守る巫女のお堂があってね、そこに住む巫女は恋愛御法度だったんだけど、それでも互いに愛し合う人と巡り合い、二人の仲を引き裂こうとする町のみんなに反発して二人はお堂にこもり、火をつけて心中したっていうの。だから後夜祭のキャンプファイヤーは誰にも引き裂くことのできない永遠の愛を象徴するかがり火なのよ」


「そうか、知らなかったな」


「ねえ、話を聞いたら少しは興味湧いた?」


「ああ、少しな」


「ねえ、黒崎君。もし、相手が決まっていないんならわたしが一緒に行ってあげてもいいわよ」


「ありがとう。でもそんな話を聞かされたらな、どうしても誘わないといけない人ができたよ」


「まーそーかー。やっぱわたしじゃ相手にならんかー」


 そんな話をしている時、まさに彼女がやってきたのだ。

 コスプレ喫茶の入り口に立って、教室の中をちらちらと中の様子をうかがっている葵栞の姿に俺の心臓は早鐘を打つ。演劇用の純白のドレスを着ているから嫌でも目立つ。


「俺が接客するよ」とクラスメイトを押しのけ注文を聞きに行く。葵と一緒にいる女子生徒に見覚えはない。葵と同じ緑のネクタイなのでクラスメイトだろう。長い黒髪で色白。うつむき加減であまり目を合わせてくれない。緊張しているのだろうか。宗像からデートだと聞いて相手がつい男だと思い込んでしまっていたようだ。そこに少し安堵する。


「なんだあ、きみかあ。たけぴーはいないの?」


 当てこすりのような言い方に嫉妬する。


「わるいな。今ちょっと用事があって。そちらの方はクラスメイト?」


「あー、まったく君は目ざといね。知らない女の子を見るとすぐにそうやって唾をつけようとする」


「い、いや……そういう訳では……」


「この子はあーしの親友のつみこだよ。ほら」


 葵に肘でつつかれた女子生徒は「どうも」と聞こえるか聞こえないかの小さな声を出しこくりと頷いた。つみこという名前にはどこかで聞いたような記憶がある。今までの会話のどこかで何度か耳にしていたかもしれない。以前は友達がいないと言っていた葵に親友と呼べるクラスメイトがいたことに驚きつつも、もう彼女は自分の知っている葵栞ではないことも痛感した。


 本当ならば今すぐにでもキャンプファイヤーのことを誘ってしまいたい気持ちもあったが、演劇の舞台の上で告白することを決めていたし、この場は注文を聞いて素直に引き下がることにした。



 15:30分。ジャズ研によるビッグバンドの演奏、〝FLY with the wind〟が終了し、ステージにいったん幕が下ろされる。緞帳の裏側で撤収を始めるバンドメンバーと入れ替わりに舞台セットが用意される。俺と竹久はステージ中央に移動し、立ち位置の確認と照明のチェックをする。


「もうちょっと左だ」裏で照明の最終チェックをしている脇屋さんが声を上げる。


「真上を見てくれ。その照明の真下だ」


 天井から吊り下げられるハロゲンライトを見上げ、その照度に目が焼けそうになる。そのまま視線を下に落とし場ミリのはがされたステージの木目を見ながら自分の立ち位置を把握しておく。本番中に上を向いて目を焼くわけにもいかない。


「ほら、ここだよ」竹久は足元を指さす。「ここに床板の節目が三つあるだろ。両足の真ん中にこの顔を置いて見つめ合う形で立つとちょうどいい」


 点が三つあるだけで人の顔だと認識してしまうことをたしかシミュラクラ現象と言ったか。生物が野生で外敵を見つけやすいように本能的に錯覚してしまうらしい。足元にいる点三つだけのあどけない顔がまるで不安を隠しきれない自分の姿を写す鏡のようにも感じる。


 今日、今から始まる演劇の最後に葵に告白するのだ。喜劇となるのか悲劇として終わるのかは定かではないがもはや大した問題ではない。ただ、その時のことを考えると自然と手に汗がにじむ。


「暑いな……」


 つぶやいたのは俺ではなく竹久だ。言われてみれば確かに暑い。十月の気温はそれほど高いわけでもなく、今までの練習の中でこれほど熱いと感じたことはなかったように感じる。思えば先ほど演奏をしていたジャズ研のメンバーも汗をかいているようだった。


