第4話 はじめてのみみかき
持ってきた毛布を体全体に被せ、枕に頭を乗せるように置いた瑠奈は顔を伏せるような体制になりながら腰を屈め、遙日の耳へと口を近づける。
緊張からか少し頬を赤らめた天音さんと目が合ってしまう想像したことで感じた気まずさから俺は急いでぎゅっと目を瞑った。
目を閉じた遙日を確認してなお、瑠奈は止まらない。
そんな状況の中、遙日は敏感になった頬を重力によって耳から下ろされた髪で軽く撫でられたかのような感触を覚え、言い表しようのないゾクゾクとした感覚が背筋へと伝わる。
それは目を閉じている遙日にとって、瑠奈がどれほど近くにあるかを知らせる唯一のサインであった。
このままキスされてしまうのでは…?と絶対的にいかがわしい行為が一切認められないこの専門店においてそんな妄想を抱いてしまうくらい瑠奈の存在を近くに感じらさせられた次の瞬間
「それでは始めさせていただきますね御坂様」
と耳元で囁かれ、ようやく耳かきが開始された。
「…っ」
吐息混じりの声が耳元を燻り、思わずはっと目を開けてしまう。
その瞬間、さらに心臓の鼓動が速まるのを感じた。
「まずは右の方から始めるので右耳が天井の方をむくよう、体を横向きにしていただけませんか?」
「お、おぅ…」
悶える俺をお構い無しに右手に耳かきを携える天音さんの顔からはもう紅色に染められた頬を見ることは出来なくなり、珍しい瑠奈の姿をもう少し目に納めていればと後悔する羽目になった。
「じっとしててくださいね」
その声と共に耳の奥へと耳かきが入ってくる感覚がし、本格的に施術が始まる。
それからはあくまでも耳かき専門店であるため甘やかしボイスなどが囁かれるわけでもなく、甘い香りに包まれる中ただただ天音さんが俺の耳を掃除してくれるという時間が続いた。
ちょっと期待してたんだけどな…
☆☆
30分ほどかけて耳の中を掃除してくれた後、最後に肩や首のマッサージをされて耳周辺の血行が良くしてもらい、施術は終了する。
「それでどうだった!?私の耳かきテクは!!」
さっきの丁寧な態度とは一変して子供のような口調で瑠奈は遙日へと問いかけた。
俺は天音さんのそんな姿にさっきのバイトとしての威厳はどうしたとツッコミたくなったが今は友達(?)として接してくれているのかと理解し、言葉を引っ込める。
そもそも俺たちって友達なのか?
今のところ耳かきをしてもらっただけの客、耳かきをしただけの客にすぎないが…。
友達という言葉に引っかかった遙日はそんな疑問を抱いたがどこから友達になると定義されるのかなんて考えることになると予想したため、やめやめとそんな思考を手で振り払う。
「今までの聞いてきたASMRと比べても遜色ないレベルだった。煽って悪かった、ごめんごめん」
「ほんとに悪いなんて思ってるの??悪びれもなく言っているようにしか聞こえないんだけど」
軽く受け流すように答えると天音さんは遜色ないという言葉にぐっと眉をひそめ、両腕を組みながら納得のいってない顔を浮かべる。
「ほんとだって、遜色ないレベルで良かったって言っただろ」
「遜色ないレベルっていうのが私は気に食わないの!」
「えぇ、普通に褒め言葉として言ったつもりなんですけど…」
「だって、御坂くんの最高には劣っていなくっても同じレベルってことでしょ?私はその人に負けたくないの。一番でありたいの」
「どうしてそこまで勝つことにこだわるんだよ、同率でも一位ならハッピーだろ」
「…、そんなことどうでもいいでしょ」
一瞬間が空いたかと思えば天音さんは俯き、少し冷たく言い放った。
「悪い、無遠慮だった…」
そんな天音さんの様子を見た俺は人の心に土足で入り込んだことを猛省する。
「私の方こそごめん…、大人げなかった」
まだ大人じゃないけどなっとツッコミを入れようとしたがこの場の空気がそれを許してくれない。
どうすんだよこの空気…
二人の間には微かにアロマの香りが残る沈黙の空間が広がる。
そんな雰囲気を先に切り裂いたのは瑠奈の方だった。
天音さんは軽く咳払いをしてから話し始めようとしたが思わずその咳払いにツッコミが入ってしまう。
「おっほんって、天音さんおっさんくさいとこあるんだね」
「黙らっしゃい、咳払いなんてするタイミングなんかほとんどないんだから分からなかったの」
「うっ、痛いとこを突いてくるな」
「あら?誰もあなたのことだなんて言ってないけど?」
そんな会話をして、互いに見つめ合うと自然と重々しかった雰囲気は二人して「ぷっ」と笑えるくらい軽いものとなっていた。
「それで、御坂くんのこれからについてなんだけど」
「…ん?これからとは?」
さっき施術は終わったはずだし、これからなんてなんの事だ?
