第3話 畏まれり天音さん


「どうぞお入りください」


そう言って両手で襖を開け、部屋の中へと丁寧に案内してくれた天音さんの雰囲気は母親と会話していた時とはまるで別人になったかのようにガラリと変わっており、この姿こそが噂に聞いていたなのだと静かに納得させられる。


その変貌ぶりは今まであまり関わりのなかった遙日の目から見ても明確に分かるほどの変化だった。


「それではここに座っててもらますでしょうか。こちらの方で準備するものがありますので少々お待ちください」


想像していたよりも俺が早く来てしまったせいかどうやら準備がまだ終わってなかったらしく、天音さんは部屋の外に出てから正座した状態でお辞儀をするとそっと襖を閉めた。


そんな中1人和室に取り残された俺はぽつりと正座をしている。


別に正座じゃなくても良かったんだが、なんだかこういったような畳の敷いてある部屋にいると畏まった気持ちになってなんとなく正座したくなるんだよな…

なんてことを考えながら遙日は手持ち無沙汰にちらちらと部屋の中を見回した。


中央付近には部屋全体の和の雰囲気を乱さぬように作られたリラクゼーションベッドと机が置いてあり、床板には和紙と竹で作られたランプシェードが部屋全体をぼんやりと照らすように橙色の光彩を放っている。そんな床の間にはおそらく店舗名に由来する『ごくらく浄土』と記された掛け軸が飾られている。


 その部屋には、お客さんを落ち着かせようとする意図が込められた空間だという印象を俺は抱いた。


「お客様、失礼致します」


そうこうしているうちに天音さんが準備を終え、襖の前で一声かけてから入室してくる。


 何やらカゴを抱き抱えているようでその中には耳かき用の道具からアロマキャンドルや枕など様々なものが入っているようだった。


 その後、瑠奈は遙日の正面へと移動し、同じように正座をすると机の上にカゴを置いた。


「随分とお待たせいたしました御坂様。まずは自己紹介の方から始めさせていただきます。わたくし、本日担当させていただきます天音 瑠奈と申します。どうぞよろしくお願いいたします」


 天音さんは言い切ると同時にぺこりと頭を軽く下げた。


 そんな畏まった姿に今更ながら着物が似合っているなというシンプルな感想を抱いたが、もちろんそんなことを口に出せるわけもなく天音さんにつられるようにお辞儀をしながら挨拶を返す。


「よろしくお願いします」


 瑠奈は遙日の頭が上がったことを確認すると、それでは。と説明を開始した。


「まず初めにカウンセリングから始めますね。御坂様とお呼びしてもよろしいでしょうか?」

「はい。もちろん大丈夫です」

「それでは御坂様、以前にこのような店舗にご来店された経験。それとアレルギーや過去に何か耳に病気を患ってしまったなどはありますか?」

「いえ、全てないです。」


 遙日が少し思考したのち回答すると、なるほどというように瑠奈は頷く。


「アレルギーや病気も無いようですので早速施術の準備へと取り掛からせていただきますね。御坂様はそこのベットへとリラックスした状態で仰向けになって寝転びください。」


 同級生のこのような接客に何処かむず痒くなり、早々と指示通りにベッドへと寝転がった。


が、ただ仰向けになっているのも落ち着かなかったのでちらっと天音さんの方へと視線を向けると天音さんは何やら三つほどアロマキャンドルを手に持ち、俺の方を見て体制が整うのを待っているようだ。


「これら三つの種類のアロマキャンドルからお好きなものをお選びいただけますがどの香りのものにしますか?」


 この手のものはよくASMR内に出てくることが多いので一般人よりかは知識を持っている俺だが、今のところ事を完璧にこなしている天音さんに少しいたずら心が刺激されて無知を演じることにしてみる事にした。


「あんまりこういったものに詳しく無いんですけど…、左から順に説明してくれませんかね?」


遙日がそう言うと瑠奈は見え透いたかのように着物の袖で口元を隠しながらクスッと笑う。


「御坂様は意地悪なお方ですね」

「バレたか」

「バレバレですよもちろん。顔に『悪意あり』って記されてましたし、何より口調が嫌味ったらしかったので」

「次はバレないように善処するよ」


遙日がそう言うと瑠奈はまたクスッと笑うが、今度は口元を隠す素振りは見せなかった。


「冗談はこのくらいにして、御坂様に左から順に説明して差し上げますね」


瑠奈はまるで誰かさんを彷彿とさせるような言い方をすると一つ一つ丁寧に説明し始める。


「それでは左から順にラベンダー、サンダルウッド、シトラス系となっています。どれもリラックス効果があるのは共通していますが、お客様が施術中どう過ごしたいかで使用するものは違ってきます。まずラベンダーは柔らかでフローラルな香りと僅かなハーブの清涼感が特徴で静かにリラックスしたい方に——




——となっていますがいかがされますか?」


くどくどと悪意のある説明を受けること十分、ようやく説明という名の仕返しが終わった。


話している時天音さんは「あなたが聞いたのですから止めないでくださいね」なんて顔をしやがるし、止めようとしたら止めようとしたで咳払いをされるので俺にはどうしようもなかった。


今後、瑠奈にちょっかいを出す時は気をつけようと遙日は心に刻む。


ちなみにキャンドルについて天音さんの解説を要約しておくとラベンダーは耳かき中、静かにリラックスしたい時に適していて、サンダルウッドは和室や床の間のある空間にマッチした香りで、静寂と安らぎを同時に感じたい人に、最後にシトラス系は明るい気分やリフレッシュをしたい人におすすめということらしい。


この内容を他のお客さんにもちゃんと説明出来るようにしているのかと思うと遙日は逆にその努力に尊敬の念さえ抱いていた。



「それで、いかがなされますか?」


暫く返事の無いことを不思議に思った瑠奈は再び問いかける。


「あぁ、すまん。じゃあせっかくだからサンダルウッドで」


回答を確認した瑠奈はサンダルウッドの香りだけを机の上に残し、カゴの中からマッチを取り出すとしゅっと音を立ててキャンドルに火をつける。


しばらくすると部屋中に少し甘味がかった、それでいて深みもあるウッディな香りが充満する。それはまさに説明通り和室にぴったりの香りで、これなら静寂と安らぎを感じられそうだと容易に想像できた。


遙日がそんな想像に浸っている間、天音さんが口を開くことは無かった。


恐らくお客さんへ耳の聴覚だけでなく、嗅覚からも安らぎを与えたいという一心な思いからだろうと俺は推測する。


「それでは部屋の準備も整いましたので、耳かきの方を始めさせて頂きますね?」


遙日がキャンドルから出る香りに馴染み、リラックスしているのを確認すると瑠奈はいつの間にやらカゴから取り出した枕と毛布を片手に微笑んでいた。


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