『走れメロス』6
窓の外は相変わらず雨が降り続いていた。
スマホをいじっていた宗像さんが僕を呼び付ける。
「あ、ねえユウ。今日サラサたちが立ち寄ったカフェのクレープ・シュゼット。すっごいおいしかったんだってえ!」
「……そうか。それはよかったな」
「はあ? アンタなに言ってんの? そもそもアンタが今日、サラサたちとの約束を断らなければアタシだって一緒に行って食べてたはずなんだよ! そこのところ、ちゃんと責任かんじてるわけ?」
「いや、それはいくらなんでも……」
「まあ、いいわ。アタシ達も今からそこのクレープ・シュゼット、食べに行きましょ!
ねえ、そんなわけでしおりん! アタシたち今日のところはこれで帰るね!」
そんなことを言いながら、僕の腕を引っ張って文芸部という表札のかかった教室を後にする。
そして、到着したの少しさびれたリリスという名の喫茶店。その喫茶店についてはまた別の機会に詳しく語るとして、その店のクレープシュゼットは確かに、文句なしにうまかった。
しかし、もっと驚いたのはその日のクレープシュゼットは宗像さんがおごってくれると言い出したのだ。
何かにかこつけて僕に甘いものをおごらせようとする宗像さんが、いつもよりも少しばかり値の張るそのクレープ・シュゼットをおごってくれるという事実に、その理由を彼女に問いただした。
「え? だって今日、ユウの誕生日でしょ?」
「え……。僕、自分の誕生日が今日だって、誰かに教えたかな?」
「ふふーん」
彼女はそう言いながら目と眉とで二つのⅤの字を描いた。
「アンタ今朝、風船飛んだってつぶやいてたわよね?」
――そのことに関しては確かに心当たりがある。しかし、それこそなぜだと聞きたい。Twitterで自身の誕生日に設定した日に風船が上がるのは周知の話ではある。しかし、宗像さんが僕のTwitterを知っているというのがおかしい。もちろん僕自身彼女に教えたわけでもないし、YUMAというハンドルネームだけでは身バレするなんて思ってもいない。しかし……。
「そもそもYUMAなんて実名で名乗っているのがチョロいのよね。ユウの好きそうなものとか、地元である岡山であることだとか、そういうこと打ち込むとすぐに出てくるのよね。それにTwitterで何つぶやいてるかって、読んだ本の読書感想文だなんて……、しかもものすごくひねくれたやつ。見つけてしまえばすぐに特定できるのよね」
――まったく。返す言葉もない。そして、それらのすべてが宗像さんに筒抜けだなんて思ってもいなかったし、何か余計なことを言ってしまったことがあるんじゃないかと気が気でならない。
「――えっと、いつから……」
「うん。まあ結構最近ではあるんだけどね。見つけたの。あ、そうそう。ユウのフォロワーの〝ななせ〟っていうの。それ、アタシのことだから」
慌ててスマホを取り出しフォロワーをチェックする。数少ないフォロワーの中から〝ななせ〟を見つけることは容易だった。アイコンやサムネイルさえ設定していないシンプルすぎるそのアカウントンにはフォローしているものこそわずかにあるが自身から発信しているものは何もない。それに、アカウント自体がつい最近になって作られたもので、それはいわば僕を監視しているためのものだと言って過言ではないかもしれない。これからは、発言に十分に気を付けなければならないと感じた。
「あ、そういえばさっきアンタ。太宰治の命日と自分の誕生日がおんなじ日だってこと、すこしやだなって思ってたでしょ!」
「よく……わかったね」
「わかるわよ、そのくらい。でもね、そういう時はもう少し違う考え方をした方が健全よ。ユウの誕生日が太宰の命日が同じってことは、少なくとも太宰のファンからしてみれば一発でユウの誕生日を覚えてくれるっていうことなんだからねっ! おかげでアタシも、太宰の命日なんて人生で絶対役に立たない情報を一発で憶えちゃったわよ」
そう言って、会計を済ませて(本当におごってくれた)店を出た彼女はスタスタとひと足先に歩き出した。
しかし、すこし歩いて立ち止まり、振り返ってこう言うのだった。
「わかってる? これはカシなわけ、アタシの誕生日には三倍にして返すのよ! いいわね!」
そう言って彼女はいつものように目を細めて笑うのだ。
まったく。僕は今までいったいどれほどの借りを彼女に作っていることになっているのだろう。
夕方の少し涼しげな風が吹き、路面にできた水たまりの表面をやさしく揺らす。
「そう言えば、いつの間に雨は止んだんだろう」
呟いて、彼女の少し後ろをついて歩く。
これからは、胸を張って言うことにしようと思う。六月十三日。この日は僕の誕生日であり、太宰治の命日だ。
そして僕はこの日、もう一つの記念日を制定する。
宗像さんがクレープ・シュゼットをうまいといった。
だから今日は、クレープ・シュゼット記念日だ。
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