第2話 高校生探偵と呼ばれる少年
神夜咲高等学校には探偵がいる、そんな噂があった。
難事件を解決し、警察からの信頼もあるというその少年は事件があればお声がかかるのだという。
その類まれなる推理力によって事件はたちまち解決するのだとか。噂が噂を呼んでどれが真実なのか、定かではない。
そんな話を聞かされながら、
花も散り、葉桜が風に吹かれる四月中旬。新学期も始まって新しいクラスにも慣れてきた頃だ。
朝のHR前の教室はクラスメイトたちと話す声で騒がしい。テストがどうの、今人気のタレントがどうのと会話が耳に入る中、時久の目の前には手を合わせて〝お願い〟のポーズをしている同級生、
肩で切り揃えられた緩く巻かれているミルクティ色の髪は彼女が動くたびにはらりと揺れる。
「もう一度、聞いても?」
「噂の名探偵、天上院くんに助っ人で演劇部の役者やってほしいの!」
由香奈の言葉に時久は眉を寄せた。嫌そうに顔を逸らせば、その馬の尾尻のように結われた長い黒髪が靡く。
それを見て彼女は「そのポニテめっちゃ映えるんだよ!」と仕草を褒める。
「天上院くんポニーテール似合ってるし、それも相まって色気あるしさ!」
「はぁ、そうですか」
「だからさー、天上院くんと
飛鷹と呼ばれて時久の隣の席を陣取っていた少女が顔を上げる。
「あたしも?」
「あんたもに決まってるでしょ」
「うーん、あたし一人だと不安だなぁ~」
「じゃあ、説得してよー! 飛鷹、いや新垣飛鷹さま~」
「そんなこと言われてもー」
由香奈は膝をついて飛鷹に縋りつく。そんな彼女の様子を横目に飛鷹は二つに結った自身の髪を弄っていた。
栗色の髪を弄りながら毛先を見て、「あ、枝毛あるー」と由香奈の頼みにあまり興味が無い様子だ。
「そもそも、どうして私と飛鷹なんですか。他にもいるでしょう」
「二人以上に舞台映えする人物をわたしは同級生で知らないけど?」
由香奈が言うには二人は美男美女コンビらしく、舞台に立てばたちまち注目を集めてしまうのだと。
なんという自信なのかと時久は由香奈を見遣るも彼女は「事実だもん」と断言する。
「それ、他の生徒に失礼では?」
他の生徒からすれば嫌な気分になりそうな発言をしているのだが、由香奈は気にしている様子がない。「それはそれ、これはこれなの」と言っている。
「とにかく、二人がいいの!」
なんという強引な言葉だろうか。時久は何とも言えないといった表情を見せる。由香奈の言う通りなのかもしれないが、時久は演技というものには無縁だ。
役を演じるなどできる自信はないし、そもそもそういったことに興味が無い。演劇など観る分には楽しいと思うが、演じてみたいなど思ったこともなかった。
そんなのだから、時久はいくら高校の演劇部とはいえ、役者など受けたくはなかった。
「飛鷹だってさ、天上院くん色気あって格好いいから役者ぴったりだって思うでしょ?」
「まぁ、時久くんは格好いいからね。何やっても似合うよ!」
「でしょ!」
余計なことを言わないでほしいとじとりと飛鷹を見遣れば、てへっと彼女は舌を出して誤魔化した。
それで済むと思うなよという意味を込めて彼女の頭を軽く小突く。小突かれた飛鷹は頭を押さえながら「本当のことだもん」と文句を垂れていた。
「飛鷹だけならまだしも、私なんて大したことないですよ」
二人の言葉を時久が否定すれば、由香奈は「自覚ないなんて罪すぎる」と残念そうに呟く。
無自覚と言いたいのかと眉を寄せた時久だったが、飛鷹が何故か喜んでいた。
「わーい、役者似合ってるって褒められた―!」
いや、褒めていない。というか、そこは喜ぶところなのかと突っ込みたかったけれど、言っても無駄なのは長い付き合いなので知っている。だから、何も言わずに時久は面倒げに息を吐いた。
「役者として演じるのは嫌ですよ」
とにかくと時久はきっぱりと断った。それにむーっと頬を膨らませる由香奈だったが、仕方ないと一つ提案を出した。
「じゃあ、手伝い! 脚本の手伝いだけでもして!」
「私、物語など考えられないのですが?」
「次の演目予定のがね、ミステリーものなのよ!」
鍵を巡る殺人事件のミステリーものなのだと、由香奈は公演予定の演目を話す。少し複雑なネタになってはいるものの、話としては面白いものだと。
「それでどうして私になるのでしょうか?」
「何を言ってるの。天上院くんは探偵でしょうが!」
探偵。時久は渋面を見せながら頬杖をついた。私は探偵になったつもりはないと。
そう時久が言っても由香奈は全く引くことなく、「噂になってるよ」と話す。
「警察の協力者としてよく一緒にいるとか。難事件を解決したとか」
「難事件なんて解決してませんよ。捜査の中に犯人の証拠は残っていましたし。それに気づいていなかったのを指摘しただけです」
「やっぱり協力はしてるじゃん!」
由香奈の指摘に時久は黙る。彼女の言う通り、警察に協力したことがあるからだ。
だからと言って探偵になったつもりはないのだが、事件解決に協力した=探偵というイメージというのは強いのだろう。
全ての探偵が事件を解決するわけではないのだが、由香奈には何を言っても通じないように見えた。何せ、警察に協力したという事実に目を輝かせているからだ。
話が広まっているのにも薄々は気づいていたけれど、噂のように名推理などしたことはない。そもそも、ミステリー小説のような推理など本来の事件ではそうあるものではないのだ。
けれど、それを言っても聞き入れてはくれないのだろうなと、時久はワクワクを隠し切れていない由香奈に目を向けた。
