第3話『私はゆったりと流れていく時間が好きだった』
どこかで地獄という場所の話を聞いた時、あぁ、私の居る場所なんだなと思った。
そしてそこは悪い事をして死んだ人が行く場所だと聞いて、私は死んだ後もずっと変わらないんだなと思った。
でも、こんな日々を続けるくらいなら、もう終わっても良いか。
なんて膝を抱えながら考えていた私の日々に、またあの光が差し込んできたんだ。
佐々木和樹。
私みたいな悪い子にも優しくしてくれる、凄い人だ。
そして、前に私が酷い事を言って傷つけたのに、また私の手を握って、助けてくれた。
だから私は精一杯佐々木に感謝を伝えたくて、頭を撫でてみたのだが、また怒らせてしまった。
また佐々木を傷つけてしまった。
そう思いすぐに謝ったが、許してもらえるかは分からない。
そんな風に怯えていた私に、佐々木は自分も悪かったなんて言っていた。
意味が分からない。だって佐々木が悪い事なんて何もない。
悪いのはいつだって私で、駄目なのも私なのに。
「もし紗理奈が良かったら、だけど。もう一度僕と友達になってくれないか?」
なんで、佐々木はこんなに優しいのだろう。
こんな私に。
分からないけれど、佐々木の言葉がただ嬉しくて、嬉しくて、涙が溢れた。
拭っても、拭っても止まらなくて、佐々木の手を握っている間だけは、この世界に生きていて良かったって思えたんだ。
それから私の日常は大きくその姿を変えていった。
佐々木の友達だっていう、古谷と鈴木と一緒にお昼ご飯を食べる様になった。
相変わらず私は食べるのが遅いけれど、佐々木はゆっくりと待ってくれる。
古谷と鈴木も同じだった。
四人で食べる日々は楽しくて、私はゆったりと流れていく時間が好きだった。
でも、三人は放課後に野球というスポーツをやっているらしくて、放課後は独りぼっちになって寂しかった。
だから、私は精一杯の勇気を振り絞って、みんなが野球をやっているという場所に行ってみた。
そこは多くの人が騒いでいて、楽しそうに走り回っていた。
でも佐々木を見つける事は出来なくて、私は少し離れた場所から佐々木の姿を探していた。
帽子を被っていて、人を判別するのが難しく、私は頑張って探したが結局見つける事は出来なかった。
それが何だか悔しくて、私は放課後になると、野球場へ通って佐々木の姿を探す様になっていた。
そんなある日。私はようやく佐々木を見つける事が出来て、思わず嬉しくなり、膝を抱えながら笑う。
「な、なぁ。君」
「……?」
「君だよ。君」
「私?」
「そう。君、野球に興味あるのかい?」
野球に興味があるかと聞かれれば分からない、だ。
ここには佐々木を探しに来ているだけだけど、佐々木は野球をやっているし、どう答えたら良いか分からなかった。
「どうかな。僕が教えてあげようか?」
「……いい」
「そう言わずにさ。とりあえず名前を教えてくれよ」
その人は私に近づいてくると、いきなり手を握ってきた。
佐々木とは違う。強くて痛みを発する握り方だ。
私は痛みにその手を振り払って、その人から離れようとする。
しかし、男の人は怒りに震えた顔をしていた。
「んだよ。せっかく人が親切に教えてやろうとしてんのによ! お高くとまりやがって!」
「……っ」
私は思わず走って逃げていた。
頭の中には怖いという気持ちだけがあった。
もうあの場所へは行けない。そう思うのだった。
お昼の時間だけで満足しなければいけなかったのに。もっと佐々木に会いたいなんて考えちゃったからこんな事になったんだ。
私はそう考えて、もう野球を見に行くのは止めようと、そう思うのだった。
そして、お昼の時間だけが楽しみになっていたある日、私は偶然お姉ちゃんに再会した。
チャンスだと思った。前の事を謝ろうと思った。
でも、お姉ちゃんは私が近くに居るだけで嫌なんだと分かった。
なんて私は頭が悪いのだろう。察しが悪いのだろう。
