『グレート・ギャッツビー』3
あれは二年前。中学二年の初夏のころだった。
放課後に下駄箱を開けると一通の手紙が入っていた。いかにも女の子らしい白とピンクの便箋だった。特に中を検めるまでもない。それが大体何を意味しているかくらいわからないでもない。黙って鞄にしまう姿を隣で眺めている友人、木野敏志(きのさとし)が口を挟んだ。
「おいおい、またかよ。お前、いい加減にしろよな。うちの学校のカップル不成立の高さはお前のせいだからな。お前もいい加減一人に絞れよ。そうすりゃあこっちにだって少しはまわってくるかもしれねーだろ」
別に俺だって好きで特定の彼女をつくらないというわけではない。それはつまり……
「あ、あの……。ちょっとお話があるんですけどいいですか!」
いつの間にかよく知らない女子生徒がすぐ近くにいた。まだあどけない表情はほとんど子供にしか思えない。たぶん一年生なんだろう。
もちろんこういう状況にだって慣れている。これから何が起きるのかということだってもちろんわかっている。
「ああ、じゃ、オレ、いつもんトコ行ってっから」
木野にしてもそれは理解している。だからこうして気を利かせてその場を立ち去った。
用事を済ませていつもの場所へ向かう。体育館裏の倉庫の前でバスケットゴールが二つ置かれた場所。普段は人が立ち入ることはめったにない。特に趣味もなければ部活動もしていない俺と木野はただただ毎日の暇をつぶすためにバスケットボールを片手にダラダラとダベッている。もちろん本気でバスケをしようなんて思っていない。おもっているくらいならバスケ部に入っている。その日もその場所にいたのは木野だけ、遠まきにスケッチブックを開いて絵を描いている女子が一人いるくらいだった。
木野は俺が来るまで一人で延々とフリースローをしていた。バスケットリングに跳ね返って落ちてきたボールを駆けつけた俺が拾ってゴールを決めると「いやなヤツ」木野がそう呟いた。
「で、どうするんださっきの子、けっこーかわいー子じゃねーか」
「来週の日曜日にデートする」
「あん? お前日曜は千尋とデートすんじゃなかったか?」
「千尋とは午前の約束だ。午後は珠樹と結奈、その後にさっきの子と約束した」
「……大我さー、お前いい加減死ねよ」
「仕方ないだろ? 相手の気持ちを考えたらそう簡単に断れないよ」
「お前さー、それが余計に相手を傷つけてるんだっていい加減気づけよ。お前、前はもっと友達たくさんいただろ。でも、今でもお前の傍にいるのは俺と由紀ぐらいなもんだぜ。あー、なんならさ、お前、いっそのこと由紀と付き合っちゃえば? お前がさ、由紀くらいの美人と付き合っちまえば他はおとなしくなるんじゃねーの?」
「あたしがどうかした?」言いながらこちらに向かってやってくるのは岸本由紀(きしもとゆき)という女子生徒だ。俺たち三人は大体にしていつもつるんでいる友達だった。当時の俺にとってたった二人の大切な友人だ。岸本は弓道部のエースで俺と木野はいつもこうして彼女の部活が終わるのを待っていた。
「ねー、ところでさー」岸本が視線を飛ばした。その視線の先を俺たちが追うとひとりの女子生徒がいる。俺たちから少し離れたところで何か必死で絵を書いている。分厚いメガネをかけたいかにも根暗そうな子だった。「知りあい?」
俺も木野も黙って首を横に振った。「だよねー、あの子ともだちいなさそーだし」
「そういや、あの子、最近ずっとここにいるな」
「そうなのか?」
「気づかなかったのか? たぶん三年じゃないかな。なんかキモイよな」
「ふーん、そうゆう事……。あのね、じゃあ……」
岸本が木野に何かを耳打ちする。木野がそれに承諾すると俺の手からバスケットボールを奪った岸本がスケッチをしている生徒に向かって放り投げた。緩やかに弧を描いて地面にバウンドしたスケッチをしている生徒へと襲い掛かる。
「きゃっ」
悲鳴を上げる生徒に木野が「わりぃ、わりぃ」と言いながら駆け寄る。ボールを拾いそのついでのように女子生徒の落としたスケッチブックを拾い上げて言う。
「うっわ! なにコレ! マジでヤベーじゃん!」
その言葉を待っていたかのように岸本がそっちに向かって行った。俺もそれを追いかけた。慌てて絵を隠そうとする彼女からスケッチブックをすっと奪い取った木野は笑いながら岸本へ渡した。それを受け取った岸本も大爆笑した。顔を真っ赤にして今にも泣きだしそうな眼鏡の生徒を尻目に岸本は俺の方へとスケッチブックをまわした。
その絵の見るなり、俺の背筋に鳥肌が総立ちになるのを感じた。
その絵はあまりにも完成度の高い絵で、だからこそその絵が何を書いているのか解らないはずがない。それはつまり、俺の絵を描いていたのだ。俺はその絵を見て、純粋に感動した。絵画だとか芸術だとかそういうことはまるで理解できない俺だったが、その絵の完成度が並外れたものではないということくらいはわかる。
「これ、先輩が描いたんですか?」
俺はそう言いながらその絵を本人に返した。
だが、彼女は泣きながらそのスケッチブックを掴み走ってどこかに行ってしまった。
それから少しして夏休みに入り、暇をもてあました俺は地元のお城の近くにある映画館に一人で行った。映画の内容は上手く理解できなかったが、なんとなく芸術的なんだと感じていた。そのせいか少しばかり高揚した気持ちで映画館を出てすぐのところにあった画材屋に足を運ばせた。もちろん絵なんて描きもしないそんなところに用事があるわけでもないのだが、今見た映画の影響で何か描いてみようかだなんて考えてみたのだ。