きらきらとした真っ直ぐな眼を向けてくるものだから、これはもう駄目だなと時久はそのまま話を聞くことにする。女子というのはどうしてこうも押しが強いのだろうかと呆れながら。
「それで私に何をどう手伝ってほしいのですか?」
「今回の演目がミステリーものだから、トリックについて意見が聞きたいのよ」
「あぁ、ミステリーものによくあるあれですか」
「みんなで考えてみたんだけど不安がないわけじゃないのよね。自信はあるんだけどさ。だから、事件とかに詳しい天上院くんにも意見が聞きたいっていうわけ」
いろんな事件を見ているのならば、違った見方もあるのではないか。不自然な箇所に気づくこともあるかもしれないと、由香奈に言われて時久は片眉を下げる。
それなりに事件現場を見ているからといって、トリックが使われたものに多く触れるわけではない。
トリックなど使われていないもののほうが多い。そんな凝ったことをする事件がなかったとは言わないけれど、参考になるのかは怪しいものだ。とは言わずに時久は「私の意見など必要ないのでは」と返した。
実際に起こった事件と物語としての事件は別物だ。同じようなものではないのだがら、現実のものと似せる必要はない。時久の意見に由香奈はむっと口を尖らせる。
「そうかもしれないけど、参考にはなるじゃない。やっぱり、ちょっとはリアリティをもたせたいし」
「物語なのですから別にそこまでこだわる必要はないでしょう」
「そんなこと言わずにさー。ちょっと脚本を見てくれるだけでいいから~」
ねっと手を合わせて由香奈は小首を傾げてみせる。可愛らしい仕草ではあるけれど時久に効果はない。ないのだが、彼女の絶対に諦めないという意思が窺えた。
どうしたものかと時久が悩んでいれば、黙って話を聞いていた飛鷹が「いいじゃん」と言った。
「脚本見るだけだし。時久くんが表に出ることはないんでしょ?」
「ないない! 飛鷹は役者スカウトだけど」
「えー、あたし役者かぁ。なら、時久くんがいないと不安だなぁ」
飛鷹はくりっとした金茶色の瞳を時久に向ける。頭を傾けて「不安だなぁ」とまた言う彼女の姿に時久ははぁと溜息をついた。
時久は親しい人間から頼まれることに弱かった。気を許した人間なら尚更、断ることができない質だ。それを飛鷹自身が分かってやっていることであっても断ることができない。
「……仕方ないですね。脚本のお手伝いだけですからね」
「本当! やったー! 天上院くんありがとう!」
由香奈はやったと嬉しそうに笑んでいる。飛鷹に「流石、飛鷹だわ!」と、肩をばしばしと叩いていた。
「時久くんは優しいもんねー」
「そうですね」
「拗ねないでよ、時久くん」
拗ねている訳ではないのだけれどと、時久は目を細めながら飛鷹を見遣る。彼女はにこにこと微笑んでいたのでもう言い返すのを止めた。
面倒であっても親しい人間から頼まれてしまうと、断れない自分の性格に時久は呆れてしまう。
「それで、どうすればいいのですか」
「あぁ、そうだった。まずは休み時間に部長のところに顔合わせ!」
「昼休みですか?」
「二限目終わった後の中休み。二十分だけど少し話すだけだし、そんなに時間は取らないから」
由香奈は「部長、昼休みは一人で過ごしたい派だから邪魔すると不機嫌になるのよ」と、困ったような口調で教えてくれた。
すでに助っ人の顔合わせの約束もしているらしいので、それほど時間はかからないだろうと考えているようだ。
それを聞いて初めっから連れていくつもりであったことを知って、時久は何とも渋い表情をする。
「どうあっても連れていく気でしたね」
「まぁねぇ。で、詳しくは部活動時間に教えてくれるはずだから」
なんも悪びれる様子を見せない由香奈に時久はもう何か言うのも疲れてしまい、「分かりました」と投げ出した。
「わーい、二人ともありがとう! じゃあ、中休みにね!」
そんな時久になど気づくはずもなく、機嫌よさげに由香奈は自分の席へと戻っていく。
そんな彼女の背を見送りながら時久は面倒な頼みを引き受けてしまったなと、がっくり肩を落とす。
時久の様子に飛鷹は「ごめんね?」と謝った。少なからず自分にも原因があるのだと分かってはいるようだ。
「時久くんとあたしが幼馴染で仲良いのゆかっち知ってるからさー」
「アナタが頼めばなんとかなると思っていたのでしょう」
「時久くんは親しい人の頼み断れないっていうことに、ゆかっち気づいていたみたいだからねー」
由香奈は時久のそんな性格に気づいていたようだ。飛鷹の友達であるからか、少なからず関わることがかるからだろう。
隠していたわけではないけれど、それを利用されてしまっては複雑な心境だ。けれど、受けてしまったので諦めるしかないので、時久はけだるげに頬杖をつき直した。
「時久くんが優しいのは事実だけどねぇ」
「そうでもないですよ」
「でも、親しい人を見捨てたりはしないじゃん」
「それはですね……」
言葉を詰まらせながら顔を上げれば、飛鷹のにっと笑む表情が目に留まる。
子供のように無邪気で揶揄うように口元に手を添えている姿に、時久は目を細めて小さく息を吐いた。
「貴女もそうですけど、父も似たようなことしてきますよ」
「時久くんのお父さんも分かってるからそれは仕方ないよ。でも、そういうところが時久くんの良さだよねー」
「そうですか」
それで何度と事件の捜査に協力したことかと時久が思い出していれば、飛鷹は「演劇部ってどんな感じなんだろうね」と、どこか楽しげにしていた。
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