『走れメロス』3


〝「待て。」


「何をするのだ。私は陽の沈まぬうちに王城に行かなければならぬ。放せ。」


「どっこい放さぬ。持ちもの全部を置いて行け。」


「私には命の他には何も無い。その、たった一つの命も、これから王にくれてやるのだ。」


「その、命が欲しいのだ。」


「さては、王の命令で、ここで私を待ち伏せしていたのだな。」


山賊たちは、ものも言わずに一斉に棍棒を振り挙げた。〟


 あきらかに、山賊はここでメロスの命を奪おうとしている。


「この山賊は、誰にやとわれたのかっていう話」


「だってそれは、ディオニス王じゃないのかな? だってここに……」


「でも、それって変じゃないかな? 王は人の信じることのできない人間で――」


 そうだ。確かに言われるまでもないことだ。


「メロスが約束を守ったからと言って改心なんてするわけがない。王が山賊を雇っていたというのならば、王は初めからメロスが帰ってくるものだと信じていたことになる。山賊たちも、王に雇われたなんてことには一言も言っていない、が、たしかに裏で誰かがメロスの命を奪うように指示をしている」


「――じゃあ、それはいったい誰?」


 二杯目のコーヒーに、さっきよりもたっぷりのコンデンスミルクを入れた宗像さんが椅子に帰ってくる。ふうふうと息を吹いて熱すぎる熱を冷ましているあいだ。僕は必死に答えを考えてみた。


 その横で、文庫本をぱらぱらとめくっていく宗像さん。不意に重大なヒントを言った。


「あ、こんな人物、教科書には出てこなかったな」

 

 見ると、そのページに描かれていたのはフィロストラトスだった。セリヌンティウスの弟子だというその男は、ぎりぎり町に到着したメロスにこう言っている。


『もう、駄目でございます。むだでございます。走るのは、やめて下さい。』


『ちょうど今、あの方が死刑になるところです。ああ、あなたは遅かった――』


 しかし、実際にはセリヌンティウスの刑が執行されるのはまだこの後しばらくの時間があるわけで、なぜ、この男がこんなことを言っているのか皆目見当がつかない。あるいは、まるでここでどうにかメロスを思いとどまらせ、セリヌンティウスを死刑にしてしまいたいようにも見えるのだ。


 では――、一体なぜ?


 僕の持つ知識から考察することで、やがてそれは一つの答えにたどり着いた。

 栞さんに向けて、僕はその持論を展開する。


「――フィロストラトスは石工だと言っている。その師匠であるセリヌンティウスも

おそらく同じ……。

 かつてのヨーロッパでは石工は多くの建築法は数学を編み出しており、その知識と技術は組合の中で秘密の暗号として共有されていたということは有名な話です。

 そしてそれらの組織は歴史の裏で大きく政治と関わり、秘密結社として暗躍していたという都市伝説はあまりにも有名だ。また、この秘密結社というやつがカトリックとの折り合いが悪く何かにつけて目の敵にされていたはずだ。そして太宰もまたカトリックの信者であり、この秘密結社に対しては良い印象を持っていなかったとも考えられる。

 さて、件のフィロストラトスもセリヌンティウスもその秘密結社の一員だったと考えて間違いはないとして、そしてまた、ディオニス王のような暗愚王がいつまでも実権を担っていてはいけないと暗躍していたのかもしれない。

 しかし、師弟の間でその考え方に対立があった。ディオニス王の暗愚はやがて国民たちの不審を買ってクーデターが起きるのは目に見えている。その時を待つという師の意見に対し、若いフィロストラトスはすぐにでも行動を起こさなければならないと考えていたのだろう。

 そこで、彼は一計を思い立つ。

 愚かで短絡的なセリヌンティウスの友人であるメロスをたきつけ、事件を起こす。そんなメロスの計略が失敗するのは計算済みで、友達思いのセリヌンティウスはメロスを守ろうとその身を差し出す。その、愛のある友情劇を無視してセリヌンティウスを処刑するディオニス王に対し国民の反発心を一気に煽り、意見の対立する師匠をも同時に消し、国民を扇動して一気呵成にクーデターを起こそうと考えたフィロストラトスからしてみれば、メロスが帰ってくるというのは最も望まないかたちの結末だと言える。

 だから、彼はメロスの命を奪おうとした……

 しかし、フィロストラトスの計略は失敗したが、ディオニス王はそれほどの暗愚ではなかった。それが、フィロストラトスの一番の間違い。

 王は改心し、結果としてクーデターは必要ではなくなったのだが、果たしてフィロストラトスはこの結果をどう受け取ったのか。もしかすると、ディオニス王亡き後に自分の息のかかった後釜を据えることで陰からの支配をもくろんでいたのかもしれないし……」


 と、つい調子に乗って熱く語り始めてしまっていた自分自身に気が付き、まったくバカらしくなってしまっていた。


「そんなわけがない。まさか太宰がそんなバカげたストーリーを書きたかったはずがないじゃないですか」


 そんな自分に突っ込みを入れる僕をニヤニヤした目つきで見ている栞さん。結局のところ、彼女自身の考えがあり、言葉巧みに僕を誘導し、その思い描く通りに僕が考察し、熱く持論を語り始めた僕を見て彼女は笑っていたのだ。


 まったく。恐ろしい人間だと嘆息するしかない。結局のところ僕は彼女の手の内で踊らされていたにすぎないのだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る