そこで再会した。あの時の絵を描いていた女子生徒だ。俺は思わず声を掛けた。
「ねえ、たしか君……」
「あああああ……。ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい」
「なにを謝ってるんだ?」
俺は彼女の絵に素直に感動したことを伝え、彼女がほかにどんな絵を描いているのか見たいと言った。二人の距離はたちまち近くになった。俺はその夏彼女に恋をした。
ふたりはたぶん、言葉にこそしていなかったけれど夏の間、恋人同士だった。
いつでも自由奔放で、それでいて自分の行動に責任を持つ彼女に惚れていた。
二人が恋人として過ごした中学二年の夏休みが終わを告げ、新学期が始まったが俺は二人の友人、木野と岸本に新しくできた恋人、葵栞のことを秘密にしておいた。いつかタイミングを見計らって発表し、おどかしてやろうと思っていた。
新学期が始まってすぐの放課後。俺と木野は体育館裏のバスケットゴールの前で岸本の部活が終わるのを待ってた。
「なあ、大我、お前夏休みの間付き合い悪かったよな。遊びに誘ってもいつも用事がある用事があるって……もしかして彼女でもできたのか……」
「……」
どうしようかと迷った。今、ここで発表しようか、でも、できれば岸本もいる三人の時に言いたかったので、あえて言いたい気持ちを押し殺した。
「まさか……。図星?」
「あ……え、えっと……」
「おい、まさか由紀か?」
「え? なんでそうなるんだよ」
「ちがうのか?」
「違うよ」
「そうか。ならいいんだけどよ」
「なにがいいんだよ」
「……」
「なあ、なにがいいんだよ」
「……わからないのか? オレ、由紀のことが好きなんだぜ」
「……マ、マジか?」
「マジだよ。だからさ、夏休みの間、お前を誘ってどっか三人で行こうと思ってたのにいつもお前は都合が悪いっていうからさ」
「い、いや、悪かったな」
それから少しして岸本がやってきた。俺はここぞとばかり栞のことを話そうとした。だが、先に質問をしてきたのは岸本の方だった。
「あのさ、大我。ちょっと聞きたいことがあんだけど」
「なに?」
「夏休みさ、あんたずっと付き合い悪かったでしょ。しかもさ、夏休みの間、あんたがあの時の絵を書いてた地味子といるのを見たって話があるんだけど……」
――ちょうどいいタイミングだと思った。深呼吸をして言葉を選ばなければと思う……が、またしても岸本の方が先に口を開いた。
「まさか、つきあってるとかじゃないよね。マジありえないんだけど。あんただったらさ、他にいくらでもいい子いるでしょ? さすがにあんな子と付き合ってるとか言い出したら友達止めるからね! ねえ、サトシだってそうでしょ!」
「あ、ああ、そう……だな。たしかにありえない……よな」
岸本は睨むようにこっちを見てきた。
――今は…… 言えない。タイミングを計って……そうするより仕方なかった。
「ち、ちがうよ。たまたま通りすがりに会っただけだ。知らない顔でもないから声を掛けただけ……」
「そう。ならいいんだ! だったらこの際だからはっきりさせておくね」
「な、なんだよ」
「あたしね、あんたが好き! 大我、あたしはあんたが好きなの。あんたとお似合いなのはどう考えたってあたしでしょ! ねえ、サトシだってそう思うでしょ!」
木野は目を反らした。
「もう、役に立たない奴! ね、大我、あたしと付き合ってよ」
「………………ごめん。お、俺は……」
「…………はあ? 何ソレ? ちょっと意味わかんないんだけど…… ねえ、あたしの何が不満なわけ?」
「い、いや、そ、そういうわけじゃないんだ。た、ただ……」
木野の方を見やった。頭をかきむしりながら「はあー」と深いため息をつた。こちらを観ようとはしない。
「もういい、あんたなんかしらないから!」
それだけ言い残して岸本は去っていった。
しばらくの沈黙があり、木野が重い口を開いた。
「お前が悪いわけじゃない。お前が悪いわけじゃないよ。でもね、これだけは言わせてくれないかな。……お前、いい加減死ねよ」
シニカルな笑いを一つ残して木野は立ち去った。
その場にへたり込んだ。それがどのくらいの時間だったかは覚えていない。
ゴトン。という小さな音がバスケットゴール横の体育倉庫の裏から聞こえた。
――いやな予感がする。
恐る恐るそちらに近づいていくと、裏から観念した様子の葵が出てきた。
彼女なりのサプライズか何か用意していたのかもしれない。さっきの話を聞いていたのは間違いないだろう。
――上手い言い訳が思い付かない。
冷めきった表情の葵が言った。
「友達って……。なんだか面倒くさいね……」
その日。俺は恋人と全ての友達を失った。
そのまま彼女は一年先に卒業した。
もしもあの時、優真と同じように彼女が魅力的だと主張できたなら……。二年前の後悔があって俺はこの学校を選んだのではなかったのか……。それなのに今、またあらためて同じような過ちを繰り返している……
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