『ティファニーで朝食を』2
夏休みが終わり、彼は図書館に来なくなってしまったけれど、自分の想いを伝えることができただけで満足だった。いつか運命的に再会したとき答えを聞けたらいいと思っていた。
その運命というものにも実は期待がある。互いに白明高校を受験するのだし、二人とも合格すれば再会することもあるだろう。
しかしウチの読みは甘かった。受験に失敗し、滑り止めだった芸文館高校に通うことになった。これで彼と会うことはもうないだろうと思っていた……
芸文館高校の入学式の日に唖然とした。もう会うこともないと思っていた竹久が同じクラスにいたのだ。ウチは思わず彼を見つめていた。彼と目があった時、心臓が止まりそうなくらいに息が詰まる。……彼はウチが誰だか知らない初対面のようなそぶりで目を反らした……
仕方がない。あのころと今ではウチの外見的にかなりの違いがある。
同じ高校に通うことになった瀬奈はいろいろウチに気を遣ってくれた。『サラサはとっても美人なんだからもう少し気を遣わなきゃだね!』そう言ってウチにメイクの仕方を教えてくれた。髪も明るい色に染めて、眼鏡もコンタクトレンズ、しかもカラー入りにした。ダイエットにだっていくらか成功した。
「いくら何でも気合い入れすぎだよ」
瀬奈がそう教えてくれたのは入学して一週間ほどたったころ。加減というものを知らないうちは高校デビューに気合を入れすぎてしまっていた。
元々が深い付き合いでもなければ今のウチとあの頃のウチが同一人物だなんてわかりっこないだろう。近寄って「久しぶり」と声を掛けようとも思ったが、今更なんて言えばいい? 「あの時の消しゴムのメッセージの答えが聞きたいの」なんて、言えるわけもない。ウチをまるで初対面の人としてとらえる彼にイラつくこともあったが結局悪いのは自分自身だ。
だったら初対面として彼と仲良くなればいい。そう、それだけのことだ。ウチは勇気を振り絞ってゴールデンウィークに校内で開かれる春の文化祭に一緒に行こうと誘うことにした。さすがに二人きりでは気まずすぎる。一緒に連れて行く友達と言えば瀬奈くらいしか思いつかない。でも彼女を連れて行けば誰だって彼女のことを好きになるだろう。でも大丈夫。竹久の友達の黒崎君、誰の目からしても彼以上のイイ男なんてありえないくらいに完璧な人、きっと彼も誘えば瀬奈とお似合いだ。あの二人が仲良くやっている間にきっとウチは竹久と仲良くなれる。
――打算は失敗に終わる。瀬奈は竹久を連れてどこかに消えてなかなか帰ってこなかった。途中で雨が降り、雨が止んでようやく二人は帰って来た。「雨が降り出したんでずっと雨宿りしてたんだ」という彼女の言葉が嘘だということはすぐにわかる。自分がいつも雨女だと呟いている瀬奈はどこに行くときも鞄の中に折り畳み傘を入れていることを知っている。帰り道瀬奈と二人きりになったときに彼女は言った。
「ねえ、ユウってどんな奴なの?」
「どうしたのよ、そんなこと聞いて」
「うん、なんかちょっと気になるのよね。アイツ」
――それは、まるで恋をした乙女のような発言だ。卑怯なウチは遠巻きに竹久のイメージを損なう言い方を選ぶ。
「そうね、言ってみれば月、みたいなやつかしら」
「つき? 空のお月様?」
「そう、満ちたり欠けたり掴みどころないし、ほら、月の中に見えるのってさまざまでしょ。日本ではお餅をついているうさぎってよく言うけど、人によってはカニだったり、人の顔だったり……。結局お前はなんなんだって思うわけよ」
「ふーん。お月様ね。やっぱりサラサは文学乙女ってやつだね。普通そんな例えなんてしないよ。あ、でもさ、あの大我ってやつさなんかサラサとイイカンジなんじゃない? ねえ、どうなの?
すごくかっこいいしさ、まんざらでもないんじゃない?」
――実はついさっき、付き合わないかと言われたことは言えない。何か言い訳を探してみる。
「でも、なんていうかさ。運命っていうものを感じないのよね」
「運命?」
「うん。ほら、実は大好きな本とか映画だとか音楽だとかさ、そういうのがぴったり一致すとかさ……。もう会うこともないだろうって思っていた人が偶然すぐ近くにいる人だったりとかさ」
言いながら、竹久のことを思い浮かべていたというのは言うまでもない。
「うーん。そうねえ。でも、まだ知り合ったばかりでお互いよく知らないだけかもだし、そのうち何かそういう発見があるかもよ。それこそ今日という日がブルームーンっていうめずらしい日でさ、そんな日に愛を告白されれば『これが運命かも』って思っちゃいそうだけどさ……」
瀬奈は、雲に覆われた空を見上げて言う。
「だけど、ブルームーンは見えそうにないよ……」
ウチは、瀬奈の『ブルームーンは見えそうにない』という言葉の意味を考えた。
ブルームーンの意味は、言えない相談、叶わぬ片思いという意味がある。つまり瀬奈はウチに〝竹久のことはあきらめろ〟と言っているのではないだろうか。だとすれば、所詮付け焼刃で表面だけを着飾っただけのウチがどう頑張ったって瀬奈にかなうわけがない。結局ウチはこの想いを封印するしかなかったのだ。
それから数日後、ウチは黒崎大我と付き合うことになった。だって仕方なかったのだ。瀬奈に勝てるわけでもなく、大我以上に理想的な人物だって考えられない。彼のような素敵な恋人が出来たらきっと竹久の事なんてすぐに忘れられる……はずだ。
でも、それは間違った選択。もし、何でも消せる消しゴムなんてものがあればその事実から消し去ってしまいたい。
瀬奈と竹久の距離は日を追うごとに近づいていくのがわかった。それを目にする度つらくなる。高鳴る鼓動を抑えようと必死で心を外側から押さえつけると、心の内側にはトゲトゲのサボテンのようなものが住んでいて、押さえつければつけるほどに痛みが増した。
その日は大我が体調を崩して学校を休んだ。瀬奈も寝坊したから先に行ってとメールをよこす。一人ぼっちで登校してしている途中に急な雨が降り出してびしょぬれになってしまった。
教室の窓から外をのぞくと校門付近に一つの傘に肩を寄せ合って並んで歩く竹久と瀬奈の姿が見えた。
雨の日は嫌いじゃない。こぼした涙を雨のせいにできるから。
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