そうだった。私はここに居るだけで、色々な人に嫌な想いをさせていたんだ。
あぁ、本当に。
なんて嫌な人間なんだろう。
本当は佐々木も嫌なのかもしれない。
佐々木は、優しいから、無理をしているのかもしれない。
そう考えると嫌になった。
佐々木に睨まれて、嫌われるくらいなら、消えてなくなった方がマシに思えた。
「もう良いかな」
ここで終わっても。
私は居るだけで人を傷つける悪い子だから。
もう、消えた方が……。
「紗理奈」
「佐々木?」
「その、近くに行っても良いかな」
「……うん」
でも、佐々木が来てくれて。
傍に来てくれて、ここに居ても良いよ。って言ってくれるみたいに頭を撫でてくれた。
それが温かくて、嬉しくて、私はまだここに居ても良いのかな。なんて思ってしまうんだ。
例え、それが贅沢な願いなのだとしても。
そんな分不相応な願いを想ってしまったのが悪かったのか。
私はその夜に罰を受ける事になってしまった。
お母さんの新しい恋人である男が、家に来たのだ。
前の事があって、お母さんは私に部屋へいる様に言ったのだけれど、その男の人は部屋で膝を抱えていた私の所に来ると、挨拶をしろと言ってきた。
「あ、あの。こんばんは」
「声が小さいんじゃ! ハッキリ声出さんかい!」
「でも慎平さん。この子ったらいつもこうなのよ。やる気が無いって言うか」
「お前は甘やかし過ぎるんじゃ。声が出ない? 出す気が無いだけじゃろ。まぁ良い。これからはワシがよくしつけてやるけぇ。安心せぇ」
「あら。そうなの? 流石慎平さんね」
「フン。おい。紗理奈。お前声が出ないとか言ったな。本当か確かめてやる。背中を出せ」
「……ぁぅ」
「早くしろ! おい。お前」
「分かったよ。紗理奈。さっさと言う事を聞きな!」
私は床に引き倒されて、お母さんは男の人に言われるままうつ伏せの私の両手を押さえつけた。
そして男の人は私の服をまくり上げると、何かを上でやっている。
聞きなれない金属の音と、火が燃える様な音がしたかと思うと、背中に激しい痛みが走った。
いや、痛みではないかもしれない。熱さ?
分からない。でも、ただ尋常ではない何かが背中で起こっている事は確かだった。
私は痛みから逃げようと叫びながら、体を動かすが、腕も体も押さえつけられていて、動くことが出来ない。
ただただ意味も無く溢れてくる涙と、張り裂けそうになる喉の痛みと、狂いそうになる背中の痛みが、私の心を無茶苦茶にかき回した。
そして、永遠にすら感じた様な時間は終わりをつげ、男の人とお母さんは満足したのか部屋から出て行った。
私は一人、部屋で未だ痛みを訴えている背中をどうする事も出来ず、ただ震えながら涙を流していた。
「たすけて……佐々木。手を、握って」
私は暗闇で、ただ佐々木に助けを求めながら、遠くから聞こえてくる笑い声に体を震わせた。
でも、佐々木はここには居なくて。
私は長い夜が終わるのをただ、ただ待ち続けるのだった。
そして翌朝。
私は早くから学校に行って、佐々木が学校に来るのを待っていた。
誰もいない教室で、佐々木の席に座りながら膝を抱えて、ただ、待つ。
「紗理奈」
「佐々木。早いね」
「いや、君ほどじゃないけど。まぁいいや。せっかくだし。授業始まるまで裏庭にでも行く?」
「……うん」
佐々木は何も言わず私の手を取って、一緒に裏庭まで歩いて行った。
そして、ベンチに座ると、私に向かって笑いかける。
「なんか疲れてるね。授業始まるまで寝てる? 寄りかかっても、そのまま足を枕にしても良いよ」
「……いいの?」
「もちろん」
「じゃあ」
私は佐々木の足の上に頭を乗せて目を閉じた。
佐々木はゆっくりと頭を撫でてくれて、私は、その感触に、温かさに、意識をゆっくりと沈めてゆくのだった。
昨日の夜に感じた寂しさはもう薄らいでいた。
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