第15話 会食しても良いですか?

「このぐらいか……?」


最初の溶剤をなんとか調合し、マツモトは溜息を吐いた。

マニュアル通りに調合すれば良いだけなのだが、問題はこの世界にまともな計量器具が存在しないことだ。

マニュアルの記述も「握りこぶし程度」などとなっており、思いのほか苦戦を強いられてしまった。


結晶を溶剤に浸し、変化を注意深く観察する。

相転移と違い、不要成分だけが溶け出した兆候のような現象は特に見られないらしい。しかし僅かな変化でも見逃すまいと、マツモトは目を皿のようにして結晶を見つめた。

ふと、マツモトの隣で一緒になって、シュカが結晶を見つめていることに気付いた。


「……ああ、シュカちゃん? 後は俺の仕事だし、家に帰って完成を待っても良いんだぞ?」

「いえ、ここで待ちます! 私にも、何か出来ることがあるかもですし……」

あれば良いんですけど、と消え入りそうな声で付け加える。


「大好きなんだな、お母さんが」

「そ、それは……はい」シュカは顔を赤らめた。


マツモトはフッと笑みをこぼす。

母親か。働き始めてから、まともに顔を合わせるのは年末くらいになってしまった。

いつでも会えるはずなのに、わざわざ帰るのが面倒に思えて、ろくに連絡もしていない。

今頃どうしているだろうか。無性に、声が聞きたくなった。



最初の溶剤に浸すこと1時間。残り2つの溶剤にも各1時間を要し、とりあえず成分抽出の工程は完了した。

次の工程では、買っておいたもう1つの結晶を使う。また結晶の相転移を行うのだが、2番目の抽出液に浸しながら行うのだ。

2番目の抽出液には、この結晶の相転移を効率よく進める効果がある。通常よりも低い温度、早い時間での相転移を可能とするのである。

この工程での所要時間は、十分に抽出液が作用したとすれば2時間から3時間程度。

時計を見ると、既に午後6時を過ぎていた。


「もうこんな時間か。シュカちゃん、今日はもう帰った方が良いんじゃないか?」

「いえ、ここで……」

「帰るのが遅いと、お母さんが心配するだろ。プレゼントを早く渡したいのは分かるけど、心配させるのは違うんじゃないかな」

「それは、分かってます……分かってます、けど」


シュカは何か言いたげに、もごもごと口を動かしている。

その肩をポンと叩き、「どうした?」とマツモトは促してやった。


「最後まで、見ていきたいんです……ダメ、ですか?」

「見ていきたいって……この後も同じような地味~な作業が続くぞ? 見てて面白くは無いと思うけど」


マツモトがそう言うと、シュカはぶんぶんと首を横に振った。

どういうことだろう、と少し考えてから。マツモトは自分の考えに確信が持てず、腕組みをしながら問いかける。


「……もしかして、作業を見てて面白い、とか……?」

「面白いです。ポーション作りなんて見るの初めてで……お邪魔でなければ、見させてくれませんか」

「そうか、面白いか……」


作業を見ているのが面白い、という発想がなかったため、シュカの言葉はとても新鮮だった。

ダメですか、と再びシュカが尋ねる。マツモトは笑って、「何か食べに行こう」とシュカの手を引いた。


その日の夕食は、シュカの知っている料亭で食べることにした。

日本人共済とは違う異世界のディナーだが、幸いマツモトの口はすんなり受け入れることが出来た。



#備考

・カプール

エトールにおける代表的な庶民料理。ホワイトソースにチーズ状のものをかけて焼き上げた、グラタンのような味わいの一品。エトールでは大皿で一気に焼き、大勢で囲んで食べるのが一般的。一人前500レナスから。




夕食から戻り、マツモトとシュカはじっと相転移の完了を待つ。

作業もなくただ待つだけなので、その間にマニュアルをもう一度読み返すことにした。


この後は相転移した結晶を溶剤に浸すのだが、その溶剤には取っておいた最後の抽出液を加えるのだ。

そうすることで2種類の結晶の成分が溶け出し、混ざり合うことでマナのポーションとなる。

それを濾過器にかけたら、最後の仕上げに恒例の加熱作業が待っている。


今朝はうっかり鍋を焦げ付かせてしまい、精製量が大幅に減ってしまったところだ。

しかし、今回はそのミスが許されない。加熱しすぎると2種類の成分が分離してしまい、ポーションの効能そのものが失われてしまうのだ。

ここまで来て失敗すれば、また今までの手順がやり直しになってしまう。


失敗は出来ないな。意気込んでいると、不意に腕を押された。


「どうした、シュカちゃん?」

返事は無い。見れば、シュカはすうすうと寝息を立てている。


無理もないことだ。慣れない作業に付き合わされて疲れたのだろう。

マツモトはそっとシュカの身体を横たえさせて、アトリエに備え付けの毛布をかけてやった。


失敗などするわけがない。シュカの寝顔を見て、マツモトはそう決意を固めるのだった。



#異世界人『マツモト』

4日目・収支……

+24,000レナス (ポーション買い取り代金)

-90,000レナス (ポーション原料代)

-200,000レナス (アトリエ利用料-1ヶ月分)

-2,150レナス (食費)

残金 187,310レナス

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