これから、なんて共通して話せる話題なんてもうないはず…
「何とぼけてるの?」
「ほんとに何の事かさっぱりなんだが」
「私があなたの一番になるまで耳かきさせてもらうって言ったじゃない」
「そんなこと一度も言ってないよ?人の記憶捏造すんなこら」
一応言っておくが、施術中もそんなことは一言も言われてない。
「力加減大丈夫ですかー?」とか「何処か痒いとこありませんかー?」などの会話はしたが、それ以外の会話という会話は一切なかった。
「じゃあ毎週金曜日にうちに来てね。ついでに御坂くんには私の耳かきモニターもしてもらいます」
「俺の話は無視かよ…、ってか耳かきモニターってなんだ?」
「私が耳かきして、その感想を言ってもらうの。どこが悪いー、とかサービスがなってない箇所があったーとか言ってもらう役目を担って貰おうかなと。御坂くんに直接言われた方がネットで悪口書き込まれるよりまだマシだし」
「まあ今日気持ちよかったし耳かきをしてくれるのは嬉しいんだが、生憎毎週通うほどのお金が無いんだよなー…」
前も言った気がするが俺はイヤホンを買うお金も無い無職貧乏高校生だ。
この店舗に毎週通う懐があるどころかっていうお話。
ってあれ、そういえばイヤホン…
遙日は今になって人質となっていたイヤホンの存在を思い出した。
これがサスペンスドラマなら間違いなく殺されてるな…
南無、イヤホン。
…まあ今はイヤホンのことはいいか、この話が落ち着いてから話すことにしよ。
「あー、お金のことなら大丈夫。私が持ちかけてる話だし私のスキルアップのためでもあるから先行投資?みたいなやつって考えでいいよ」
「俺の耳過信しすぎじゃない?かれこれ6年間ただただASMRで気持ちよくなってたそれだけだぞ?」
「その6年間分の経験値で耳かきの善し悪しは分かるでしょ?その感想を素直に言って欲しいだけなの」
「まあ、そこまで言うなら…」
俺がそう言って了承すると天音さんは「やった!」と拳を握ってガッツポーズして見せた。
ちょっと無邪気さの垣間見える仕草にそんな一面もあるんだと意外性を感じると共に子供っぽいというか、なんというかそんな天音さんが可愛らしいと感じられる。
誤解のないように言っておくが、可愛らしいとは感じたが一切そこに恋愛感情が入ってない。
「それと、お金が無いってことならここでバイトしてみる?」
「えっ?」
バイト出来るなら嬉しいし、ちょっとだけ人に耳かきするの興味あったからちょうどいいかもしれないが…
天音さんといいこのバイトの話といいなんか今日思いがけない出会いが多い気がする。
「そんな即決でバイト入れるものなの?」
「まあ、両親ふたりでこのお店やってるから私が言えば多分大丈夫だと思う」
「でも俺初めてのバイトになるかもだし、特別な技術持ってないよ?」
「それこそ6年間耳に培ってきた経験を活かせばいいじゃない」
「うーん…、」
俺の耳にたいそう期待しているようだけど、ほんとに聞いてきただけなんだよなー。
他の人よりは知識はある。ただそれだけ、活かせる技量があるかは別問題だと思う。
まあやってみないことには分からないが。
…そうだ、やってみないと分からないか。
「とりあえずやってみるか…」
「お、やっとやる気になった?」
「やる気になったというかやってみないと自分に技量があるかなんて分からないからとりあえず、だな」
「そうと決まれば早速お母さんに確認してくるね」
そう言い残すと瑠奈はピューっと沙苗の元へと走っていき、程なくして帰って来たと思うと手でOKサインを作っていた。
こうして遙日の初バイトが決まったのであった。
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自分なりにテンポ良くして見ました
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