『ティファニーで朝食を』3
次の日は大我と竹久二人共学校を休んだ。大我がうつしたんだという声もあったけれどそうじゃないと思う。小さな傘に二人で無理やり入るから雨に濡れて風邪をひいたに違いない。
瀬奈が二人で帰ろうと言ってきた。二人並んで学校の坂道を下っている途中、瀬奈の鞄に見慣れないキーホルダーがついているのに気が付いた。
「せ、瀬奈、それ、どこで手に入れたの!」
「え、あ、これ? これは、えっとー」
瀬奈は言葉を濁す。
少し古びているけれどそれはとてもレアなキーホルダーだ。鼻ひげを生やしてペンを握りしめた猫のキャラクター。『吾輩は夏目せんせい』は一部の文学乙女の間では希少なグッズだ。限定生産品にもかかわらず恋愛が成就するパワーがあると話題になってすっかり手に入らなくなってしまった。気まずそうに言葉を濁す瀬奈が怪しくなって問い詰めると「拾ったんだよね」とあっけらかんに言った。
しかし、もし拾ったのだとしたら落とした本人はさぞ困っているだろう。持ち主を探して返すべきだというウチの言葉に観念した瀬奈は詳細を話してくれた。
少し前に旧校舎の文芸部(漫画研究部)の部室にある漫画を読んでいるとき、たまたまメモ書きを見つけて、そのメモの通りに独伊辞書を開くとそこにはこの鍵があって、それはなくなっていたはずの旧校舎三階時計台の機械室の鍵。そのカギを使って瀬奈が機械室にあったピアノを弾いて幽霊を演じていたということ。昨日、それを竹久の前で再現したらあっさりと幽霊の犯人が自分だということがばれてしまったこと。
「まあ、なんにしてもその鍵は職員室に届けるべきよね」
「ええ、そんなあ。せっかくアタシだけの秘密の部屋だったのにい」
「学校側に鍵が戻ればあの旧校舎の止まったままの時計台も直してくれるかもしれないでしょ。そうすれば少しはイメージも回復してもうくだらない幽霊騒ぎなんて起きなくなるかもしれないでしょ」
「ええ、それだってアタシ的には割と楽しんでやってたんだけどなあ」
「そのことで迷惑を受ける人だっているんだからね、まったく」
その迷惑を受ける人の中にウチだって含まれるだろう。幽霊のうわさを聞いて旧校舎に近づかないようにしていたのは事実だし、それがなければあの春の文化祭の時だって……。
そこでふとしたことに気づく。聞けば瀬奈が鍵を見つけて怪奇現象を演じ始めたというのは少し前のことだという。しかし、ウチが旧校舎の怪奇現象を耳にしたのは入学して間もないころ。少なくとも、瀬奈が旧校舎に足を運ぶようになるよりも前の話だ。そのことにいくばくかの不安を抱きつつもその考えを振り払い、その鍵を持って職員室へと向かう。
鍵を渡す相手は別に誰でもよかった。だけど、職員室に入るなり担任の原田先生と現代文の桜木真理先生の姿が目に付いた。
原田先生が真理先生をしつこく食事に誘っている。聞いた話では真理先生はこの学校の卒業生だったらしく、その時の担任が原田先生だったらしい。その時の縁をいまだ引っ張り出しては真理先生をしつこく口説こうとしているのはすでに学校中でも有名な話だ。だからしつこく誘われて困っている真理先生を救おうと彼女を呼び出した。
しばらくして、疲れた様子の真理先生がやってくる。
「先生、旧校舎で鍵を拾ったんです」
瀬奈が少し残念そうに鍵のついたキーホルダーを差し出す。
「この鍵、どうやら――」
「旧校舎の鍵!」
そう言ったのは真理先生。少しばかり興奮した様子の真理先生に対し、ウチは少しばかり想像をめぐらせた。
「もしかしてその『吾輩は夏目せんせい』真理先生のものなんですか?」
挙動不審に周りを気にした彼女は声を潜めて「実はそうなの」と言った。
「これはわたしがこの学校に生徒として在学していたころ、わたしの所属していた部があの旧校舎を使っていてね」
「あ、もしかして文芸部ですか」
「うん。まあ、正確にはそうではないけれど似たようなものかしらね。ともかくわた
したちがこの鍵を管理していて、このキーホルダーはわたしの私物を付けていたのよ。わたしは副部長で、一つ上の先輩が部長をしていたのだけど、普段はわたしかその先輩が鍵を管理していたわ。
先輩が卒業するとき、わたしの手元にはカギがなかったのできっと先輩が持っているのだと思っていたの。卒業式の日に先輩は自分の卒業後、部室の管理を頼むといって紙袋を渡してくれたの。わたしは中を見ずに紙袋を受け取った。中には鍵が入っているの思っていたのでその時は中を確認しなかったのだけれど、後で中を見てみると文庫本が一冊だけだった。
先輩はその後卒業してしまって連絡が取れなくなってしまって鍵はそのまま見つからないまま。なんだ、ずっと旧校舎の中にあったのね」
鍵を受け取ろうと手を差し出す真理先生。しぶしぶと鍵を差し出す瀬奈からウチは咄嗟にその鍵を奪い取った。
「えっ、ちょっと笹葉さん」
「少し気になることがあるんです。鍵はまたあとで持ってきますのでもう少し預からせてください」
「うん、それは別にいいけど……」
「真理先生、その時の文庫本って、何だったかわかりますか?」
「ええ、覚えているわ。たしか梶井基次郎の『檸檬』よ。確か、あの後文芸部の書架にしまってあったはずだけど」
「わかりました。『檸檬』ですね」
踵を返したウチは瀬奈を引っ張って旧校舎を目指す。ウチの感ではあの旧校舎にはいまだその想いを成就できずに取り残されている怨霊がいるのではないかと思う。ウチは、その怨霊の呪縛を解いてやりたいと思った。それが、今こうしてくすぶっている自分に対する慰みになるかもしれない。
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