(5)忍者
(次が勝負だぞ、新堂)
高山は外角高めの直球のサインを出した。打者の意識を内角に引き付け、低めかつ遅めの球を投げた直後の今こそ、その対角に渾身のストレートを叩きこんで三振、あわよくば内野フライに討ち取る――新堂もそのつもりで、二球目を内角低めの変化球にしたはずだろう。高山はそう思っていた。
しかし、新堂は首を振った。そして小さく小指を立てて振ってみせる。
(外角高め……でもストレートではなくスライダー?)
高山は同意すべきか逡巡した。新堂のストレートは、一球目ですでにタイミングを合わせられている。二球目に変化球を挟んだとはいえ、同じ球を投げて無事で済むという確証はない。それよりもスライダーを投げておけば、芯を外して凡打にできる可能性は十分ある。高山は、うなずいた。新堂はふうっと息を吐いてから、投球動作に入った――。
次の瞬間、塁上の三人の走者が一斉に走り出した。同時にバッターがバットを倒してバントの構えを取る。
「スクイズ!!」内野勢が叫ぶ間もなく、高山は瞬時に立ち上がる。まさかと思っていた懸念が、現実のものとなった。四番バッターが、初球から打ちに行く巧打者が、まさかのスクイズ……っ!
(外してくれ、新堂!)彼の視界の端で、三塁走者の望月が本塁目掛けて突進してくるのが目に入った……。
しかし、この劇的状況の中にあっても、新堂の心は揺らがなかった。彼はスクイズに気付くや、投げおろす手首の動きを咄嗟に変えた。新堂の横スライダーは、リリースの瞬間に手首を一塁方向に払う感じで力を入れて球に回転を与えているが、今回は肘と手首を立て、ボールを斬るように腕を振り抜いた。
<真田学院、何とここでスクイズ! 新堂君の投球は……外角に落ちるボール! 霧隠君、必死に飛びつこうとするもボールの動きに合わせられないー! ボールはキャッチャーの高山君がしっかり捕球! 三塁ランナーの望月君、挟まれてしまった!>
高山には、咄嗟に変化球を投げ変えてスクイズを阻止した新堂を褒めている余裕は無かった。ボールを持ったまま、三塁ランナーを迎え撃つ。
スクイズ失敗を見て取るや、三塁走者の望月は踵を返して帰塁を試みたが、既に二塁走者の猿飛が進塁しており、もはや戻ることは出来ない。彼はくるりと振り返って高山と対峙すると――。
<挟まれた望月君、何とかタッチアウトを避けようとするが……ああーっと、望月君の体が二体に分かれた! 分身の術だぁー!!>
「なっ……!」
高山の眼前で、黒装束の望月が分身して左右に分かれた。そしてそのまま、高山の両脇をすり抜けようとする。
(どっちだ!?)
一瞬で決断しなければならない。しかしその時、新堂の声が響いた。
「先輩、投げて!」
本塁のベースカバーに入っていた新堂が叫ぶ。驚いたことに、望月の分身像は消えていて、もう本塁に滑り込もうとしていた。
(分身の術はおとり……頭上を越えられたのか!)
しかし高山は、考える前に本塁に送球していた。たとえ予期せぬ一瞬でも、全身全霊を込めた一球を――。
「アウトォー!」
一瞬の静寂の後、主審の声が球場にこだまする。ヘッドスライディングを敢行した望月の指先は、ボールを収めた新堂のグラブによって、ホームベースへの接触を阻止されていた。観客席で、音の饗宴が爆発した。
「……術を使ったのは我の未熟。許されよ」
ベンチに戻ろうとする望月が、新堂と高山に頭を下げた。二人は顔を見合わせたが、ここは上級生の高山が答えた。
「いや、そんなに気にするようなことじゃないと思う。確かに忍術の使用は節義に反するって言われてるけど、大会規則には『分身の術を使ってはいけない』って条項は無かったはずだしね…………多分。それと一応聞くけど、やっぱり皆さん、忍者なんだよね?」
「いかにも
「うん、なんとなくそんな気はしてたよ」
望月がベンチに走り去ると、高山は新堂に向き直った。
「よくスクイズを阻止してくれたな」
「いえ、それよりも……横の変化球をいきなり下に落とす球に変えたのに、それをしっかりキャッチしてくれる高山先輩の方が凄いですよ」
それから、表情を引き締めた。「まだツーアウト二塁・三塁です。このまま勝負を決めましょう」
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