 俺は目を焼かないように手で庇を作ってもう一度上を見上げた。


「なあ、竹久。照明の色が変わってる」


「あ、ほんとだ。この間までもう少し白い色だったよな」


 その様子を見ていた脇屋さんが気を遣ったのか、壁のスイッチを操作して照明の光を小さく絞る。


「昨日照明を付け替えてもらったんだよ。ほら、練習の時に照度を変えようとするとちかちか点滅することがあっただろ? あれは何にも考えていない学校側が調光に対応していない電球に取り換えていたからなんだ。それで以前使っていたものと同じハロゲンライトに交換してもらったのがつい昨日のことだ。だからこうしてギリギリになって照明の調整に付き合ってもらってるのさ」


「え、ちょっと待ってくださいよ。つまり夏休みに体育館の改修工事をした時から昨日まで、ずっとあの白っぽい色の電球だったっていうことですよね」


 竹久が少し興奮したように言う。


「ああ、そうだ。まあ、この電球は電気代も高くつくからね。今日の演劇が終わったらまた元の電球に付け替えることになるんだろうけれど」


「そう、そういうことですか」


 竹久は何かに納得したようだが、俺には何のことだかよくわからない。俺に分かるのは、LEDの照明よりもこの白熱球のハロゲン球のほうが暑く、電気代もかかるが、それでも演劇をするうえでこのほうが都合がいいということだ。


 俺たちはいったん舞台袖に移動し、緞帳が上がるのを待っている。その時にふとあることを思い出した。別に聞くのは後でもよかったのだが、時間はまだ少しはあるようだ。今聞いておかないと劇の途中に思い出して気になってしまうかもしれない。


「なあ、竹久。こんな時に言うのもなんだが、『マクベス』の物語に出てくるバンクォーの予言っていったい何だったんだ? バンクォーは魔女に王の先祖になると予言され、そのことで疑心暗鬼になったマクベスはバンクォーを殺すが、息子のフリーアンスには逃げられてしまう。俺はあの時、物語の最後はマクベスを討ちに来るのはフリーアンスだと思っていたのにそのまま登場することなく物語は終わってしまう。じゃあ、魔女の予言とはいったい何だったんだろうって」


「ああ、それは簡単なことだよ。マクベスの物語は歴史上実際にあった史実をもとにしているんだ。尤も、実際ダンカンは割と賢王ではなかったようだし、マクベスは暗殺したわけでもなく正々堂々と戦って勝利している。フリーアンスは逃げたそのあとで子孫を残し、その子孫はマルコムの子孫と結婚してスコットランドの王になっている。

 ほら、シミュラクラ現象と似たようなもんだよ。人は目の前にあるものだけを並べて全体像を想像しようとするから、マクベスはバンクォーの子孫が自分の王位を脅かすと考えたわけだが、その舞台の外にいる世界について考えが足りていなかったんだ」


「じゃあ、バンクォーはとんだとばっちりだったという訳か」


「そうだよ。おれたちの知らないところでも物語は常に動いているんだ」


「仕方ないな、それを全部把握するなんてできるわけない」


「なあ、大我。こんな時にこんなつまらない講釈を垂れるのもどうかと思うのだが……」


「言ってくれ。そのほうが気がまぎれる」


「ああ。マクベスのあの物語。冒頭の魔女なんて本当は存在しなかったんじゃないだろうかって……」


「どういうことだ?」


「うん。三人の魔女の正体は森で見かけた単なる三本の枯れ木なんじゃないかなって…… 枯れ木然り、ダンカンを襲う時のナイフ然り。実際に魔女が現れて予言をしていたんじゃなく、マクベスが勝手にそう思い込んでいるだけ。あるいはそうであったことにして自分自身をだましているだけなのかもしれない。

要するにマクベス自身がダンカンを殺したいとか、バンクォーにその座を奪われるんじゃないかという恐怖心が魔女という形の幻影を作り出したんじゃないかなって……」


「なるほど。つまりマクベスは自分自身が実行を決めた暴挙に対する言い訳がほしかったと……つまりそれは……」


「さあ、幕が上がるぞ」


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