第5話 意外な才能


天音さんから耳かきしてもらってから早一週間が過ぎ、金曜日を迎える。


 耳かきモニターも兼ねてとの事で天音さんのシフトが入っている毎週金曜日だけバイトすることになった俺は『ごくらく』へと来ていた。

天音さんは何やら先生たちとの話し合いがあるらしく少し遅れるらしい。


「こんにちは、失礼します」

「遙日くんいらっしゃい、今日から一緒に頑張ろうね〜」


後ろの入口から『ごくらく』へ入ると開店作業をしている沙苗さんが片手を軽く挙げ、ハイタッチを求めてきた。


「いぇーい!」

「いぇ、いぇーい?」


 なんでハイタッチなのか。

ほとんど初対面のようなもののはずなんだがいまいち沙苗さんの距離感とノリがわからない。


 沙苗さんと学校で見る天音さんの温度差が激しいように感じる。

天音さんは学校では大人しいのに負けず嫌いを発動すると気が強くなったように意気地になってやり遂げようとする性格なのに対し沙苗さんは落ち着いている雰囲気を纏っているのは天音さんと同じであるが性格の根本が違うというか何というか。

顔はお母さん似で性格はお父さん似なのかなと勝手に思ったりもする。天音さんのお父さん見たことないけど。


「お客さん来る前に研修終わらせときたいから取り敢えず仮の制服に着替えてきてもらえるかな?」


 沙苗さんは急にすんっとなると真面目な面持ちをした。


 さっきまでの雰囲気はどこいった。さっきまでの雰囲気は。


「了解です」


 そう答えて俺は更衣室へと向かった———



 ちなみに今日が社会の理不尽に揉まれる初日(勝手なイメージ)、つまり初バイトってことだ。

そんなイメージを勝手に抱いているからか知らないが一日中めちゃくちゃ緊張しっぱなしで、緊張のあまり昼休みに装着しようとしていたイヤホンを食べていたきのこの谷と間違えて食べそうになってしまったのである。

しかもその姿を偶然自分の席から俺の方を見ていた天音さんに見られるというオマケ付き。


 死にたい。


 その後もまたやらないかな〜なんて考えていそうな顔でこっちをちらちらと何度も天音さんに見られるというさらなるオマケ付きだ。


 なんか見られてるだけなのにめちゃくちゃ恥ずかしかった…


 もう一度死にたい。



 あ、ちなみにイヤホンは先週の『ごくらく』から帰る前に無事に返還されました。

ケースからずっと外れていたためバッテリーがめちゃくちゃ劣化してた事は寛大な心で許してあげることにしました。


 えぇ、それはそれは寛大な心で。

劣化しすぎて左耳の方が10分しか電池が持たなくなりましたがね。


 …そんな茶番はイヤホンケースの中にでも仕舞っておいて今日のバイトについてだが、バイトって言ってもそんなたいそうなものでは無いらしい。

当然ではあるが最初からお客さんとのマンツーマンの接客を任されるというわけもなく、下準備の仕方を教えてもらもらったり施術の一連の流れをただただ見て覚えると言うことをするらしい。


 そのため、仮の制服に着替えた俺は沙苗さんの元へと戻る。




☆☆




「ごめんね〜、仮の制服で。一週間じゃ準備できなかったの〜」

「いえいえ、気にしないでください」

「道着似合ってるね!そのかっこいい醤油顔にぴったり!!」

「かっこいいなんて…、お世辞は結構ですよ」


 あははと愛想笑いをしながら遙日は返す。


 仮の制服と言うのも剣道の道着を貸してくれているのであった。

天音さんが着ていた様にこのお店の制服は着物となっており、店側から支給することになっているらしいが、なんせ男性バイト禁制と言うわけでは無かったが実際に男が働くのが初めてと言うことで制服をそもそも置いてなかったらしい。

男性バイトの募集はあったが全員沙苗さんの面接の段階で泣いて帰ることになったと天音さんが言っていた。


 竹刀を五、六本肩に担いで面接室に持って入る沙苗さんを見たんだとか。


 五、六本てどんな怪力なんだよ、こんな華奢な腕してらっしゃるのに。


 ほんとに何者だよこの人…


 そんな話を聞いてしまえば、バックれるなど尚更できそうもない。

もともとそんなつもりは毛頭無いが。


「もっと自分に自信もちな〜」

「いやいや、休み時間教室で一人ASMRなんか聞いてるやつですよ?そんなこと言われても信じられないです」

「本心なんだけどまぁいいや、それじゃあまず準備から説明していこうか〜」

「はい。よろしくお願いします」

「その切り替えの速さとか振る舞いを見る感じ、言葉遣いとかお客さんへの態度は大丈夫そうだね〜」



 それからは本来の予定通り研修を行った。




☆☆




「…これで一通り研修は終わりだけど何か質問ある〜?」

「特には無いです」

「それはよかった〜、それにしても遙日くん耳かき上手だったねぇ」


 まず初めにどこまで耳かきを入れて良いのかなど安全性の理解から始まり、次に器具の衛生管理を学んだところで耳かき技術の練習に取り組んだ。

初めての練習相手がまさかの店長とのことでバイトして一時間弱で首ちょんぱの危機もあったが六年間ASMRで培った知識を生かしたところどうやらお気に召していただけたようだ。


「角度の調整とかはまだまだこれからって感じだったけど、力加減は完璧だったよ〜。危うく昇天しかけたレベルだよ!!」


 どうやら俺には力加減の才があったらしい。

耳かきの練習を始めた途端からなにやら沙苗さんの様子がおかしかった。

俺の耳かきがよほど気持ちよかったのか頬を色っぽく染めたと思えばうっとりと恍惚な表情になり、「あぅ」とか「ふぅん」のような艶っぽい声を出し始めたのだ。

ただ耳かきをしていただけなのだがどうもやましい雰囲気になり、いたたまれない状態になったが何とか耳かきの練習を続けたところ沙苗さんいわく全身の力が抜けて、肩こりなどが解消されただとか。

一通り練習を終えた後も腰が抜けて立てなくなるほど俺のテクで骨抜きにしていた。


「これなら何とか売り上げに貢献できそうでよかったです」

「貢献できるってどころか百人力だよ!」

「えへへ、そうですかね…」


 気持ちの良いくらい褒めてくれるのでつい頬の筋肉が緩んでしまう。

その顔をした瞬間、なにやら少しはにかんでいる沙苗さんがこちらを見つめている様だった。


「少しでもその顔を我が娘にも見せてあげると良いと思うよ…」

「どう言う意味ですか…、学校であんまり関わらないので見せる以前に見せる機会がほとんどないと思うんですけど…」

「んーん、何でも無い!そんなことよりもう時間だから接客の方いくよ〜」


 頭を横に振りながらはぐらかした沙苗さんはほらほら早く~と付け加え足早に正面入り口の方へと向かって行く。


 こんな顔を見せて何になると言うのだろうか。でもこれから見学とはいえ接客するのにこんな状態じゃいられないよな。


 とぼんやりとしたままの思考を振り払い、沙苗さんの後を追うように接客へと赴くのだった。

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